第41話
マルドゥクの告白と事実は異なっているように思える。だが今、論ずべきなのはセナの出生よりも、王の側近であるマルドゥクがトルキア国そのものを裏切るような真似を行おうとしていることだった。
「なぜです。マルドゥクさまはなぜ僕や子を殺そうとするのですか。ラシードさまの側近なのに、国へ対する裏切りではありませんか」
もし孕んでいれば、お腹の子は次期国王となる。マルドゥクがセナの母体ごと殺してしまえば死罪は免れない。儀式に懐疑的とはいえ、マルドゥクがそこまでするには明確な理由があるはずだった。
双眸を細めたマルドゥクは平淡に告げた。
「我らの一族は、古くはこの地方を支配していた領主だった。ところが神の子を騙る簒奪王が我らの領土を奪ったのだ。淫紋の一族を滅ぼして国を取り戻すことは我らの悲願。トルキア王家を皆殺しにするため、今まで臣下の屈辱に耐え忍んできたのだ」
著書に書かれた内容が蘇る。
初代国王は争いをやめさせるため、人々に水を与えてトルキアを建国した。そして儀式を行い、弟との子を次期国王に据えたのだ。それらは一族が富を独占するためというマルドゥクの見解も間違いではないのだろうが、争いを繰り広げていた領主たちの力を抑える目的があったのではないか。水を巡っての争いがなくなり、民は安心して暮らせるようになった。
だが領土や地位を奪われた領主たちは何代にも渡り恨みを募らせて、トルキア王家を転覆させる機会を窺っていた。
その意志を継いだ子孫が、マルドゥクだったのだ。
忠実な側近の正体を知ったセナは彼の良心に訴える。
「お願いです。皆殺しにするなんて、やめてください。初代国王は領主たちを殺すなんてしなかったはずです。僕が神の子と仰るなら、殺すのは僕だけにしてください」
「私に指図するな!」
激昂したマルドゥクにダガーの柄で腹を突かれ、よろけて尻餅をついてしまう。
マルドゥクはダガーの刃を向けたが、思い直して柄に収めた。
「決起の集会で貴様の腹の子を殺してやる。長年の苦渋に耐えてきた我らの一族は歓喜の雄叫びを上げるだろう」
高く靴音を響かせて、マルドゥクは地下牢を出て行った。
彼は謀反を起こして、トルキア国を滅ぼすつもりだ。
怖ろしい計画を知ったセナは背筋を震わせる。
自分が愚かだった。マルドゥクに騙されて、反乱を起こす切欠を与えてしまったのだ。どうにかしてこの状況をラシードとハリルに伝えられないだろうか。
見回してみたが牢には窓がなく、脱出できるような道具も持ち合わせていない。
セナはそっと下腹に手を遣る。
孕んでいるかは未だ分からない。淫紋は沈黙している。
「イルハームさま……。僕たちをお守りください」
今は、祈ることしかできない。
セナは固く手を合わせて、イルハーム神に祈りを捧げた。
薄暗い牢獄は陰鬱に沈んでいる。マルドゥクが去った後は人の出入りはなく、見張りの兵士が時折様子を見に来るだけだ。
次にセナが牢から出されるのは、殺されるときだろう。
刻一刻と訪れる死を待ちながら、それでもセナは希望を捨てなかった。
争いや殺戮を望むマルドゥクに、この国を明け渡すことはできない。彼が王になれば大きな波乱を呼び、砂漠の地は血に染まってしまうだろう。それはイルハーム神の司る豊穣や繁栄とは縁遠いことだ。
きつく唇を噛みしめていると、見張りの兵士がコップを手にしてやってきた。
「おい、水だ。飲みたいか?」
彼は数時間前、パンを持ってきたときも交渉を持ちかけた。
セナは無言で首を振る。
「やらせてくれれば水を飲ませてやるぞ。ほら」
「……飲まなくていいです」
水の代償として性行為をさせろというのである。ここに来てから何も口にしていないので、空腹で喉は渇ききっていた。
けれど神の末裔たちが抱いた体を、裏切り者の一味に触れさせたくはなかった。
頑ななセナに業を煮やした兵士はコップの水を床にぶちまける。
「優しくしてればつけあがりやがって!」
剣を抜いて格子から突き出される。白刃はセナの衣服を掠めた。狭い牢に逃げ場はない。
身を躱そうとするセナを弄ぶように、刃の先端は少しずつ純白の贄の衣装を切り刻んでいく。兵士の顔に浮かぶ歪んだ嘲笑が恐怖を増幅させた。
はらり、はらりと白い布きれとなった衣装が床に落ちる。ついに肩の衣が剥がれ落ち、セナは一糸纏わぬ裸体となった。
「へえ。本当に淫紋があるんだな。美味そうな体してるじゃないか」
舌舐めずりをした兵士は鍵束から鍵を取り出して、錠を開けた。
剣で脅しながら犯すつもりだ。
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