第65話
寝室にある寝椅子にぐったりと身を凭れさせたセナは、甘い呼気を吐く。
宰相の執務室でラシードに延々と抱かれてしまった。成り行き上のこととはいえ、場所を考えると羞恥が込み上げてしまう。
最後は意識を手放したセナは、ラシードに抱き上げられて、この寝室まで運ばれたのだった。
朦朧とする意識の中で湯浴みを施され、清潔なローブを着せかけられた。そういったことは召使いに任せるものなのだが、ラシードはすべて自らの手で甲斐甲斐しくセナに世話を焼いてくれた。最後にセナの体を寝椅子に横たえてくれたラシードは、濡れたセナの髪を撫でて額にくちづけを落とした。「仕事を片付けてから、また様子を見に来る」と言い残して……
召使いの用意してくれたミントティーに手を伸ばして、唇に含む。
清涼なミントの香りが気怠い体を癒してくれるようだった。
「兄さま……」
ぽつりと零した呟きは、静かな室内に溶けて消えた。
指先で唇をなぞれば、ラシードの雄々しい唇の感触を思い出す。
つい先程まで情熱的に抱かれていたというのに、もう寂しさを覚えている。
この寝室は、王の家族が住まいにしている王宮の区画の中の一室だ。
三人で寝ても充分な広さの豪奢な寝台に、天鵞絨張りの寝椅子。大理石のテーブルをぐるりと囲む円形型のソファは十数人が腰かけられるほど広々としている。よくこのソファで三人で話している最中に、ふたりが密着してきて愛撫が始められることも度々ある。
隣室には屋内と屋外両方の浴室が備え付けられているので、情交のあとに三人で浴室を使用する。洗うだけのはずが、いつのまにか愛撫されて、ふたりの雄を銜え込まされていることも度々ある。
神の末裔たちとセナが愛を交わすための専用の寝室で、連夜ラシードとハリルのふたりに抱かれていた。王子たちがこの部屋に入ることは許されていない。昼間はよいのではと、それとなく異議を申し立てたこともあったが、却下されてしまった。
神の子を孕む神聖な場所を侵してはならないという法らしい。
それはつまり、ファルゼフが言ったように、もっと子を孕めということだ。
己の役目は心得ているつもりだけれど、子を産むだけの器のような存在意義に、どうしようもない虚しさを覚えてしまう。
セナは以前は、奴隷オメガとして劣悪な環境で働き、誰にも顧みられない矮小な存在だった。
それがラシードに見出されて、神の贄という地位を与えられ、王宮で手厚い待遇を受けるようになった。実は王の隠し子であるということが判明して、永遠なる神の末裔のつがいという、誰も与えられたことのない至上の地位をいただいた。無事に子を産むこともできた。 それらの恵まれた幸せを享受することができるのもすべて、ラシードのおかげなのだ。
彼が弟であるセナの行方を捜してくれなければ、セナは今も奴隷として働いていただろう。もしかしたらどこかのアルファに買われて、無理やり犯され、孕まされていたかもしれない。 当たり前の幸せだと思ってはいけない。
セナには隠された神の子という、産まれながらに背負った宿命がある。
ラシードは何も言わないけれど、弟のほうが兄よりも地位の高い神の子だなんて許しがたいという気持ちが、彼の心の片隅にはあるかもしれない。否、あって然るべきだろう。ラシードの器が大きいから、そのような嫉妬心を見せないだけだ。
セナを大切に扱ってくれるラシードのためにも、彼の役に立たなければならない。
それは無論、さらに子を孕むことに他ならない。
ふと、セナはローブを捲り、下腹に刻まれた淫紋を確認した。
真紅の淫紋は、いつもと同じ紋様である。
「そういえば、動いたのかな……?」
先程ラシードに抱かれていたときは体が火照り、わけがわからなくなってしまうくらいに、雄を求めてしまった。思い返せば、恥ずかしい台詞を吐いて、自らラシードの雄芯に舌を這わせるだなんて大胆なことをした。下腹自体も、とても熱かった気がする。
けれど湯浴みを済ませて落ち着いた今は、あのときの熱はすっかり冷めていた。
もしかして発情期が訪れたのかと思ったけれど、体の調子はいつもと変わらない。まだ少々下腹の奥が疼くような感じがするけれど、これは激しい情交のあとに起こるものだろう。 そのとき、重厚な扉の向こうから召使いの声が届いた。
「王のお越しにございます」
セナはすぐさま立ち上がり、開かれた扉から姿を現したラシードの胸にまっすぐに飛び込んだ。
「兄さま……! 会いたかった」
様々なことを考えてしまったせいだろうか。ラシードの胸に抱かれて甘えたい。
微笑を浮かべたラシードは胸に縋りつくセナの体を優しく抱き留める。
「まるで千夜、王に恋い焦がれた姫のようだな。私の愛する姫は先程の情事では満足できなかったか?」
茶化すラシードの胸に顔を埋めて、セナは首を振る。
「いいえ……体は満足しています。僕は兄さまに愛されて幸せです。でも、不安なのです……」
「何がだ? 私は王だ。そなたの不安はなんでも取り除こう。太陽を隠す雲が気に入らないと言うのなら、すべての雲を消し去ってみせよう」
軽々と華奢な体を抱き上げたラシードは、円形のソファに向かい、そこにセナを下ろした。自身もセナに寄り添うように腰かけて、ぴたりと体を密着させると、優しくセナの肩を抱く。空いたほうの手で、セナの白い手が掬い上げられる。互いの指を絡めて繋がれた手は、ぎゅっと握りしめられた。
ラシードの漆黒の双眸は瞬きもせずにセナを見つめている。
セナは、王のすべてを独占していた。
兄さまは、僕をとても気遣ってくれている……
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