第75話
宝石や黄金なんて、セナには必要なかった。それらはとても貴重で美しいものだけれど、宝飾品を愛でるよりも、大好きなラシードを見つめていたいのだ。
兄さま、昨夜はどうして一緒に寝てくださらなかったのですか……
熱の籠もった翡翠色の瞳をラシードに向ける。セナの唇から、甘えた言葉が滑り落ちそうになったけれど、喉元で呑み込んだ。
室内には複数の召使いが待機している。
お仕着せを纏う品の良い男性は王宮の召使いではなく、おそらく宝飾品を扱っている商人だろう。この場でラシードに甘えるのは憚られた。
ラシードは精悍な面立ちに艶やかな笑みを浮かべて、セナを愛しげに見やる。
「そなたはなんと高潔なのだ。セナのためならば、私は世界中の宝玉を掻き集めてすべて贈るというのに」
「とんでもありません。僕は身を飾ることに興味がありませんから」
「だが、今宵だけは身につけておいたほうがよいぞ」
「……え?」
セナは小首を傾げた。
身につけておいたほうがいいとは、どういうことだろう。招待者の間で身につけた宝飾を競うだとかいった催しでもあるのだろうか。
ラシードは意味ありげな眼差しを向けている。お仕着せを纏う商人が慇懃な仕草で、黄金の首飾りを広げて見せてくれた。
「永遠なる神の末裔のつがい様。どうぞ、こちらのお品をご覧になってくださいませ。この首飾りの中央を飾りますのは、稀少な大粒の翡翠でございます。もちろん、黄金も最高級のものが使われております」
幾重にも繊細な黄金の鎖が連なる首飾りの中心には、翡翠色の宝石が輝いていた。
ラシードは少年のような無邪気な笑みを浮かべながら、宝石とセナの瞳を交互に見やる。
「セナの瞳と同じ色ではないか。首飾りはそれにしよう」
「御意にございます」
「それから、腕輪と足輪もだ。明かりの下で栄えるものがよいな」
「それでしたら、こちらの品はいかがでしょう。小粒の金剛石でぐるりと飾っておりますので、どの面からも明かりを反射いたします」
「付けてみよう。さあ、セナ」
ラシードに導かれ、服を採寸するときと同じ台座の上に立つ。商人から宝飾品を受け取った召使いが、セナの肌に直接触れないよう気をつけながら、選んだ首飾りや腕輪、それに足輪を付けてくれた。
黄金と宝玉は窓から射し込む陽の光に、きらきらと煌めいた。
向かいの椅子に腰を下ろしたラシードは、真剣な双眸で着飾ったセナを眺める。
「ふむ……。セナ、くるりと回ってみよ」
「こうですか?」
台座の上で、くるりと回転してみる。
セナには全くわからないが、動いたときの輝きがラシードは気になるらしい。
「動いたときに華やかに見えるものがよいな。鎖が揺れるような品はないのか?」
「ございますとも。踊りが栄えるように作られた、こちらのお品はいかがでしょう。手首と腰に巻きつける仕様になっておりまして、腕を広げれば羽根のように見えて美しゅうございます」
「それだ! さあ、セナ、付けてみてくれ。これはきっと似合うぞ」
「は、はい……」
ラシードはとても楽しそうに、あれこれと宝飾品を選んではセナに試着させている。
ところがセナの装身具ばかりで、一向にラシードは自分のものを選ぼうとしない。
舞踏会にはラシードも出席するのではないだろうか。
セナは首を捻りながらも、羽根のように見える黄金の鎖を身につけた。
宮殿の舞踏会は煌びやかな光が溢れている。
幾千もの明かりが灯された黄金の燭台。磨き上げられた大理石の床に灯火が映り込み、幻想的に揺らめいている。
ゆったりとした音楽が演奏される中、楽しそうに円舞を踊る紳士たち。
彼らはラシードが指名した王侯貴族のアルファと、その愛人のオメガたちだ。
円舞を目にしながら、セナは椅子の上で身を縮めていた。隣には正装のシャルワニを纏ったラシードが、ゆるりとグラスを傾けている。
「どうした、セナ。もっと胸を張って、そなたの身につけた黄金と宝玉を彼らに見せてあげたらよいだろう」
「……それは、その……」
胸を張れるわけがない。
セナは裸なのである。
一糸纏わぬ体に、昼間ラシードが選んだ宝飾品のみを身につけているのだ。
黄金の首飾りと、腰と手首が繋がれた金の鎖。それに幾つもの金剛石が付いた足輪。
それだけである。
もちろん花芯も乳首も、覆い隠すものは何もない。
身を縮めて、できるだけ人の目に触れないようにするしかなかった。
「恥ずかしがることはない。今宵は特別な舞踏会だ。招待客は、私が指名した信用のあるアルファとオメガたちなのだから。皆はそなたの特別な衣装を楽しみにしている」
ラシードの特別な舞踏会とは、こういうことだったのだと理解した。
セナだけでなく、オメガたちは全員が裸なのだ。
ただし彼らは仮面を被り、装身具は付けていない。
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