第3話 出会い
両脇を桜並木にかこまれた細い石段。山ぜんたいは杉や楠などに覆われている。薄暗い上に音が響くのか。カランカランと聞こえてくる足音はふつうの靴音とは違っていた。下駄だと途中で気づいた。杏樹が浴衣だったことを思いだし、聖王は急いで石段をかけのぼった。
「杏樹! 杏樹か?」
だが、数メートルのぼったところで出会った女は杏樹ではなかった。涼しげな浴衣を着ている。白地に金魚模様。帯は紺色だ。長い黒髪を結わずに流し、びっくりするほど長いまつげごしに聖王をながめた。海中で光るホタルイカを思わせる白い肌と、ぬれたように黒い大きな瞳。一度見たら忘れられない美貌だった。
思わず見とれていると、女は聖王の目の前で立ちどまった。年齢はおそらく少し年下。十八、九だろう。
「このへんでは見ない人ね。観光客?」
変なたとえだが、夏の終わりに鳴くヒグラシのような声だ。どこか切ないなつかしさを帯びている。
「初めまして。正木聖王です。この前、ここで行方不明になった杏樹の兄です」
すると、女は眉間にしわをよせた。
「ああ、あの……かわいそうにね。でも、ここには誰もいません。帰ったほうがいいですよ」
そっけなく言って、女は階段をおりていく。ほとんど無意識に呼びとめていた。
「待ってくれ。君、名前は?」
ふりかえった彼女は、なぜ笑っていたのだろう? それも、どことなくさみしげに見える笑みで。
「よのうちほたる」と、ヒグラシの声で答えた。ほたるはきっと蛍だろう。でも、よのうちがどんな字を書くのか、耳で聞いただけでは見当がつかない。
「蛍さん。君にピッタリだね」
「妹さんを探してるんでしょ?」
そうだった。いくら美女だからって、くどいている場合じゃない。一瞬でも大事な妹のことが頭からふっとぶほど、蛍との出会いは衝撃的だった。ふつうに綺麗というだけじゃない。ほのぐらい井戸の底をのぞいている心地になる魔術的な目が、理性の奥までその青みがかった視線を浸透させてくる。
「でも、ここにはいないから。さっさと東京へ帰りなさい」
年下なのに、妙に大人びた口調で言いおいて、蛍は去っていった。石段をおりたあと、右手へまがる。ということは、かつての隣村へむかうあのトンネル方面へ行くのだ。あいだの道は徒歩でなら一、二キロはあるはず。まさか下駄で歩いて帰るのだろうか? 路線バスは朝昼晩の一日三度しか来ないし、ひとごとながら心配になってくる。それとも、このへんの人は二キロくらい歩くのはなれているのか。
たったいま去っていったばかりなのに、名残惜しい。また会えるだろうか? 必ず会いたい。日本人形めいた古風ないでたちの蛍に、運命的なものを感じた。
とはいえ、日が傾きだしていた。山間の谷間にある地区だ。日が落ちると暗くなるのは早い。気持ちを切りかえ、聖王は石段をあがった。全部で百二十八段あった。暗い並木をぬけると、もう一つ鳥居があり、そのさきは境内だ。神社には誰もいない。杏樹の失踪について警察が調べたのか、あるいは祭りのあとだからか、足跡がたくさんあった。かなり大きく、男のそれだとわかる。その上にひっそりと残る下駄のあとは、ついさっき蛍がつけたのだろう。杏樹の痕跡はどこにもない。
子どものころ、ここへ祭りに来たときは、提灯が飾られ、屋台もあってにぎやかだった。このあたりの子どもという子どもは来ていたし、
それらがなく、静まりかえった境内はさみしいを通りこして不気味ですらある。真夏なのでセミの声は激しいが、それも薄膜を通したように遠く感じた。
このとき初めて、聖王はアレに戸惑った。匂いだ。やけに生ぐさい。昔、金魚を飼っていたとき、部活が忙しくて水槽の水を長期間かえられなかったことがある。あのときの生々しい魚の匂い。境内ぜんたいにただよっていた。
(イヤな匂いだな)
手で口と鼻をおおいながら、社の前に立った。生ぐさいはずだ。賽銭箱の奥に魚がお膳に載せて置かれている。きっと今朝お供えしたのだろうが、この暑さですっかり傷んでいる。目玉がくりぬかれ、鱗は乾いてささくれだっていた。
とつぜん、ギャーと頭上で響いた。一瞬、人間の悲鳴かと思い、ビクリとする。が、続いてバサバサと羽音がし、真っ黒な鳥がとびたっていった。
「なんだ。カラスか」
きっと、供えものの魚を狙っているのだ。いや、目玉をくりぬいたのは、確実にさっきのカラスに違いない。ホッとしたのもつかのま、視線を社に戻す途中、変なものが見えた気がした。青白い顔の男……だったような? だが、あわてて見なおしたときには、すでにいなかった。ただ木々のあわいに西日がベッタリ影を作っている……。
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