第5話 青年団団長



 この地域では昔から、近づいてはいけないといわれる場所。禁域だ。なぜかと問うと、祖父は「子どもが泳ぐには危ないけんだ」と答えた。だが、あれはほんとにそうだったのか?

 海水が二、三度、小さな島の見える岬のまわりだけ低かった。ここら一帯に異様な暗さを感じるのは、あの場所のせいではないかと思う。

 当時は単純に祖父の言葉を信じていた。しかし、単に潮の流れが早いなどの理由で危険だからというなら、陸側でトンネルのむこうへ行くなというのは変だ。もちろん、交通事故の心配はあるし、四、五歳の子どもが一人歩きできる範囲ではなかった。遠くへ行っちゃいけないよと大人がいうアレだと思いこんでいた。

 だが、今、大人になって考えると、それだけではない威圧感が祖父の語調にあった気がする。本気で恐れているようなふしが。何を恐れていたのか? あるいは、何かを忌み嫌っているかのようだった。もしかしたら部落なのかと思う。平成生まれの聖王には、はるか昔の先祖の身分が現代まで続くなんてバカバカしい風習に思えるが、田舎には独特な考えかたがある。いまだに根強い差別が一部の地域に残っているのだろうかと。

 そういう事情なら、祖父が言葉をにごしたわけもわかる。今、叔母の口から出た『げのもん』というのが何を意味するのか理解できないものの、そこにも差別的なニュアンスを感じとれた。


(トンネルのむこうか……)


 夕方、神社の手前からながめたトンネル。あの道はどこへつながっているのか? 蛍がむかったのも、そのさきだった。だとしたら、彼女は差別を受けている側なのかもしれない。どことなく、よそものをこばむ気配があった。

 もしかしたら、杏樹が図書館に調べにいったのは、それについてではないか。そんな気がした。杏樹はいわゆる歴女だ。とくに好きなのは妖怪にまつわる伝承だった。しかし、部落問題は杏樹の好きな妖怪伝説からかけ離れている……。


 なんとなく肝心の部分の周辺をウロウロしているようながあった。杏樹の失踪事件の中心には、とてつもなく深い影がひそんでいるのではないか。杏樹はその闇に気づいて、何者かに囚われたのか?


(杏樹が感心を示すなら妖怪関連だ。この地方で気になる話でも聞きこんで、それで梨花が友達と話してるうちに一人でどこかへ行ってしまった?)


 それはありうる話だと思う。


「このへんで妖怪伝説とかないですか? 山陰だと牛鬼ですかね? 濡れ女とか。いや、あれは石見のほうだから、ええと、このへんなら海女房ですか」

 杏樹がいつも話すので、聖王も人なみよりは妖怪についてくわしい。知っている妖怪の名前を列挙すると、急に叔母たちは笑いだした。

「なんですか?」

「いんや。杏ちゃんもおんなじこといっちょったけん。やっぱ兄妹なね」

 ここでも杏樹は妖怪の話をした。でも、それは杏樹の通常の行動ではない。友達のあいだではなるべくその手の話をさけていた。自分が妖怪オタクである自覚があったので、周囲から浮かないように気をつけていたのだ。それでも親戚の家で話題にしたのなら、何かがきっかけで妖怪話に興味がそそられていたということだ。

 これはもう図書館へ行った理由はわかったも同然だ。このへんのなんらかの妖怪伝承を調べたかったのだろう。それが失踪に関係しているなら、警察の溺死という見解もあながち嘘ではなくなる。もしそれが海に関する妖怪だったら、杏樹は一人でこっそり海辺へ行ったかもしれない。なれない夜の海で波にさらわれて……。


 当日の杏樹の行動を誰か見ていなかったのだろうか? 都会から来た可愛い女の子だ。若い男の注視を受けたに違いないのだが。なんなら近所じゅうにピンポンラッシュして聞いてまわりたい。しかし、それをしたらきっと奇異の目で見られるという理性はまだあった。


「このへんの人たちが当日、杏樹を見てないか聞きたいんですが、そういうのを根まわしというか、頼める人っていませんか?」

「それなら、青年団に頼むといいが。団長は鍋屋だけん」

「鍋屋?」

「屋号だわね。鍋屋は親戚なよ?」

「そうなんですか」


 このへんでは屋号で呼びあう風習が残っていた。団長の芦原孝志あしはらたかしは聖王にとっても《《はとこ》にあたるらしい。会ったことはないが、それなら甘えてもよかろう。何しろ妹が行方不明なのだ。親戚の一大事に手を貸してくれるはず。

「じゃあ、夜はご迷惑だと思うので、明日にでもいいですか?」

「なんが。盆までは仕事なけん、昼間はおらんが。今から呼んだら来うじゃないか」

「今からですか……」

 ほんとは食事が終わったらすぐにも神社に行きたかったのだが。とはいえ、重要な話を聞けるかもしれない。頭をさげると、叔父は電話で芦原を呼びだした。団長というから、かなり年上かと思えば、やってきたのは聖王とさほど年の変わらない男だった。まだ二十五、六だろう。もっといかつい、いかにもリーダー格のスポーツ刈り——という予想を見事に裏切っている。ちょっと出っ歯で、どことなくな茶髪だ。背の高さがちょうど聖王と同じくらい。すごく親しみやすい。

「はあ、これが東京もんか。やっぱあかぬけちょうね。このへんの人と違うわ。あ、わが団長の芦原だけん、以後お見知りおいてな」

 無造作にさしだしてくる手は、こっちが伸ばす前にいつのまにかにぎられていた。なんとなく、この人が団長に選ばれた意味がわかる。ものすごい速さでふところに入りこんでくる。しかも、それがイヤじゃない。


「よろしくお願いします。じつは……」

 聖王の話を聞いて、芦原は腕組みしながらうなずいていた。

「わかった。杏樹ちゃんのことは、わも気になっちょったけん。みんなに聞いてみいわ。都会の女の子に気おくれして、誰も声かけられんだったけど、話題になっちょったよ。すごく可愛い子がおるなって。それと、今夜、神社に行くなら、わもついてくわ。一人じゃなんぼなんでも危ないでしょ」

「そうですか」

 内心、ホッとしたのは、芦原の人柄のせいか。

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