第53話

 ラシードはグラスを手にすると、自分の口元に運ぼうとはせず、セナの唇に縁を付けた。

「さあ、セナ。王子たちの相手をして喉が渇いただろう。冷たいレモン水で喉を潤すのだ」

「ん……」

 グラスを傾けられ、ほんのりと甘酸っぱい水が喉奥に流し込まれていく。セナは喉を鳴らしながら、ラシードに与えられるまま冷たいレモン水を嚥下した。

 冷たくておいしい……

 白い喉を鳴らすセナを、ラシードは熱を帯びた双眸で凝視している。

 そんなに見られたら恥ずかしいのに。

「ふ……おいしいです」

 グラスを離したラシードは微笑むと、濡れたセナの唇を舌で舐め上げる。突然のキスに、セナはびくりと肩を跳ねさせた。

「ひゃ……」

「唇が濡れてしまった。拭わなくては」

「んん……自分で拭けます」

「それはいけない。そなたは私の妻なのだから、夫にすべてを任せるのだ」

 王子たちを甘やかすなというラシードなのに、セナに対してはこうして雛のように甘やかすのだから、困ってしまう。それにすぐにセナを抱き寄せて甘い言葉を囁いてくるのだ。肩書きは夫婦ではないので、王としての威厳を優先してほしいのに、ラシードは所構わずセナは妻だ妃だと口にしてしまう。妻だと認めてくれるのは嬉しいのだけれど、ラシードは王なのだから、王自ら国の掟を覆すようなことを述べるのは控えてほしいのに。

 ちゅ、ちゅ、と唇を啄まれているセナは、逞しいラシードの腕の中にすっぽりと収められていた。

「あ……ん、ラシードさま、いけません……」

 このまま抱かれてしまったらどうしようと危惧したセナは身を捩るけれど、しっかりと腰を抱えられているので逃れられない。無駄に手をばたつかせると、ふいにその手を何者かに掴まれた。

 永遠なる神の末裔のつがいという身分のセナに、無断で触れることのできる者は限られている。

「おいおい、すっかりふたりの世界かよ。何度も言うが、俺もセナの夫で、神の末裔なんだぞ。ラシードと同等の地位なんだ」

 ぐいとセナの腰を引き寄せたハリルの強靱な腕により、彼の逞しい胸の中に囚われる。

「あっ……ハリルさま」 

 兄であるアルファの国王と、弟のオメガが儀式で交合して産まれた神の子が王位を継ぐという伝統がトルキア国には受け継がれている。初代国王が定めたその法により、淫紋の一族の統治は脈々と続いてきた。だが、先代の王は儀式で子ができなかったので、異国からの妃を娶った。そうして産まれたのが第二五代国王であるラシードだ。

 しかし母親は異国の妃なので神の子とは認められなかったラシードは、それより地位の低い神の末裔という地位である。トルキア国の豊穣と繁栄を司るイルハーム神の末裔とされる王族の間でも、アルファ・ベータ・オメガの三種の性と同様に、厳格な支配階級が根強い。

 神の子であったなら、セナを孕ませるのはラシードのみだったのだが、王が神の末裔であったため、同じ神の末裔であるハリルも儀式に選ばれたのだ。そのことは王とはいえ意見は通らず、大神官の采配によるものらしい。

 よってセナはふたりの神の末裔に愛され、ふたりの王子を産んだ。

 そのことは大変ありがたく、幸せなことなのだけれど。

 ラシードはセナを奪ったハリルに鋭い眼差しを浴びせる。

「なんだ、いたのか。貴様は剣でも槍でも振るっているのが似合いだ。私も何度でも言わせてもらうが、セナは私の弟だ。ハリルは従兄弟だろう。私と同等などと思い上がりも甚だしい」

 堂々と言い放つラシードは、ハリルの腕からセナを奪い返した。しっかりと腕に抱き竦める。

 ハリルは眉を跳ね上げた。

「兄弟だから、なんだよ。セナはラシードが兄で王様だから仕方なく敬ってるだけなんだよ。閨での喘ぎ声でわかるだろ。明らかに俺に突っ込まれてるときのほうが、あんあん啼いてる」

 閨での秘め事を晒されて、セナの顔が真っ赤に染まる。

 子が産まれて一段落かと思いきや、ふたりは毎夜のようにセナを抱くのだ。双方とも一歩も譲らないので、セナはふたりから交互に精を注がれて、熱心に愛されている。

 ハリルは再びラシードからセナを奪うと、軽々と華奢な体を抱え上げた。強靱な己の膝の上に乗せる。

「あの……仕方なく敬ってるなんてことは、ありません……」

 小さな声で訴えてみるが、神の末裔たちは互いに睨み合ったまま視線を外さない。

「おまえは黙ってろ」

「セナ、こちらに来い」

 ラシードに上体を引かれたセナは、上半身はラシードに抱き竦められ、下半身はハリルに抱えられるという格好になる。

 ふたりは度々セナを取り合っては口論に発展する。それも互いを認めている証だろうとは思うのだけれど、もう少し仲良くしてほしいというのが、セナの悩みのひとつでもある。

 セナの黒髪を優しい手つきで撫でたラシードは、ハリルに向けて硬い声音を出す。

「ハリルは虚言ばかりだ。私こそを愛しているとセナは毎夜、口にしているではないか」

「はあ? ラシードが要求するからだろ。愛していると言え、なんて図々しいこと言ってるだろうが」

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