第12話

ラシードはそんなセナの様子に目を配っていたが、ふいに手にしていたグラスを置いた。

「セナ。食事は美味か?」

「……は、はい。とても、おいしいです……」

「体の具合はどうだ。まだ痛みを感じるか?」

「……平気です。何ともありません」

ラシードが気遣ってくれるのに、怯えながら返答する。声が震えてしまうのを抑えられない。セナの怖れをどう取ったのか、ラシードは声をひそめた。

「私に抱かれたのは嫌だったのか?」

はっとして顔を上げる。

嫌だなんて、そんなことはなかった。ただ初めてのことなので衝撃的ではあったが。

王であるラシードが自らの王宮で、奴隷のセナに機嫌を窺うなんてことがあってはならない。セナは慌てて言い募る。

「嫌なんてことはありません。ラシードさまは僕を優しく抱いてくださいました。僕の不安は……贄のことなのです」

もし殺されるとしても、そのときはラシードの手で心臓を取り出してほしかった。唇を震わせるセナだったが、対してラシードは安堵したように微笑を浮かべた。

「神の贄となるのはとても名誉なことだ。安心して身を委ねれば良い」

「はい……。ラシードさまが、僕の心臓に刃を突き立ててくださるのですか?」

「うん? 心臓だと? そなたはもしや、贄として殺されるのだと思っているのではあるまいな」

セナは眸を瞬かせる。生贄というからには命を捧げるという意味だと思ったのだが。

「僕を神の贄として捧げるのではないのですか?」

「確かにそうなのだが、殺めるわけではないぞ。どこぞの邪神ではあるまいし、イルハームは慈悲に満ちた神だ。殺生など好まぬことは、そなたもよく知っているだろう」

ラシードの言うとおりだ。イルハーム神への供物に、動物などを殺して捧げる習慣はない。セナは思い違いをしたことを恥じた。

「申し訳ありません。イルハーム神へ、とんでもない侮辱をしてしまいました」

鷹揚に頷いたラシードはグラスを掲げた。召使いが黄金の酒器から酒を注ぐ。

「気にするな。そなたが贄としての務めを果たせば、イルハーム神もお喜びになろう」

「お務めとは、どんなことをすればよろしいのでしょうか?」

命を捧げるのでなければ、何をすれば良いのだろう。贄というからには、掃除や祈りだけで済むとは思えないのだが。

「先ほど私の精を受けて淫紋が刻まれたが、あれが儀式の始まりと思って良い。王家に代々伝えられてきた淫神の儀式は、イルハーム神に快楽を捧げることを主とする」

「儀式……なんですね」

王家に代々伝わるということは、これまでも繰り返されてきたことを表している。神の贄はセナが初めてというわけではないのだ。

「儀式は手順どおりに行われる。次は奉納の儀だ。そなたは神の贄として、すべての儀式をこなさなければならない。そして拒否することは許されない。その淫紋がある限り、イルハームはセナを贄として選んだということなのだから」

贄としての重い責任を感じて、セナはごくりと息を呑む。

イルハームに選ばれた贄。

そうだとしたら、敬虔してやまないイルハームのために何があろうとも尽くさなければ。

「分かりました。僕は贄として、一生懸命にお務めさせていただきます」

それが王であるラシードのためにもなる。

王族として代々継承されてきた儀式を執行する務めが、ラシードにはあるのだ。

彼のためにも、贄としての務めを懸命に果たそう。

「そうか。セナのその覚悟があれば、儀式は無事に遂行されるだろう。奉納の儀は明日、執り行われる。今夜はゆっくり眠り、体を休めるとよい」

柔らかい微笑をむけてくれたラシードに笑顔で応える。

結局、儀式の詳細についてはラシードの口から語られることはなかった。快楽を捧げるとはいうものの、贄の務めは具体的に何をすれば良いのかは分からないままだ。おそらく、王族しか知ることができない内容なのだろう。

一抹の不安はあるけれど命を捧げるわけではないと明確に知ることができたので、セナは安心していた。

その日の夜、豪奢な寝台でひとり眠るセナは何やら下腹に重苦しさを覚えた。しきりに寝返りを打つ。

「……ん、ぅん……」

けれど睡魔には勝てず、また眠り込んだ。

あどけない寝顔を見せて寝息を立てるセナの下腹に刻まれた淫紋が、妖しく蠢く。真紅の紋様は何かを求めるように、うねり続けていた。



朝日が射し込む中庭の水盤は、きらきらと輝いている。緊張のためか早朝に目を覚ましたセナはパティオと呼ばれる神殿内の中庭に出た。

水を湛えた水盤の煌めきを見つめていると、ふいに思い出す。

昨日の食堂で、騎士団長のハリルと彼の部下らしき男が儀式や贄について話していた。それは今のセナにとって重要なことだったのだ。

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