第2話 港祭り



 杏樹がいなくなったのは、ちょうど一週間前の夜。七月二十九日。昔からある、このあたりの祭りの日だ。港祭りといい、まだ近隣一帯が小さな村々だったころから、合同で祀っている神社の祝祭である。神社の名を聖王はおぼえていない。子どものころ、お祭りには行った。ごくありふれた田舎の祭りだ。神社の境内にほんの三つ四つ屋台が出て、焼きそばやかき氷を売る。金魚すくいもあった。漁師町なので、当然、海の安全と大漁を祈願する祭りだ。昼間には大漁旗をかかげた船が何艘も列をなして海原を走ったり、夜には数えるほどだが花火があがる。それでも、子どもの自分には楽しかった思い出だ。浴衣を着た杏樹と手をつないで歩き、たこ焼きを買った。金魚をすくい、線香花火をした記憶がある。


 ただ、とても小さな神社なので、境内は暗く、しかも、ちょっとした山の上だ。正面の石段のほか、裏にも獣道みたいなのが何本もあった。従姉妹の梨花りかが杏樹を見失ったのはそのせいだ。二人でいっしょに祭りへ行って、学校の友達と話しているうちに、杏樹の姿が見えなくなったのだという。


 そのときの従姉妹が、さっき聖樹をにらんでいった女の子だ。この前、会ってから十年たっていても、すぐに本人だとわかった。しつこく家族で押しかける聖王たちに、自分の責任をとがめられているような気にでもなったのだろうか?


 梨花については、あまりいい思い出がない。子どものころから嫌われていたようだ。何かとツンケンした口調でイヤミをいわれていた。年下なのに遠慮がなく生意気で、苦手だなと昔から思っていたものだ。

 外孫ではあるものの、祖父母にとって初孫の聖王はずいぶん可愛がられた。夏休みに母につれられていくと、いつも大きなスイカとケーキが用意されていた。そういうのが内孫の梨花にとっては腹立たしかったのだろうか?


 しかし、今回は苦手でも話をしないといけない。杏樹がいなくなったときのようすを梨花から聞きたい。

 とはいえ、叔母にあいさつしているうちに、梨花はどこかへ消えていた。居間へ通され、冷たい麦茶を出される。ありがたいが、時間をムダにしたくなかった。

「すみません。梨花さんから、杏樹がいなくなった前後のことを聞きたいんですが」

 いったん奥へ行った叔母は首をかしげながら帰ってくる。

「梨花。どこ行ったか知らんけど、おらんだったわ。ごめんだよ」

「そうですか」


 かわりに叔母から聞いた話では、事件の日、杏樹たちが祭りに出かけたのは六時前。母が若いころに着ていた浴衣が残っていたので、それを着させてもらって出ていったのだという。財布とスマホだけ小さな巾着に入れていき、キャリーケースはそのまま置かれていた。ふだんと変わらず、むしろ、祭りに行くというので機嫌はよかった。泊まりに来て三日めだったが、そのあいだ思い悩んでいるようすはまったくなかった。自分から行方をくらますとは思えない、というのだ。

 やはり、何かあるとしたら、外的な要因だ。つれさり、または事故……?


 杏樹の荷物を見せてもらった。ふだんなら、たとえ兄妹といえども、勝手に持ちものをあさるなんてゆるされない年だ。同性の兄弟姉妹なら私物の貸し借りもするだろうが、最近はおたがいの部屋にすら入っていない。机の上に何が置かれているかも知らない。案の定、下着など、目のやり場に困るものがあった。ほとんどは着替えで、とくに目をひくものはなかった。たった一つ、スケジュール帳がケースのポケットに入っていた。女の子らしいカラフルなペンの書きこみ。可愛いシールでデコレーションされている。数日後に高校の友達と遊園地に遊びに行く予定になっている。バイトもチラホラ。やはり、自分から姿を消すなんてありえない。


「祭りがあった神社へ行ってきます。杏樹、どんな浴衣でしたか?」

「金魚のね。これ、出かける前に撮った写真」


 叔母がスマホを出して、写真を見せてくれた。梨花と二人、笑顔の妹が写っている。杏樹はともかく、梨花もこんなふうに笑うのかと不思議な気分だ。なぜかわからないが、杏樹とはけっこう仲がよかった。杏樹にはイジワルじゃなかったのだろう。同い年だし、何かしらのシンパシーがあったのか。

「その写真、僕のスマホに送ってもらっていいですか?」

 友達相手には『おれ』だが、親戚だから、ちょっと気をつかう。写真をもらってから外に出た。

「暗くなる前に帰って来ないよ」

「はい。行ってきます」

「車で送ろうか?」

「いえ。大丈夫」


 神社への道すじはおぼえていた。大きな道は新しくなっていて少し不安だったが、山のほうへめざしてさえいれば迷うことはない。バス停と反対方向へ歩いていく。

 以前は車一台通るのがやっとだった。このへんの道はあちこち新しくなっている。だが、田んぼのあいだを見ると、昔ながらの細い道がたくさんあった。時刻は日没前。日暮れにはまだ小一時間ある。

 田んぼを見ていると、子どものころ、アマガエルの合唱がものすごくて眠れなかったことを思いだす。昼間にはその気配さえ感じられないが、すっと立ったまま身動きしない白鷺の視線を見れば、水中に何かいるのだとわかる。


(杏樹もこの道を歩いたはずだ。何か手がかりはないだろうか?)


 ありきたりの車道だ。片側が山で、反対が水田。そのむこうに密集した屋根が見える。神社はこの道をまっすぐ行けば、やがて山の上へむかう階段が見えてくる。

 でも、そういえば、ほんとのご神体はどこか別の場所にあると聞いた気がする。海辺なので、容易に近づけないとかなんとか。


 前方、かなり遠いがトンネルが見えた。子どものころはそこからさきへ行くなといわれていた。となりの地区へつながる道だ。合併される前は別の村だった。その手前、樹陰に隠れるように急な石段がある。よく見れば、色あせた鳥居も。なんだか、くずれかけていて、妙なふんいきがある。以前も祭りの日しか、わざわざのぼってはみなかった。ふだんはこんなに薄暗いのか。


 聖王が最初の石段に足をかけたときだ。カツン、カツンとやけに響く足音が聞こえた。誰かが階段をおりてくる?

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