第6話 夜の神社



 ビールをすすめられたが、酔うと寝てしまいそうだったので断った。夕食のあと風呂も入らず、神社へむかう。となりには芦原がついている。

「やあ、今度のことはいけんだったね。杏樹ちゃん、すぐに見つかればいいが。たぶん、どっか迷いこんじょったら、誰かが見ちょうと思うけど。あ、そっち、溝がああけん、気をつけてよ」

「どうも」

「祭りの日より暗いけん、調べても何もわからんと思うけど……当日だったら、今ごろ花火があがっちょったかなぁ」

 花火……そのときなら、きっとほとんどの人の視線は空をむいていたはず。そのすきに人ごみを離れていれば、誰にも見とがめられずに姿を消せただろう。杏樹が自分からそうしたにしろ、誰かにさらわれたにしろだ。


 夜の八時をすぎると、小さな漁師町は真っ暗だ。なにぶん街灯がない。家々からもれる明かりはカーテンごしで暗い。車道を通る車もほぼなく、峠からハイビームで近づいてくる一台は途中の細い道へまがった。まるで深夜の様相である。祭りの日はもっとにぎやかだったにしても、ちょっと通りを外れれば、ひとけはなくなっただろう。神社から浜まではそこそこ遠い。歩いていけば十分ていど。その道のりを歩く者があったとして、たまたま家のなかから外を見た人がどれだけいるか。目撃談が出てくるかどうかは、神社での杏樹の動向にかかっている。そこから離れれば、ほぼムリだ。


「はい。ここ、石段だよ」

 芦原が懐中電灯をむける。くずれそうな鳥居のむこうは完全な闇で、桜並木がわずかな月明かりさえ覆いつくしてしまっている。夜間に見ると、男の聖王でもちょっとビビった。

「……迫力ありますね」

「まあ、肝試しだね。そういえば高校のとき、友達とここで肝試ししたなぁ。なんもなかったけど、暗いだけでけん」

 足元が見えないというだけで、こうも不安なものなのか。急斜面に張りつくような石段は注意しなければ、つまずきそうになる。ザワザワとゆれるこずえ。フクロウの鳴き声にさえビクビクする。たしかにここは一人だったら途中で心が折れていた。にぎやかな芦原がいてくれることに感謝する。

 階段をあがるにつれ、カエルの合唱がだんだん遠くなる。かわりにキリキリと耳につく虫の声が近くから聞こえた。聖王たちがその前を通るときだけ一瞬、鳴きやむ。それは暗闇にひそむ者がいない事実だと思えば、いくらかホッとした。


 懐中電灯二本の光輪だけが視界のすべてだ。石段にばかり気をとられていたが、ふいに目の前に黒い地面。見あげれば鳥居がある。境内についた。

「芦原さんは杏樹をここで見ませんでしたか?」

「見たよ。だから顔、知っちょうがね。初めて見る子だなぁと思っちょった。梨花ちゃんといっしょだったけど、なんか妙にキョロキョロしちょったね」

「何か探してたってことですか?」

「お社の写真撮っちょったよ。そこの狛犬とか」

 急に背後を懐中電灯で照らされて、ふりかえると真っ赤な口があった。石の狛犬だが、昔は彩色されていたのか、口のなかだけ色がついている。たったいま獲物を食ったあとみたいで、暗闇のなかでは薄気味悪い。


「祭りの日はもっと明るかったんですよね?」

「電気式の提灯だけんね。電球もぶらさげて、ふつうにまわりが見えたよ」

 その状態と今をくらべるのが土台ムリだったか。それにしても生ぐさい。夕方見た生魚が完全に腐っているのだろう。そっちへ懐中電灯をむけた聖王は光の輪のなかに、かすれた墨の文字をながめた。神社の名前が賽銭箱の上にかけてある。杏樹によれば、扁額へんがくというものだ。神社なので正確には神額。

「この神社って、なんて名前なんですか? かすれて読めないな」

「地元民は『うめさん』ていっちょる」

 変わった名前の神社だ。印象が薄いというか。梅さんでは一昔前の女の人の名前みたいだ。聖王が数年で忘れてしまったのもしかたない気がする。

「どんな字ですか?」

「えっとね。魚のうおに——」

 芦原がいいかけていたときだ。とつぜん、ギャーと奇声が響いた。

「わッ!」

 おどろく聖王を見て、芦原は笑う。

「ありゃ鷺だわ。都会の人にはわからんか」

「鷺……」

「夜行性なのはゴイサギかね」

「鳥ですか」

「このへんじゃ、よく聞くよ」

 ものすごい声だった。怪獣の鳴き声というか。どこか恐竜っぽいような。思わず、懐中電灯をとりおとしてしまった。あわててひろおうとしたときだ。電灯が変な方向を照らしている。神社の奥、茂みのほう。ひろいあげてから、なにげなく芦原の顔を見た。まるで幽霊でも見たようにこわばっている。


「芦原さん?」

 なんだろう。聖王が怖がったから、からかっているのだろうか? いや、そんな感じでもない。真剣に何かに驚愕している。恐る恐る、芦原の視線のほうへ光をなげた。こんもり黒い木立ちのなかに、うっすらと人の形をしたシルエットが見えた。

 とっさに杏樹をさらった何者かが現場に戻ってきたと、なぜか思った。怖いというよりカッとなって走りだす。


「誰だ!」


 もちろん、相手も走って逃げる。むこうは懐中電灯を持ってないのに、やけに速い。みるみるうちに社の奥の暗闇へと消えていく。樹間を懐中電灯でなめるように照らすが、もう人影は見えなかった。

「聖王くん。どげしたで。急に走りだして」

 息を切らしながら芦原が追ってくる。

「さっき、ここに誰かいたんですよ」

「まさか。誰も来るような場所じゃないよ。もしいたとしたら、それこそ肝試しだわね」

 肝試し? いや、違う。もし中高生がふざけて来たのなら、もっと話し声など聞こえてきたはずだ。さっきのヤツは一人で、物陰からこっちを見ていた。聖王たちを観察していた。


 あきらめて懐中電灯を下にむけた聖王は、そこに一つの足跡を見た。ふいに寒気がかけのぼる。足跡は裸足だった。いくら田舎だからって、夜遅く、裸足で歩きまわる人間なんているだろうか? それに、やけにキラキラしていると思えば、鱗だ。足跡のまわりには魚の鱗が何枚も張りついていた。

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