第70話
短剣の一撃を槍で受け止めた。
だが体勢が崩れかけていたため、後方に吹っ飛んでしまった。
尻餅をついたバハラームに追撃をかけようと、着地したシャンドラは俊足で突進する。
「そこまで! 反則により、シャンドラを失格とする」
審判が旗を掲げた。
それを横目で確認したシャンドラは素早く飛び退くと、腰に短剣を収める。
セナたちはテントから出て、バハラームのもとへ駆けつけた。
「副団長さん! 大丈夫ですか?」
すでに騎士団員たちがバハラームを抱え起こしている。
目や口に砂が入ったため、バハラームは顔を拭っていた。
「いやはや、まさか太陽と砂で二重の目潰しとは……参りましたな」
彼に怪我はないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
シャンドラの気迫は、あのままバハラームを斬り殺しそうな勢いだった。審判が旗を掲げなければ大事に至っていたかもしれない。
状況を確認したハリルは、シャンドラに厳しい眼差しを向けた。
「飛び道具の使用は反則行為にあたる。これは練習試合であって、殺し合いの場じゃない。失格の判定に異議はあるか?」
皆はシャンドラが異議を唱えるのではないかと、固唾を呑んで黒衣を見やる。
シャンドラは試合の前と同じように腕を下げ、黙然として佇んでいた。彼の瞳には感情が見られず、ただ目に映る景色を収めているだけのように見える。
フッ、とわずかに首を横に振った。
どうやら、異議はないという意思表示のようだ。
不躾とも取れる態度に、騎士団員たちが身を乗り出した。
「おい、貴様! 騎士団長の問いにきちんとお答えしろ!」
「膝を突いて礼を尽くさぬか。貴様などより遙かに地位の高い御方なのだぞ!」
彼らの罵声に、すいとシャンドラは動いた。闘技場の石段を下り、こちらへやってくる。
意外にも素直なシャンドラに、熱くなった騎士団員たちは肩の力を抜く。
シャンドラは慇懃な仕草で跪いた。
「え……?」
セナの足元に。
まさか、シャンドラはセナが騎士団の最高責任者かと勘違いをしているのだろうか。
ハリルはセナのすぐ隣に立ってはいるのだが、シャンドラはセナの爪先を見つめるほどの近さに頭を下げて跪いているのだ。騎士団長であるハリルに話すべきなのに、相手を間違えている。
セナは慌てて言い募った。
「あの、僕は単なる見学者なのです。騎士団の責任者であるとか、そういった身分ではありません。試合についてのことは、どうかハリルさまとお話ししてください」
シャンドラは頭を上げた。
鋭い双眸でセナを射貫く。
挑戦的で生意気に見える目つきは、彼が戦いに明け暮れる環境にあることを教えていた。
「存じています、セナ様」
けれど、その眼差しには淫靡な熱が含まれている。
アルファの騎士団員たちと同じだ。
俺が抱いた神の贄……また抱きたい。
眼差しから滲み出る雄の誇らしさや欲情。
初めて会ったのに、シャンドラはどうしてそんな目を向けるのだろう……?
「あ……どうして、僕のことを……」
「俺は、あなたのアサシンですから」
深く礼をしたシャンドラは流れるような動きで立ち上がり、踵を返す。黒衣の背を向けて、音もなく鍛錬場を出て行った。
バハラームは眉をひそめて、ぽつりと呟く。
「不気味な男ですな……」
「ファルゼフのやつ、いい猟犬を飼ってるな」
騎士団長を無視するという不躾な態度を、ハリルは気にしていないようだ。
失格にはなってしまったが飛び入りの参加だったので、シャンドラもルールをよく知らなかったのだろう。
彼の強さは戦闘経験のないセナも頷けるものだった。
とてつもない俊敏さだ。暗殺術についてはよく知らないが、きっと密かに要人を暗殺するための技術なのだろう。
アルが甘えるように、セナの手と自らの小さな手を繫いだ。
「ねえ、かあさま。アサシンって、なんのこと?」
シャンドラが最後に告げた台詞が脳裏によみがえる。
ファルゼフの側近なのに、どうしてセナの部下などという言い方をしたのだろう。何かのたとえなのだろうか。
「ええと……アサシンは、暗殺者という意味ですね。職業を指す場合もあるみたいです」
「ふうん。かっこいい! ボクはアサシンになりたいな」
「えっ……アル、それはちょっと……」
かっこいいというイメージだけで職業の内容をわかっていないらしいアルは楽しそうに言う。イスカはアルの腕を取り、繋がれていた手を引き剥がした。
「かあさまに甘えてばかりいるアルは、かっこいいアサシンになれないぞ」
「これはちがうもん! アサシンになるもん!」
「おれはやっぱり槍騎士がいいな。槍がいちばんかっこいいよ」
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