第40話 廃屋の影



 そこはかつて畑だったのだろう。荒れはてた薮にかこまれ、見るからに無住の廃屋だ。この古くさい集落のなかでも、ことに古い昔風の建物。今どき、茅葺き屋根である。玄関はなく、縁側の障子から出入りするらしい。屋根がたわみ、縁側もくずれかけていた。苔が張りつき、障子には穴があいている。どこから見ても立派なオバケ屋敷だ。


(なんで知ってる? あの日、おれと杏樹はここに?)


 思いだそうとすると頭が痛む。どうしても、トンネルでの風景に戻ってしまう。追いかけてくる杏樹をふりきって走る聖王。だが、その映像に重なるように、別の姿が見える。大人に手をつかまれ、トンネルのなかをムリヤリひっぱっていかれる聖王だ。杏樹は泣きながら、聖王にすがってひきとめようとしている。



 ——杏樹。逃げろ。おまえは戻るんだ。



「……」


 今のはなんだろうか? トンネルへは自分の意思で入っていったはずだ。大人がいけないという場所へ行って、冒険してみようと……。


 目の奥がチカチカする。いつもの頭痛。痛みどめを持ってきてたはずだ。デイパックの内ポケットからそれを出して飲んだ。ペットボトルの中身がかなり少ない。大切に飲まなければ。


 とにかく、あの家に行ってみよう。子どものときに何があったのかわかるかもしれない。杏樹が死んでしまったのか、まだ生きてるのか。

 意を決して、薮をかきわける。建物に近づいていくと、なかから人の気配を感じた。どう見てもオバケ屋敷なのに、まさか人が住んでるのだろうか? この集落ではありうる。人というより人魚かもしれない。世話をする家族が誰もいなくなって、数百年前から生きている先祖だけが残っている……。


(もしかしたら、あの日もここで人魚に襲われたのかも?)


 用心しながら、やぶれかぶれの障子をひらこうと手をかける。そのときだ。とつぜん、家のなかがパッと明るくなった。電気ではない。ロウソクか提灯に似た光。やはり、誰かいる。あわてて縁側に身をふせる。なかにいる人物に気づかれなかっただろうかと心配になる。

 障子にその人物が影絵になって映っていた。背の高い男のようだ。影だから、よけいそう思うのかもしれない。まるで影絵の紙芝居だ。男の前に正座した子どもが二人いる。ながめていると、男は子どもの一人を立ちあがらせて服をぬがせはじめた。よからぬことを想像したが、すぐに別の服を持ちだして、それに着せかえる。ドキリとした。変なことが始まるより、もっとショッキングだ。なぜなら、男がひろげた影は着物だったからだ。生地の薄さから考えて浴衣だろう。布の濃淡のせいか、うっすらと金魚のもようさえ見える。


(ニエだ——)


 男は子どもをニエにするつもりなのだ。頭がガンガン痛む。薬がきかない。そうだ。あの日、お祭りに行こうと誘われて、誰かに家からつれだされた。お祭りは夜からだよと答えたのに、浴衣に着替えないといけないからと。記憶の奥深くへキリキリと千枚通しをさしこむように、痛みがきりもみする。そこから黒いものが吹きだす。くりかえし叫ぶ母の声だ。



 ——いい? あなたは自分でトンネルへ行ったの。そうよね? 冒険しようと思ったのよね? それで、車に轢かれそうになって、トンネルで気絶したの。杏樹はあなたのせいで死んだのよ。だから、このことは誰にもしゃべっちゃダメ。大人につれていかれたなんて。自分で行ったの! 杏樹が追いかけてきたでしょ? そうだったのよね?



 追いかけてきた杏樹をふりきる映像が、とつじょ破裂した。違う。あれは作られた記憶だ。ほんとはあの日、昼寝していた聖王を誰かが起こしてつれだしたのだ。杏樹はその物音で目をさまし、追いかけてきた。



 ——おにいちゃん。待って! 杏樹もお祭り行く! おにいちゃん。お母さん……。



 あのときの大人は母だった? 母がなんのために聖王をつれだしたのか? 金魚の浴衣を着せるのはニエだ。通常、外の者からニエが選ばれることはない。だが、ここへ来るとき梨花がいっていた。もしさわぎを起こしたら、責任をとらされて自分がニエにされてしまうと。外の者からニエが選ばれるのは皆無じゃない。

(そうだ。杏樹が……いや、蘭樹が着てた浴衣は金魚模様。それも、母さんが昔着てたやつだ。金魚模様の浴衣に特別な意味が隠されてるって、このへんの人なら知らないはずがない。なんで金魚模様なんだ? もしかして、母さんって前にニエにされかけたことがあるんじゃないか?)

 でも、母は生きている。どうやってか知らないがニエになる当番を回避したのだ。戸の内の人間が回避するためには、ニエ代を出す。外の者でも同じだろう。よそものをつれてきたか、または戸の内の誰かから、冷凍保存された肉を買った。高額で支払えなかったときは、数年内にかわりになる『肉』を返す約束でもらったのかもしれない。


(もしそうなら……)


 あの日、母は自分の『肉』のかわりを支払いに行ったのではないだろうか? それが、聖王だった。

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