第2章12話「今は疎むもの」


「どうしたのかな~~?」


 赤ちゃんが泣き続けている。


 ミルクは一時間前に与えたし、一応白湯も飲ませた。おむつも替えた。体に発疹もないし温度も適温だ。


 おもちゃを渡しても、子供用のテレビを見せても何一つ変わらない。

 多分これはその人固有の原因なのだろう。

 何か辛い部分があってそれで泣いているのだと。


 もしくはただ泣きたいだけかもしれない。

 眠たいから泣いて体力を消費させるためかもしれない。


 あるいは母さんの匂いが無くなって不安になっているのかもしれない。

 自分が出来るのはただあやすだけだ。


 今まで何回も経験している。これはもうただ耐えるしかない。

 ただ同じ赤ちゃんのいる部屋の中に入れてしまえば他の赤ちゃんが起きて大惨事になる。

 こうやって外に出して落ち着くのを待つしかない。


「ほら、お外綺麗だよ~~」


 電灯が消えたので、星が空を埋め尽くしている。

 この景色は元に戻れないのだと痛感させるものだ。

 でも同時に綺麗だとそう思わせる圧巻の景色でもあった。


「あれがこうま……って分からないか」


 星座の話は赤ちゃんには早すぎる。


 子供たちは耳を聞き入れてくれるので夜眠れない時の鉄板の話だが、まず何の動物かそもそもどんな星なのか見ることは出来ないだろう。


「大きくなったら話してあげるね」


 赤ちゃんはそれに返事することなく泣き続けた。


 こういう時はいっぱい話して気をそらすようにと言われたが、30分以上たっても一向に泣き止まない。

 おもちゃももう一度渡してみたが取ってくれなかった。


 そうしていると急に天候が悪くなった。

 風に流された雲がこっちに来たのだ。


「朝は天気が良かったのにね~」


 完全に真っ暗だ。

 ライトも持ってきていない。


 突然泣かれて急いで外に出たので何も準備していない。

 道は舗装されているとは言え、何があるか分からない。

 もうそろそろ帰るべきだろう。


 だがその選択をした時点でもう遅くなってしまった。


「雨……」


 雨が降ってきた。それも散歩をしていたせいで屋内から遠く離れてしまった。

 見回りの人も近くにいるはずだが、何処にいるのか分からない。


 とにかく赤ちゃんが濡れないように片腕で赤ちゃんを覆う。


 かなりの土砂降りになってきた。

 焦って走れば暗くて足が滑るかもしれない。雨の音で声が届かない。

 赤ちゃんをだっこしている以上、あまり走ってしまえば揺さぶることになってしまう。

 速度も出すことが出来ない。


 一度雨宿りできる場所を探した方がいいのだろうか。だがいつやむのか分からない。

 雨に濡れたままでは風邪をひいてしまうかもしれない。それに30分間赤ちゃんはこんなに泣き続けているのだから、お腹がすいて更にストレスを与えてしまう。


 このままストレスをため続け、雨で体温を引かれると風邪を引いてしまうかもしれない。


 とにかく今は雨に濡れないところをつたって帰ろう。


 そう思った時大きな音が鳴った。

 これは崩れる音だ。


「は……」


 思わず体が震えた。


 そうだ。全体が治ったわけでもない。

 街の一割も回復に至っておらず、たびたび建物が崩れ落ちる音が聞こえる。


 この後戦闘が起きるのに治す必要もないからだろう。

 しかも戦いが終わって初めての雨だ。


 もしかしたら建物の一部が崩れるかもしれない。

 こうやって歩くのも本来危ないかもしれない。


 腕一つでは赤ちゃんを雨から防ぎきることは出来ない。

 雨がどれだけ振るのか、強さがどれくらいか分からない。


 そう思っている間に雨が髪の毛の中に侵入してきた。

 服も濡れ肌に張り付く。


 体が寒くなっていく。

 毎日体を鍛えていたとは言え、だんだん寒くなってきた。

 赤ちゃんはどうだろうか。


 体を曲げて雨をしのぐ。

 でもこの体勢ではまともに走れないし腰が痛くなる。


 それに赤ちゃんの泣き声が更に大きくなった気がする。

 失敗したんじゃないかなと少しそう思わせるように。


 寒いのは寒い。雨が身体を打っていく。

 自分が間違えを犯したのだと。


 ―――助け……


 何か音が聞こえた。

 雨がモノを叩く音。上で雨がぶつかっているのだ。

 体が温かくなる。これは魔法だ。身体魔力から出る青い光と手から出る赤い光。

 それが助けてくれた人の顔を明るみに出す。


「は、大翔君……?」


 黒い目と緑色に光る眼。そして白金の髪の毛。

 信じられなかった。ここに大翔がどうしているのだ。

 大翔は目を下にして顔を合わせてくれなかった。


「ごめんね」


 そういって赤ちゃんを紫花菜から持とうとしてきた。

 紫花菜は腰が痛くなりそうで思わず赤ちゃんを大翔から渡してしまった。

 赤ちゃんの声は更に甲高くなり、思わず耳を塞ぎたい気持ちになるくらいだ。


 だが大翔は全く動じない。そしてその目から緑色の光が漏れ出る。

 大翔は納得のいった顔をした。泣いている理由が分かったのだろうか。

 

