第24話 来年のニエ

 *



 気がつくと、龍夜は暗闇にいた。体を動かそうとすると、やけにあちこちにあたって身動きとれない。ここはどこだろうか? なんで、こんなに暗いのだろう? あせった龍夜は叫んだ。

「おい! 誰かおれへんのか? 透! そうや。透は——明香は……」

 あれ、そうだ。おれたち事故にあったんだと、そのときになって思いだす。じょじょに記憶が戻ってきた。山道を歩かされ、駐車場についたところで、急に頭が痛くなった。意識が遠くなりつつ、逃げていく透が見えた。


(おれ……そうか。なぐられたんか。じゃあ、ここは?)


 殺されて、土のなか? まさか、棺桶だろうか? そういえば、人間一人ぶんくらいのせまい空間だ。だが、足が伸ばせない。自分の現状がわからなくて、だんだん怖くなってくる。それに息苦しいのは気のせいだろうか?


 暗闇のなかでカチカチと変な音が続く。いったい、あれはなんなのか。地震の前兆で食器棚のなかの皿がぶつかりあうみたいな。小刻みなふるえをともない、ずっと続いている。気になりだすと耳についてしかたない。が、そのとき、急に龍夜は気づいた。ひざがふるえている。いや、全身が。そして、耳ざわりだと思ったのは自分の歯と歯がふれあいカチカチと鳴る音だ。


(おれ、どうなって……?)


 すると、しばらくして近くで話し声が聞こえた。壁を通したように、内容までは聞きとれない。ところどころ単語だけ聞こえる。

「ニエが……これで来年は……」

「たしかに渡したけん……」

「わかっちょう……百万……」

「娘が……安いもん……」

 バカに響く高笑い。

 話し声も大きくなった。

「次の当番は五十年後だわね。これで孫の代まで安泰だけんな。百万ぐらい安いもんだ」

「けど、逃げられんように気ぃつけなはいや?」

「もちろんだわ。生きちょればいいけん、ちょっと弱ったら足は切ってしまぁがいいな」

「じゃあ、誓約書も書いてまったし、帰ぇわ。足切るのはいいが、死なせんやにな」

「そげだなぁ。足首きつく縛って腐らせるほうがいいか」

「いいかもしれんね。去年の当番だった釜屋に聞いてみたらいいぞね」

「ああ、そげだね。だんだん」

 聞けば聞くほど、体のふるえが強くなる。

(足を切る? 腐らせる? 嘘やろ。何いうとるんや。金? そうか。金が欲しいんか? 百万やそこらで、おれのこと売ったんか?)


 逃げないと。ここから逃げないと。早くしないと足を切られる。ズボンが急に生ぬるくなった。恐怖のあまり失禁してしまったのだと気づきもしなかった。両手は自由だったので、前に伸ばして、あたった壁をドンドンたたく。

「あけろ! ここから出せ! 金が欲しいんやろ? 親父にいえば、一億でも二億でも出してくれる。百万ぽっちで、おれをどないするつもりや! お願いだから出してくれよぉー!」

 最後のほうは泣き声になっていた。外からの笑い声が高くなる。

「若いけん、活きがいいがね」

「あばれられんよう気をつけないや」

「一日くらい食べさせんでも死にやせんでしょう。このまま放置しとくわ」

「熱中症にさせんようにな」

「あんたも細かいね」

「死なせて金出さんいわれても困るけん」

「まあ、死んでしまったら肉で提供するわ。価値はちょんぼさがるけど」


(もうダメだ。おれはここで理由もわからず殺されるんや。足切られて、こんな暗い息苦しいとこに、ずっと閉じこめられて……)


 そのあと、話し声は聞こえなくなった。ここがどこなのかも、けっきょくわからない。何時間たったのか? いや、数分かもしれない。息は苦しいが、ギリギリでどこかから空気が入ってくるらしく、そのために死にはしないらしい。何度か失神するように眠った。龍夜の感覚では、まるまる数日が経過したように思えた。が、また意識をとりもどしたとき、ほんの少しだが外が明るくなっていた。日光が入っているのだ。丸い小さい穴が目の前にあいていて、そこから光がもれ入っている。たぶん、朝が来たのだ。まだ半日しかすぎていない。

 しだいに空腹が絶えきれなくなってきた。体の下がぬれてるのは失禁したせいだろう。アンモニアの強烈な匂いが充満している。それに、汗の匂い。我慢ならずに吐き気がこみあげてきた。しかし、ここで吐いたら、もっと臭くなる。必死で耐えるうちに、龍夜はまた気絶した。


 そして、気づけば今度は暗くなっている。喉が渇いていた。明るくなって暗くなった。監禁されてから丸一昼夜がすぎたのだ。食事どころか、水を一滴も飲んでない。

 現代日本でこんなことが起こるなんて信じられない。昨日までは何不自由なく親の金で遊びほうけてたのに。夏休みだからって遠くの海が見たいなんて、明香がいうからだ。たしかに顔は可愛いけど、頭はカラッポで、そのくせ意外に陰険なとこがあって、今思うと、ろくな女じゃなかった。前の前の彼女の芳美のほうが、顔は地味だけどいっしょにいて楽しかった。女なんかいくらでもいるからってふったのが間違いだったのか……。


 龍夜の思考は迷走する。もうまとまった考えも浮かばない。だんだん意識のある時間がへっていく。すると、外から、かすかな声がした。


「どれ、ぼちぼち、足落とすかいな」


 やめろ。やめてくれ。金は出す。金は出すから——大声で叫んだつもりだが、それは言葉にはなっていなかった。やがて、カチカチと鍵を外す音がし、外から扉がひらかれた。まぶしすぎる光に、龍夜は目がくらんだ。抵抗するなら今しかない。立って、相手をなぐって、ここから逃げだすんだ。そう思うのに、指一本あがらない。上から男がのぞきこんでいた。なかば黒い影になり、白目とむきだした歯だけがギラついている。

「やあ、助かぁわ。あんたのおかげで、うちの娘はニエにならんですむけん。だんだんねぇ」

 意識がもうろうとして、その言葉の意味はわからなかった。ただ、このあとは檻みたいなせまい暗闇に閉じこめられ、死ぬのを待つだけの人生なのだと、ぼんやり理解した。

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