第40話

どういうことだ。マルドゥクが、なぜセナを牢に入れる必要があるのだろうか。まるで逃げられないように拘束するようではないか。

混乱していると、見張りの兵士が卑下た目つきでセナを見下ろしてきた。贄の衣装は大きく前袷がはだけてしまっている。それに気づいたセナは慌てて前を掻き寄せた。

「これが王が抱いた体か。綺麗な顔してるじゃないか。具合もさぞ良いんだろうな」

批評されることにぞっとして格子から手を離す。セナは狭い牢の中で後ずさりした。

男はちらりと兵士を横目で見る。

「自害されないようにしろ」

「どうせ殺すんだろ。もったいねえ」

「マルドゥク様が後ほどいらっしゃる」

兵士が舌打ちをすると、男たちは階段を上っていく。やがて冷たい牢獄には静寂が満ちた。

自害だとか殺すだとか、不穏な会話が交わされたことに背筋を震わせる。

兵士は口惜しそうにセナの肢体を眺めたが、地下牢の入口へ戻っていった。

茫然としたセナは長い間、牢の中で立ち竦んでいた。

罪人か奴隷のように粗雑に扱われることに違和感を覚えるのはどうしてだろうと、どうでも良いようなことが頭を過ぎり、ぼんやりと考えた。

ふいに以前の生活を思い出す。

奴隷市場でもこのような扱いを受けていた。拘束され、自由を奪われ、粗野な男たちに体を弄られていた。

オメガだから。

どんなに神の贄と崇められ、大切にされたところで、その本質は何ら変わっていない。

王宮であまりにも恵まれた環境にいさせてもらったから、そんなことすら忘れていた。過去の苦労や屈辱など、なかったことのように頭から消え去っていた。

セナは王宮から逃げ出したことによって、神の贄を自らやめたのだ。元の奴隷に戻った。

だから、このような扱いをされて然るべきなのだ。今までが幸せだったことに気づかず、慣れきっていた。

「これから、どうなるんだろう……」

ぽつりと零した呟きは、冷たい石に吸い込まれて消えた。



地下牢は窓がないので外の様子が分からない。ひとつだけ廊下に掲げられた松明の灯が織り成す影の濃さに、夜が訪れたのだと判別できる。

牢の中は黴臭く、とても寒い。身を包むようなものはなく、セナは剥き出しの石床に震えながら座っていた。

ふいに入口の方から靴音が響いた。兵士と何者かが言葉を交わす声が届く。

「マルドゥクさま……!」

現れたマルドゥクはセナの姿を見て、満足げに頷いた。何かの間違いであってほしかったが、牢に入れろという指示は確かにマルドゥクの意思だったようだ。

ここでは側近の証である水色のクーフィーヤを外しているマルドゥクは突然、セナに問いかけた。

「孕んでいるだろうな?」

「……え」

マルドゥクの意図が分からない。彼は処刑から助けてくれるのだとばかり思っていたのに。

偉そうに顎を上げているマルドゥクからは、慇懃な側近の顔は微塵も感じられない。

そしてセナを戦慄させる言葉をいとも容易く吐いた。

「腹の子を引きずり出してやろう。我々同志の前でな」

息をすることも忘れたかのように、セナは硬直した。やがて激しい動悸と共に瞬きを幾度も繰り返す。喉元から絞り出すように掠れた声を発した。

「……どういうことなんです? マルドゥクさまは、神の贄を処刑することに、反対だったのではないのですか……?」

腹を裂かれれば、子はもちろんセナも大量に出血して死んでしまうだろう。次期国王である子を殺すことは、マルドゥクにとってトルキア国への裏切り行為になる。

マルドゥクは頬に優越を刻み、歪な笑みを浮かべた。

「処刑の話は私の創作だ。歴代の贄は処刑されたなどという事実はない。まったく馬鹿な贄で騙しやすい」

「そうだったのですか!? なぜ、そんな嘘を……?」

「簒奪王の血を絶つためだ。神の子セナ。貴様がトルキア国最後の神の子になる」

「……いま、なんと」

セナは、神の贄のはずだ。

それなのに、神の子とはどういうことなのだろう。

マルドゥクは虫けらを見下ろすようにセナを冷酷な眸で見据えた。そこには憎悪の欠片が垣間見える。

「貴様は先代の贄から産まれた子なのだ。その淫紋が何よりの証。死んだと思っていた神の子がまさか生き延びていたとは……だが今度こそ終わりだ」

衝撃的な告白に息を呑む。

初代国王は淫紋の刻まれた一族であり、儀式により産まれた子の中から王と贄が代々選ばれてきたという。

けれど先代の儀式で子は孕まなかったはず。だからこそ先代の王は妃を娶り、ラシードが生まれたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る