第4話 禁域
暗くなるまで境内をすみずみまで探したが、何も見つからなかった。
杏樹はほんとにここへ来たのか? これは悪い夢じゃないのか? 東京の自宅へ帰れば、いつものように笑って出迎えてくれるのでは?
「お兄ちゃん。どこ行ってたの。遅いよ」
「どこって、おまえを探してたんだぞ」
「ええ? わたし、ずっと、うちにいたよ?」
「そうだっけ? ごめん。ごめん」
そんな他愛ない幻影がまぶたに浮かぶ。しかし、そんなはずもなく、現実に戻れば、残酷な事実をつきつけられる。杏樹は行方不明。足どり一つつかめない。
しかたなく親戚の家に戻った。夕食をごちそうになりつつ、ここに泊まっていた数日の杏樹の行動をあらためて聞く。初日はどこにも出かけず、夕方に少しだけ海岸を散歩。二日め、近所の雑貨屋で買い物したあと、午後から海水浴。問題の三日め、ふもとの図書館へ行き、夕方から祭りへ。
「図書館? 何しに行ったんですか?」
「さあ。うちらはなんも聞いちょらんけん。梨花。あんた、なんか聞いてない?」
叔母の問いに梨花は不機嫌な顔で首をふる。
「でも、図書館って町までおりないといけないですよね? バスで行ったんですか?」
「行きはわたしが出勤するとき送ってあげたけど。帰りはどげしたかいね?」
「わが仕事帰りにひろったよ」
答えたのは叔父の
「そのとき、本を借りてましたか?」
「本は持っちょらんだったね。カバンに入れちょったかもしれんけど」
持ち出し不可の本を閲覧しただけだったのだろうか? 古い新聞とか? それとも、返しに行くのがイヤだったから借りなかったのか。しかし、どう考えても本を探すなら、東京に帰ってからにしたほうがいい。図書館の規模だって違うし、専門的であればあるほど所有する本の数に差が出るはず。田舎へ遊びに来て、わざわざすることとは思えない。
(一度、図書館へも行ってみよう)
その前に、今夜はもう一度ゆっくり神社を探索だ。祭りの日には提灯や明かりがついていたとはいえ、夜だった。迷いやすい獣道などないか調べてみたい。もしも聖王の姿が見えないと、またさわぎになるので、叔父たちにはその旨を話した。
「なので、もし夜中に帰ってなくても心配しないでください。夜明けまでには戻るつもりです」
叔父と叔母は顔を見あわせている。梨花の下に中学生の弟妹がいるのだが、それも妙な顔つきだ。
「夜はやめたほうがいいんじゃない?」と言ったのは、末っ子の
「問題ないよ。懐中電灯は持ってきたし」
「そういうんじゃなくて……」
そういうのじゃないなら、どういうのだというのか?
「まさか、オバケでも出るの?」
冗談のつもりでたずねると、一瞬、食卓が静まりかえった。怖がっている感じでもない。家族団らんでご飯を食べながらテレビを見ていたら、急に女物の下着のCMが入ったときのようなきまずさというのだろうか。
「そういうんじゃないけど、ねぇ、ママ」
田舎でも最近の子どもは母親をママ呼びなのかと、どうでもいいことを考える。叔母はあいまいな笑みを見せた。
「まあ、このへんはげのもんだけん。大丈夫だわね」
「げのもんって、なんですか?」
「……」
返事は帰ってこない。もしかして、アレかと聖王は思う。心あたりがあった。
子どものころの話だ。祖父母の家に来たとき、もっとも魅力的だったのは、当然、歩いていける近場の海だった。毎日あきずに出かけていった。当時はまだ祖父が存命で、漁船に乗せて沖までつれていってくれたことがある。最初は楽しかったが、小さな漁船は波のアップダウンが激しく、ひどい船酔いで釣りどころではなかった。それでも、ギラギラ輝く波間をよぎる魚の影を見れば興奮した。澄んだ美しい海はかなり下までのぞき見えた。もう二、三歳大きければシュノーケリングをさせてやったのにと祖父はいったものだ。
ただ、一つだけ、注意された。
「あの島には近づくだないぞ」
祖父がしわだらけの指で示したのは、青い海原に突出した小さな岬だった。先端に岩場がある。こんもりして丸い亀の甲羅みたいな島だ。全周でもほんの五、六メートルあるかないか。島というより、海に浮かぶ大きな岩だ。
船は島からまだかなり離れていた。だが、ひとめ見たとたん、うっすらと冷気を感じた。急な高波が来て、船べりからおろしていた指のあいだを、妙に冷たい海水が通りぬけていく。その島へむかう潮の流れのようだった。
子ども心に怖かった。何がというわけではないが。もっと成長してから、そこは昔から泳いではいけない禁域として知られている場所だと聞いた。どういうわけか、そのまわりでは海難事故が多く、地元の人は誰も近よらない。
位置からいえば、二津野町のとなり町……いや、さらにそのとなりか。あのトンネルのむこうへは行くなと教えられた地区だ。
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