第52話

 純白のローブを颯爽と風になびかせながら、ラシードは王子たちに朗らかな声をかける。

「礼はよい。今日は王子たちに嬉しい知らせがある」

「なんでしょう、王さま!」

 嬉しい知らせと聞いた王子たちの瞳がきらきらと輝く。

 ラシードは双眸を細めて、可愛らしい王子たちを見やる。

「勉強の時間だ。本日は宰相のファルゼフがふたりに特別講義してくれるそうだ。彼は王立大学院を首席で卒業した秀才ゆえ、知らぬことはない。疑問があればなんでも訊ねるがよい」

 王子たちの顔から笑みが消える。

 最近の王子たちは、勉強の時間にぼんやりとして教師の講義を聞き流しているそうなので、ラシードは特別な講師を用意したようだ。

 ラシードの後ろに控えていた宰相のファルゼフは、眼鏡の奥の理知的な双眸を細める。

「よろしくお願いいたします、王子様がた。わたくしは人に物事を教えることが大好きなのです。聞き逃す暇などありませんから、楽しい勉強の時間を過ごせますよ」

 柔らかい物言いだけれど、言外に威圧を含んでいる気がする。

 マルドゥクの後任として新しく宰相に就任したファルゼフは年若く、ラシードと変わらないほどの年齢である。宰相という権威ある重職には、経験や実績を考慮して選ばれるものだが、前任のマルドゥクが謀反を起こそうとした経緯もあるので、才能や人柄を重視したうえでラシードが彼を指名したのだそうだ。

 セナは挨拶程度しか言葉を交わしたことがないが、ラシードの背後に常に付き従うファルゼフは、慇懃で柔らかい物腰の好青年という印象だ。しかも顔立ちも端正で、頭のよさが滲み出た理知的な空気を纏っている。女性の召使いが幾度も瞬きをしながら一心にファルゼフを見つめているのも無理はない。

 ところが王子たちは唇を尖らせながら、ファルゼフから顔を背けた。

「べんきょう、やだなー」

「ファルゼフ、こわい」

 イスカとアルはまったく歯に衣着せず、正直すぎる感想を述べる。ラシードの前なので、がんばりますくらい言ってほしいのだが、子どもは親の思うとおりにはいかないものだ。セナが想像しても、ファルゼフの講義はさぼるどころか、瞬きすら許されないという気がするのだけれど。

「ふたりとも、がんばってお勉強してください。あとでかあさまと、おやつを食べましょうね」

 やる気を出させるつもりで声をかけたのだけれど、ふたりはセナの足にしがみついてしまった。彼らの勉強を拒否するような仕草に、ラシードが厳しい声音を出す。

「セナ、王子たちを甘やかすな。彼らはトルキア国を背負う宿命を持って生まれた。そのためには幼い頃より高度な教育を受けさせなくてはならない。いつまでも母に隠れているようではいけない」

「わかっています……でも……」

 ふたりとも、まだ四歳なのだ。甘えたい年頃なのに、毎日のように講義や剣の稽古を詰め込まれて、遊ぶ時間もままならない。もっと自由に遊んだり、甘えさせてあげたりしたいのに。

 せめてもと、セナはふたりの背を優しくさする。

 そこへ、重厚な足取りが庭園へ向かってくるのを耳にする。

「おい、おまえら。さっさと講義を済ませてこい。あとで騎士団長の俺が直々に剣の相手をしてやる」

「ハリルさま!」

 褐色の髪を持ち、目尻の垂れたハリルは鍛錬場から直接やってきたようだ。精悍な顔立ちと逞しい体からは、匂い立つような猛々しい雄を感じさせる。

 彼も王子たちの父である。

 ハリルはラシードの従兄弟であり、『神の末裔』の地位を持つ。儀式で彼らふたりから精を注がれ、セナは孕んだのだ。

 ラシードと同様に、王子たちがハリルを『とうさま』と呼ぶことはない。

 けれど気さくなハリルは、兄のような気軽さで王子たちに接していた。

「俺に勝ったら、伝説の剣を譲ってやるという約束だからな。もっとも、おまえらが俺に勝てるのは百年後だ。つまり永遠に勝てないってことだな」 

「そんなことないもん!」

「そうだよ! 今日はぜったい勝てるもん!」

 ぎゅっと掴んでいたセナのローブを離した王子たちは口々に言い放つ。ハリルは子どもの扱いが上手なようで、王子たちもハリルと剣の稽古をするのは嫌がらず、積極的に臨んでいる。

 ふたりはファルゼフのもとへ小さな足で駆けると、彼の袖を引いた。

「ファルゼフ、はやく勉強するんだぞ。今日はぜったい伝説の剣をもらうんだ!」

「ボクも伝説の剣ほしい! 勉強がんばる!」

 ハリルは口端を吊り上げて親指を立てる。

 数分前に嫌がっていたことはすっかり忘れてしまったようで、ハリルにのせられてしまった王子たちはファルゼフを急かす。

「やる気になったようで、ようございます。それでは講義に行って参ります、ラシード様。セナ様」

「よろしくお願いします、ファルゼフさま」

 王子たちをぶら下げるようにして王宮へ赴くファルゼフに声をかける。鷹揚に頷いたラシードは彼らの背を見送ると、セナの腰を抱いて、庭園を眺められる長椅子に腰を下ろした。

 砂漠の国であるトルキア国は陽射しが強いけれど、日陰は涼しい。

 木漏れ日の降り注ぐ日陰には休憩ができる長椅子とテーブルが設置されている。すぐさま召使いが冷たい飲み物が入ったグラスと果物の盛られた籠をテーブルに置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る