第67話

 発情期は訪れているものの、その割合は大変低いものらしい。

 オメガは男でも妊娠可能な体だけれど、発情期以外の妊娠率はそう高くはない。特にセナはふつうのオメガとも少々異なる体質だ。やはり、懐妊する鍵は淫紋にあるのだろうか。

「すみません、ラシードさま……」

「そなたが謝ることはない。これからどうすればよいか、共に考えよう」

「はい……」

 ローブを着せてくれたラシードの瞳は、どこまでも優しい。

 けれどラシードもやはり、三人目の子を望んでいるのだ。セナには要求しないけれど、医師に対したときの焦燥がそれを表していた。

 安定的な王位継承のため、そして、淫紋の一族のために。

 ラシードの期待に応えたい。

 ぎゅっと抱きしめてくれたラシードの背に、セナは細い腕を回した。



 鍛錬場には野太い歓声が轟いている。

 鎧を纏う騎士たちの交わす剣戟の鋭い音が、蒼穹の空に響き渡る。やがて片方の騎士が体勢を崩し、地に伏した。

「それまで!」

 審判の赤旗が掲げられる。

 本日は騎士団の試合が行われていた。

 試合といっても公式の試合ではなく、週一回行われる恒例の練習試合である。訓練の成果を発揮させる場であり、騎士団内で誰が最強かを示す意味合いもあるのだという。

 セナは設置されたテントの中に置かれた籐椅子から、試合の様子を観戦していた。

 王子たちはハリルから剣の指導を受けているので、近頃は毎週のように鍛錬場を訪れている。

 アルとイスカはまだ試合には参加できないので、セナの隣で大人しく座って……いられるわけもなく、やんちゃな盛りのふたりはテントの中で木刀を手にして戦いを初めてしまった。 イスカに押し負けたアルは、尻餅を突いてしまう。

「うわあん、かあさま~」

「アル、泣かないで」

 泣き出してしまったアルを助け起こそうとしたら、ハリルはアルの襟首をひょいと掴み上げる。まるで猫の子のように、自らの膝の上に乗せた。

「おまえら、大人しく試合を見てろ。剣士の技を観察するのも、強い剣士になるためには必要なことだぞ」

「はぁい、ハリルさま」

 ふたりは口を揃えて返事をする。

 アルはハリルの膝の上に大人しく収まり、イスカはセナの隣に設置された王子の席に着いた。

 やんちゃなふたりも、剣の師匠であるハリルの言うことは素直に聞いてくれる。それにハリルは、ふたりの父でもあるのだ。王子たちに愛情をもって接してくれるハリルに、セナは微笑みを向けた。

「ありがとうございます、ハリルさま」

「セナの手を煩わせることはないさ。特にアルは甘えん坊だから、セナが傍にいるとすぐに『かあさま、かあさま』だもんな。誰に似たんだかな」

 黒髪をわしゃわしゃと掻き混ぜられたアルは、ほっぺたをぷうと膨らませる。

 セナは気まずさに視線を逸らした。

 寝室で情事に及んでいるときは、ラシードを「兄さま」と甘えた声で幾度も呼んでいる自覚はある。それは同じ寝台にいるハリルも、もちろん耳にしている。

 セナの甘えん坊をアルは受け継いでいると、ハリルは揶揄しているのだ。

 昼間にそんなことを暗に指摘しないでほしい……

 大人の事情など露程も知らないアルは、ハリルに抱っこされながらバタバタと足を揺らした。

「ボク、そんなに甘えん坊じゃないもん。ハリルさまだって、かあさまのこと『セナセナ』呼んでる」

「おいおい……」

 反論できないハリルに、イスカが追撃した。

「ハリルさまもアルも、お喋りしてないで試合を見ないといけないんだよ。他の人の戦いも見てないと、強い剣士になれないんだよ」

「あのな……」

 王子たちの多彩な攻撃をまともに受けてしまったハリルは額に手を遣り、嘆息した。

 セナは笑いを噛み殺しながらも、微笑ましく三人のやり取りを見守る。

 ハリルが見学しているのは、試合に参加すると必ずハリルが優勝してしまうためである。結果がわかっていると騎士たちのやる気が削がれてしまうので、騎士団長であるハリルは毎回、見学なのだ。

 試合が行われている闘技場では次の対戦が繰り広げられている。

 剣士と槍騎士の戦いだ。

 武器のリーチに差があるので、間合いの取り方が難しくなる。

 騎士団で使用する武器は主に剣だが、槍の使い手もいる。試合には各々が得意な武器で参加してよいルールだが、白刃戦なので弓の使用だけは禁じられていた。

 勝負は数秒の間に決した。

 槍騎士の繰り出した一撃で、剣は即座に薙ぎ払われてしまったのだ。どうやら互いの実力には大きな差があったらしい。

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