 何か分かったの。

 その言葉が出なかった。


 どうしてここに。

 どうして紫花菜の元に来たのだろうか。

 引き籠りの原因である紫花菜に。


「ちょっと移動してもいい?」


 そういって赤ちゃんを渡してきた。

 何をするのだろうかと受け取ると、突然身体魔力で紫花菜を掴む。


「え?」


 大翔はそういうと跳んだ。

 ほとんど地面すれすれで脚が当たる距離ではなかったが、怖くて思わず曲げてしまう。


 着いたのは安全区域と呼ばれる見回り区域外の場所だった。

 大翔は手に力を入れる。


 空間移動魔法なのだろう、黒い穴が開いた。


「いいの?」


 魔法で生活が便利になるかと思ったが、実際はそうでもなかったので少しがっかりした魔法。

 実際そのデメリットを、身をもって知っているからこそ思わず声が聞いてしまう。


「結構離れているし、これから移動するところも離れているから」


 そういって移動したのは地下鉄のホームだ。

 ところどころ水が漏れ出ていて、ネズミや人類の敵が走り回っていた。


 おもわず紫花菜は体が引きつる。

 大翔が光で虫を誘導するが、逆に集まって気持ち悪かった。


「なるほどね……」


 大翔は何か納得するが、いったい何をしようとしているのかこっちは納得していない。

 少し時間をたつとまた大翔が空間移動魔法を使い、別のホームに移動する。

 大翔は目を光らせ、赤ちゃんを見つめる。


 その目に少し体が引いてしまった。

 改めて大翔は別世界の住人なのだと。


「もうちょっと待ってね」


 その言いようからおそらくまだ行くところがあるのだろう。

 何をしているのか分からない。


 だがその目を見て答えを出しているのだから何かあるのだろう。

 魔法の事は紫花菜も知らない。どうでもよかった。


「どうして来たの?」


「見回りでこの目が見えたから来ただけだよ」


 こんな夜中に見回りがあるのか。

 もう深夜の三時だ。


「……その目は何なの?」


「いろんなことを知れるよ。赤ちゃんが泣いている理由も」


「そうなんだ……」


 会話が進まない。

 大翔は紫花菜のことを一番大事にしているとそう流河がいっていた。

 だからだろうか。昔のように話しかけてくることもない。


 いつも話しかけると笑顔をこちらに向けてくる大翔はもういない。


「着いた」


 駅と駅の間を跨っていく。何をしているのかと思っているが、結構遠いところまで来た。


 しかも何でこんな地下にと思っていると、赤ちゃんが泣き止んだ。

 何もしなかったのに。


「雨降ってたでしょ。多分低気圧で頭の血管が膨れたんだと思うよ」


 聞いたことがある。

 低気圧になると頭痛だったり下に行くほど気圧は上がる。


 些細な変化かもしれないが、下に行けば赤ちゃんの許容範囲を超えさせないようにできる可能性が高い。


 だから地下鉄のホームに行ったのか。


「ごめんね」


 大翔は紫花菜の背中に手をかざした。


「わわ」


 暖かい風が服の体の間を通り、体が温かくなる。


 それだけではない。

 魔力で服を伸ばし、繊維一本一本乾かすように温風を当ててくれた。


 髪の毛をかわしてくれた。

