第50話

「それだけじゃないだろ。ほら、セナ。解放されたオメガたちも来てるぞ」

ハリルの指摘に見渡してみれば、アルファとベータだけではなく、奴隷だったオメガたちもお祝いに駆けつけてくれていた。

何でも望みを叶えると言われたセナが望んだことは、奴隷制度の廃止だった。

自由に住む場所を選んで、仕事を選び、好きな人と結婚する。もう奴隷の身分を誰も嘆くことはない。

オメガをひとりの人として認めて奴隷の地位から解放することが、セナの胸にあった強い願いだ。

奴隷の廃止は永遠なる神の末裔のつがいが下した決定として、トルキア国の全土に交付された。各地のオメガ街で行われていた奴隷市場は廃止され、オメガたちは隷属から逃れることができた。市民権を得たオメガは、今後は自らの人生を自由に選ぶことができる。もう無給で働くこともないし、未来に絶望することもない。セナのように家族と会いたいと願っているオメガも、その望みを叶えることができるのだ。

実現してくれたラシードとハリルに感謝しながら、市民となったオメガたちに笑顔を見せれば大歓声が湧き起こる。ラシードは穏やかな笑みを浮かべた。

「階級制度を塗り替えた神の贄か。セナの名は、永久にトルキアの歴史に刻まれるだろう」

ふたりの運命のつがいと、ふたりの王子と共にトルキア国民の歓声に応える。

雲ひとつない蒼穹の空の下、セナはいつまでも人々に手を振り続けた。



丘の上に到着すれば、懐かしさに胸が熱くなる。

セナが昔、奴隷オメガとして食堂で働いていた頃に毎日磨いていたイルハームの神像は、当時と変わらぬ姿のままで鎮座していた。

王宮の祭事や子育てに忙しくて中々訪れる機会が得られなかったが、こうしてまた来ることができてとても嬉しい。セナの出発点は、砂漠を見据えているこのイルハーム神だったから。

「母さま、だれかいるよ」

双子の王子に両手を引かれて神像に近づいてみれば、掃除を行う人影が見えた。

三才になった王子たちは、ひとりは黒髪に漆黒の眸をしていてラシードに瓜二つだ。もうひとりは赤銅色の髪に茶色の眸で、ハリルによく似ている。ふたりともとても腕白でよく喧嘩もするが、健やかに育ってくれた。

掃除をしている男性に見覚えがあったセナは声をかけた。

「あなたは……食堂で一緒に働いていた方ですね」

男性はセナたちに気がつくと、はっとして平伏する。

「失礼いたしました! 永遠なる神の末裔のつがいさま、王子さまがた」

間違いない。食堂の同僚だったオメガの男性だ。彼に皿洗いを言いつけられたり、奴隷市場で横に並んだりしたことも今となっては遠い思い出となった。

「お久しぶりです。顔を上げてください。あなたが僕のいなくなったあと、このイルハームさまを磨いてくれたんですね。ありがとう」

男性は気まずそうに頭を掻いた。ここを訪れるまでは神像がどうなっているか不安だったが、彼が綺麗にしていてくれたことを知って安堵する。

「実は……掃除を始めたのは最近なんです。俺が結婚できたのも、セナさまのおかげなので。奴隷を解放してくれて、ありがとうございました。オメガたちはみんな喜んでいます。俺も食堂の主人と結婚して、結局同じところにいるんです。それでセナさまが丘の上のイルハーム神を掃除していたことを思い出したんです」

「そうだったんですね……。良かった」

彼が幸せになってくれて良かった。縁とは不思議なものだが、やはり初めからつながっているらしい。過去には辛いこともあったけれど、セナのしたことは何ひとつ無駄ではなく、輝かしい未来へ向かっていたのだ。

感無量で涙ぐむセナと男性を不思議そうに見ていた王子たちは、置いてあった箒や布巾を手にして駆けだした。

「いるはーむさま、おそうじする!」

「ぼくも!」

「ああっ……王子さまがたがそのような……」

セナは微笑みながら自らも布巾を手にした。

「みんなでお掃除しましょう。ふたりとも、神像に登っちゃだめだよ」

はあい、と可愛らしい返事が爽やかな風に乗る。

イルハーム神は穏やかな表情で、トルキアのすべてを見守っていた。

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