第116話
車窓から外を覗いたセナは、景色の移り変わりに軽く目を瞠った。
リガラ城砦へ向けて王都を出立してから、ようやく七日目が経とうとしていた。
砂漠に囲まれた王都周辺とは異なり、この辺りの地域にはなだらかな丘があり、背の低い樹木が生えている。
馬の手綱を操りながら馬車に近づいたハリルが、丘の向こうを指差した。
「この丘を越えれば、リガラ城砦が見えてくるぞ。もうすぐ到着だな」
「やっと着くんですね……。ハリルさまはリガラ城砦には来たことあるんですか?」
「ああ。ベルーシャ国との国境付近だからな。訓練やら偵察やらで何度も来た。想像より、ずっと大きな城砦だぞ」
ようやく到着するのだ。
感慨深い思いで、セナはぽつりぽつりと緑の生えた丘を見つめる。
この七日間は毎晩、ファルゼフに懐妊指導として抱かれ続けていたので、性技は向上したかもしれないが、体の怠さが継続していた。
情熱的に抱かれて夢中で腰を振っているので、淫紋を見る余裕がないのだが、もしかしたら王都を出たときよりも発情しているのかもしれない。
そのとき、男の逞しい腕にセナの体は搦め捕られた。
「セナ様。大人しく座席に腰かけていてください」
ファルゼフに軽々と抱き寄せられ、彼の膝の上に座らせられる。日ごとにファルゼフは恋人のように過保護に扱うので、戸惑ってしまう。
「あの、ファルゼフ……膝に座ったら……その……」
「なんでしょう」
尻に強靱な腿が当たっているので、夜の行為を彷彿とさせ、体が火照ってしまう。
そればかりでなく、ファルゼフは危ないからと言って、水を飲むときも口移しでセナに飲ませるのだ。
神の末裔たちと、まるで同じである。
ふたりが恋人のように睦み合っている様子は、馬車のカーテンが開けられているとき、当然同行しているアルファたちにも丸見えなのだが、ファルゼフは神馬の儀における全権を王から委任されているので誰も文句を言わない。
「恥ずかしいので……下ろしてください」
「それはいけません。あなた様はいつでも私の膝を椅子代わりにするべきなのです。それが、儀式の成功のためなのですから」
「そうなのですか……?」
儀式のためと言われると強く断れず、セナは言われたとおりにファルゼフの胸に背を凭れさせた。
ぎりぎりと音を立てて、ハリルが歯噛みしているさまが車内まで響いてくる。
セナは冷や汗を垂らしながら、黒馬を馬車に寄せているハリルを横目で見やる。
「この眼鏡め……帰ったら、ただじゃおかねえ……」
さらに見せつけるかのように、ぎゅうっとセナを抱き寄せたファルゼフは、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「なんでしょうか、ハリル殿。わたくしは神馬の儀を無事に遂行させるために、セナ様のお体を気遣っているのです。ご不満があれば、王都に戻ってからお話を伺いましょう」
「……くそ。覚えてろよ」
ハリルは悪態を吐くと、寄せていた馬を離した。
無事に王都へ戻ったそのときには、新たな睨み合いが勃発してしまいそうである。
けれど考えてみれば、ファルゼフがセナを抱くのは彼の言うとおり、神馬の儀を遂行させるためなのである。懐妊指導はそのための訓練のようなものだ。
愛しているからでもなんでもない。
そんなことは当たり前のことなのに、なぜかセナの胸には寂寥感が込み上げた。
ファルゼフの愛撫やキスは優しくて、それなのに貫くときは力強く揺さぶってくる。しかも褥で囁かれる睦言は夜を過ごすたびに甘くなっている。
そのためか、セナの胸にはファルゼフに対する甘い想いが芽吹いていた。
こんな気持ちになっちゃだめだ……
俯いたセナに、鋭く気づいたファルゼフは優しい声音で問いかけた。
「どうしました? 神馬の儀が近づいたので、不安ですか?」
やはり、彼の頭には儀式を遂行することしかない。
セナはそのための駒なのだ。
それなのに、どうしてファルゼフは恋人のように抱くのだろう。いっそ、指導として義務的に抱いてくれれば、こんな気持ちは抱かないのに。
「いいえ……そうではないのですけど……」
「では、お尻が痛いのですか? たっぷり舐めたのですが、昨夜も激しくしましたからね」
「ち、違いますよ! なんてこと言うんですか!」
「では、どういたしました? あなた様のことはなんでも知りたいのです。どうかわたくしに、憂慮の理由を教えてください」
もしかしたら、今しか相談できないかもしれない。
なぜかそう感じたセナは、まっすぐにファルゼフの双眸を見上げた。
「……ファルゼフは、どうして僕を恋人のように扱うのですか? 懐妊指導なら、もっと義務的にしてくれればいいのに……。僕はぼんやりしているから……愛されていると勘違いをして、あなたを好きになってしまいます」
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