 根元をちゃんと乾かしてくれて、様々な方向から風を当ててくれる。

 風が一本一本の毛を通り抜けるように風が行き届く。

 それに熱でどこか髪の毛が痛みを与えていないように何度も腕を動かしている。


 髪の毛は乾燥しない程度に乾かしてくれた。


「終わったよ」


 紫花菜はその顔に思わず目が離させなかった。


 嫌な顔一つもせず、大翔は口を綻ばせる。

 罪悪感を抱かないほど優しい顔だった。

 役に立てて良かった。そう声が聞こえるような顔をしていた。

 紫花菜に対して恨みや悲しみの声を一度も吐かず、ただ安心したかのような顔をした。。


 紫花菜は思わず見つめてしまった。それに大翔は目を見開いた。


「……本当にごめんね。もっと前に言うべきだった。……それこそ天使の子供って言われたときから……」


 紫花菜は何も言えなかった。


 大翔は紫花菜の顔を見て罪悪感を抱いたのだ。

 大翔の目から紫花菜の目は批難の目に見えていたのだろうか。

 大翔にとって紫花菜は罪悪感の塊なのだと分かってしまった。


 大翔は最後まで口にせず、紫花菜から離れた。


「じゃあ、僕は少し離れたところで素振りしているから。また何かあったり、ほしいものがあったりしたら言って」


 大翔はそういって、すぐその場に離れた。

 大きな壁を紫花菜に作って

 光を照らし、閉じ込めること虫が来ないようにしている。土の椅子があって

 大翔がいなくても紫花菜が何もないようにしているのは分かった。


 雨が降る前と全く変わらず、服も髪もさらさらにしてくれた。

 他の部分は少し湿り気があるがこのくらいなら許容範囲だ。


 それに毛布も取ってくれて赤ちゃんの体温もあって体はポカポカしている。


「あ……」


 お礼を言うのを忘れた。

 そう気づいた時には大翔はもういなかった。



 大翔は変わった。


 魔法使いもその目というのはまた別の感情だがその体だ。

 手の大きさも、その身長も紫花菜を超えていた。顔つきもぐっと引き締まった。

 4年くらいだろうか、成長期というものだろう。


 でもその心は変わらない。

 気づかいや優しさは変わらない。

 その声も昔と変わらない。


 だからだろうか。大翔の顔を見るたびに。

 その成長と何も変わらない心に。


「父さん……」


 どうしても思い出してしまう。あの思い出したくない光景を。


 赤ちゃんが手を動かして音が鳴った。見るとおもちゃを手に握っている。

 その赤ちゃんの手に力が入らなくなりおもちゃが音をなって下に転がった。


 せっかく大翔が泣き止ませてくれたのだ。

 今はそれを寝かしてあげるのが今二人にとって一番いいことだと信じて。


 紫花菜は体も心もを全て赤ちゃんに注いだ。


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「大翔と紫花菜ってどういう関係なの?」


 ペルシダと日本語の勉強をしているとき、そう唐突に聞き出した。

 喋っているのは同じ日本語なのに、どうして文字が分からないのだろうと思っていたら、ペルシダが異世界の文字を書いてくれた。そこではあがQみたいな文字に、へがえみたいな文字になっていた。


