第28話

受胎の儀が始まってから七日が経過した。

毎晩ふたりに抱かれているので、始めのうちは体が疲れて翌朝は起き上がれなかったが、慣れたためか今朝はすっきりとしていた。

ラシードは朝までセナを抱いて眠るが、執務があるので日が昇る頃には受胎の室を出て行ってしまう。王宮へ戻るラシードを見送ったあと、セナはひとり受胎の室を出る。朝になればその日の儀式は終了という運びになるので、召使いに神具を外してもらってから回廊を歩いてリヤドへ赴いた。リヤドは邸宅のように造られている建物で、神殿に隣接している。セナのためにラシードが与えてくれた贈り物だ。そこではセナは主人のように扱われている。神殿内にある神の贄の部屋は寝室のみなので、食事はリヤドでとることになっていた。

門前で待機していた召使いが重厚な扉を開けてくれる。モザイクタイルに彩られたパティオを通り抜ければ、一階に食堂がある。隣の厨房では料理人が既に食事の支度をしているらしく、良い匂いが漂ってきた。

一階には食堂とソファが置かれた応接室があり、二階は寝所と浴室が設えられている。ここで午睡を貪ることもある。さらに屋上にはテラスが設置されていて、プールまで完備されていた。セナはプールというものの存在を知らなかったので、随分と大きな鳥の水飲み場だと勘違いしたものだ。

荘厳な神殿とは趣が異なり、リヤドはこぢんまりとした居心地の良い空間が形成されている。とはいえ、セナにとっては豪邸に違いないのだが。

繊細なアラベスク模様が装飾されたテーブルに朝食が運ばれる。新鮮な果物にパンやミルク、搾り立てのジュースなどが並べられた。料理人特製のチーズ入りオムレツはふわふわでとても美味しい。空腹のセナはそれらを残さず食べた。

「ごちそうさまでした」

食事を終えると、召使いがお茶を勧めてくる。甘いチャイを嗜みながらお菓子を食べて、さらに午睡のお支度ができておりますと促されると、体は休められるのだが怠惰に過ごしてしまうので今日はやんわりと断った。

神殿を訪れたときから、叶えたいことがあったからだ。

セナはリヤドを出ると神殿の回廊へ戻る。

白亜の大理石で造られた静謐な神殿に、セナの纏うローブの裾がひらりと翻る。

純白のローブは贄のみが着ることを許された衣装だそうで、上質な素材を使用して薄手に作られている。前袷はドレープがあり、揺れると胸元が見えそうになる。膝丈までの裾は、歩けばふわりと揺れる。裾の後ろ側は尾のように長く、身の軽いセナが翻れば、まるで海に泳ぐ魚のようだ。下穿きは着けていないので若干心許ないが、涼しく過ごせた。

これから行う作業には適していない服装なのだが、儀式の期間の贄はこのローブを纏うことが義務づけられているそうなので仕方ない。セナは神殿にある道具置き場を訊ねると、箒や布巾などの掃除用具を借りてきた。

広間に鎮座するイルハームの神像を前にして、まずは祈りを捧げる。

「イルハームさま、この国をお守りください。そして人々が幸せに過ごせますように、ご加護をお与えください」

セナが儀式で捧げた快楽はイルハームに届いているのだろうか。神はいつでも沈黙を守り通している。

けれど神はきっと人々の行いを見ているはずだ。大切なのは神や人を疑ったりせず、信じることだとセナは己の胸に言い聞かせる。

祈りを終えると、箒を手にして石像の周りを掃き清める。神殿内部はいつも綺麗に清掃されているので塵ひとつないのだが、セナもイルハーム神のために掃除を行いたかった。食堂に勤めていたときは、毎日丘の上の神像を磨いていたのだ。あの神像は今、どうなっているだろうか。

誰かが掃除を引き継いでいてくれれば有り難い。いつかオメガ街の外にある神像の様子を見に行きたいと願いながら、セナは心を込めてイルハーム神を布巾で磨いた。

慌てた様子の神官がやってきて、セナの前に膝を折る。

「贄さま。掃除は係の者が毎日行っておりますゆえ、贄さまがご自分でされる必要はございません」

「ごめんなさい。これは僕が好きでやっていることなんです。どうか、やらせてください」

神官は少々戸惑っていたが、礼をすると去って行った。許可してくれたらしい。

存分にイルハーム神を丁寧に磨き上げた。右手の淫紋に触れるときには擦らないよう、そっと撫でる。

「んっ……」

なぜか下腹の淫紋が疼いた。まるでイルハーム神の右手の淫紋と連動しているかのように。

「イルハームさま……?」

イルハームは柔らかな笑みを口元に湛えている。

セナが神の贄に選ばれたのは、生まれつき淫紋となる欠片が下腹にあったからだ。

生まれながらにして、イルハームはセナを贄に指名した。

なぜだろう。偶然だろうか。それとも、母と何か関係があるのだろうか。

母もセナと同じ黒髪に翡翠色の目をした人だったと記憶している。もしかして下腹の紋様も、遺伝の要素があるのだろうか。母に淫紋があったのかどうかは、今となっては確かめる術はない。

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