 固有名詞も違う時があるから単純なものでも中々すれ違いが起きる。

 むしろ同じ言語なだけで十分な奇跡だ。こうやって話し合うことは出来るだけでやれることとやれない事の差が大きい。


 それにこうやって話す時間が取れるわけで。


 そんな接近できる時間にペルシダがそう唐突に聞いてきた。

 今までそんな大翔や紫花菜の事を聞いてくることなどなかったのに。

 ペルシダの目は憂いている。本当に聞いていいのかどうかと。


「どうしたの、急に?」


「私、ずっと置いてけぼりだったのよ。紫花菜ちゃんたちが家に来てからずっと」


「確かに。そうだったな……」


 確かに奇妙な関係に思えるだろう。

 ペルシダは紫花菜と大翔が話した後、明らかにテンションが落ちていた。

 どうやら二人のことを案じていたらしい。


「私何も知らなくても大丈夫?」


「……分かった。聞いてくれるか?」


 そう言うと、ペルシダは直ぐに頷いてくれた。


 言った方が気まずくなるのかもしれないが、何となく話してみたくなった。

 そういって流河はペルシダに正面に向いた。


 それに悩める人は多いに越したことがない。


「二人は2歳からの幼馴染で、ものすごく仲良かったんだ」


「幼馴染なの? じゃあなんで……」


 正確にいえば大翔と紫花菜は恋人同士でも合った。

 まだ10歳の言っていない恋人関係は流河にとって未知の世界だが、少なくとも親友以上の関係だった。


 偶にジュースを運びに大翔の部屋に入ったとき、紫花菜は膝の上に乗ってハグをしていて紫花菜から離れた大慌てしたこともある。

 帰り道に会うと大翔と手を繋いだり腕を組んだりしていた。


 呼び方も今とは違い、もっと親しみを込めた呼び名があった。


 よそよそしい、その言葉が流河の言葉でかき消される。


「大翔が紫花菜の父さんを撃ったんだ」


「撃った?」


「ペルシダも銃を知っているだろう。あれで頭を射抜いてしまった」


 直接言うのは阻まれる内容。

 その瞬間、ペルシダの不思議そうな顔が緊迫した表情に変わる。


「頭……じゃあ……」


 その意味を理解しペルシダの声が震えている。

 震えているのは正しく物事を認識しているからだ。大翔は人を殺してしまったとそう理解している。


「何があったの?」


「紫花菜と大翔、そして紫花菜の父さんが一緒に銀行に行って、そこで紫花菜の父さんが人を殺したんだ」


「……どうして?」


「元々紫花菜の父さんは飲食店をやっていたんだけど、経営不振になってお金が無くなったんだ。借金を色々抱え込んでいたじゃないかってテレビでそういっていたよ」


 流河はあまり知らない。全部後から知ったことだ。

 当時あまり仲良くはなかった。というより近づきたくなかった。大翔を見ると自分が嫌になっていった。


 そのくらい大翔の成長速度は速かった。


 かけっこも一度も追いついたこともないし、絵を書いた時もその差に余りにも恥ずかしくなった。

 ゲームで一度も勝ったこともないし、粗相も一度もせず、比べられすらなかったのが自尊心を傷つけられた。

 大翔もそれを察してあまり寄っては来なかった。


 顔を合わせるのもほとんどなかった。


 おばあちゃんはそれに対してあまりも咎めなかった。

 というより体力がなかったのだろう。


 持病を抱え、流河の自信をつけさせる元気がなかった。

 おばあちゃんが病気で入院して、家に二人だけになったある日のことだ。


 最初は何かあったのか分からなかった。

 ある日突然警察から電話が来て、警察署にいったら大翔がわんわん泣いていた。

 それから事情を聴いて何があったのかを聞いた。


 どうして紫花菜の父さんがそんなことをしたのか知らない。

 どんな人物なのか流河も分からない。


「大翔君はそれで撃ったの?」


「元々は肩に当てて腕を下ろさせようとおもっていたらしいけど……頭に当たってしまった。紫花菜の父さんも人を死なせてしまって。強盗未遂に殺人を行った。はるとも子供で、周りの聞き込みから正当防衛と判断される決め手になって、何も罰を受けなかった」


 状況的に仕方がないのもあった。

 日本の中で強盗殺人は一般人の中で一番重い罪だ。

 間違えなく死刑になるだろう。

 

 大翔も紫花菜の父さんを何度か撃たれた。

 それで大翔が死んでいたらもっと被害は大きくなっていた。


「むしろ紫花菜の父親は借金で強盗殺人を行おうとしたことやそれに対する非難に紫花菜が傷ついた」


 紫花菜もどうしたらいいのか分からないだろう。

 

 借金を、賠償金を返すために店を、家を潰すことになって、家にあるもの取られ、養護施設に入った。

 そこにアスハがいたことだけが唯一の救いだったはずだ。


 でも大翔は紫花菜に償うことが出来ず、家に引きこもった。

 友達と連絡を取らなくなり、欲を示さなくなった。


 カウンセラーも時間が立たないと立ち直るのは難しいと言われ流河はどうしようもなかった。


 人が死ぬものの物語は読まなくなった。

 スポーツゲーム以外のゲームを、死がある物語が全く読めなくなった。


 流河が誘わなければ一日中膝を抱えて蹲っているときもあった。

 最近こそは見ていないものもご飯も食べなくなったり、水を飲んだだけで泣いたりしていた。


 そして大翔と紫花菜は会うことがなくなった。


「そう、なんだ……」


 重々しい話だっただろう。

 流河は後でフォローしなければと思いつつも、今は自分の願望を話した。


「多分二人会えるのは今回みたいな特殊な状況じゃないと会えなかったと思うんだ。大翔はそれで引き籠りになった。二人が会って大翔が前を向ける何かがあればいいんだけどな」


 たまに紫花菜が家に来た時があったが、その時の大翔の笑顔はとてもまぶしかった。


 あの笑顔を流河はまだ見たことがない。


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