第11話 禁域へ



 鬼の形相とはこういうものだろうか。こんなに怒った女の子を生まれて初めて見る。ふだんからイジワルで苦手だが、まなじりがとがり、歯を食いしばるふうは、怖いを通りこして醜悪なほどだ。

「ちょっと近所の人に祭りの日のようすを聞いてまわるだけだよ。芦原さんに任せてはいるけど、待ってられないし」

「じゃあ、そんな荷物、必要ないよね?」

「熱中症対策さ。水分補給しないと」

 すると、梨花は急に大声をあげた。

「嘘つき!」

 たしかに嘘だが、だからといって嘘つき呼ばわりされるすじあいはない。妹の身を心配して何が悪いというのか。正直に話しても協力してくれないから、こっちは自力でなんとかしようとしてるだけなのに。

 無視して立ちあがった。歩きだそうとすると、梨花は怒りの形相のまま聖王の手をつかむ。

「とのうちに行くんでしょ? そんなことしたら、あんたも殺されるだけだから! てか、へたすると、うちからおわびにニエ出すハメになるんだよ? そしたら、女のあたしが選ばれるじゃん。あたし、まだ死にたくないんだけど!」


 聖王は思わずふりかえる。まじまじと梨花の顔を見るが、冗談をいってるふうじゃない。真剣そのものだ。青ざめ、こわばり、何かを恐れている。聖王は気がついた。梨花は怒っているんじゃない。恐怖しているのだと。

「……ニエって?」

 返事はない。

「ニエって、なんのことだよ? まさか、生贄? 杏樹は生贄にされたのか?」

「……」

 神社にお供えされていた腐った魚が脳裏をよぎる。続いて、魚をうばいあって食っていた不気味な集団の姿が。祭りの日には、供えものがさしだされるんじゃないか? 年に一人? まさか、それが人間なのか?


(祭りの日にいなくなった杏樹……ほんとに、そうなのか? だとしたら、叔父さん叔母さんも承知で? この一家……どころか、この町全体でグルになって……)


 梨花の手をふりきり、聖王はかけだした。夏輝から人魚を目撃したことが梨花に知られたのだ。だから聖王がトンネルのむこうへ行こうとしていると、梨花は考えた。ならば、逆に聖王の考えは正しいと立証された。やはり、禁域だ。あのむこうには何かがある。


(どうか、杏樹。まだ生きててくれ。ニエだなんて、そんなことにはなってないでくれ)


 夢中で走っていると、途中で背後から音が聞こえだした。かえりみれば、梨花が自転車を猛スピードでこいでくる。こっちが全力で走っても、さすがに途中で追いつかれた。ひきとめられるかと思ったが、梨花は自転車のカゴに入れていたものを乱暴に押しつけてくる。一冊の本とミックスナッツの大袋だ。

「もう、勝手にしなよ。うちに迷惑かかることだけはやめて」

「……ありがとう」

「捕まっても絶対、うちの名前出さないでよ?」

「わかった」

 口をへの字にしたまま梨花はひきかえしていく。だが、日持ちするナッツはありがたいし、それに、本のタイトルを見て、さらに感謝した。山陰地方の伝承の古い本。図書館のハンコが押してある。探しても見つからないはずだ。梨花が隠し持っていたのだ。これが杏樹の借りてきた本。きっとヒントが記されている。

 急いでデイパックに押しこみ、さきを急いだ。日中の暑い盛りだ。田んぼにも人影がない。人目のない今のうちに、とにかくトンネルのむこうへ行かなければ。


 神社の裏からやってきたあの奇怪な集団を思えば、きっと境内も禁域につながっている。だが、あっちは獣道が途中でとぎれていたし、山道で歩きにくい。舗装された道路なら、少なくとも迷う心配はない。だから、トンネルの道を選択する。神社の石段の前を通りすぎ、そのまま、まっすぐ歩いていった。さっき、梨花が自転車を貸してくれていたら、もっと楽だったのだが。さすがに、それは図々しいお願いか。それに、梨花の自転車には住所や名前が書かれていた。もしも、聖王が禁域で問題を起こしたときに、その住所を見られれば、叔父たちに迷惑がかかる。あるいはその叔父たちにだまされて、杏樹は生贄にされたかもしれないのに、今さら迷惑も何もあるかと、ふと思い、聖王は笑った。とはいえ、あの梨花が協力してくれたのだ。すてゼリフくらいは聞いてやらないと。


 遠くに見えたトンネルも、歩けばほんの二、三百メートルだ。ものの数分でたどりつく。それにしてもすごい迫力だ。今どき、岩をけずった手掘りのトンネルである。明治か大正ごろにできたのだろうか? 天然の岩山をそのまま、くりぬいた感じ。外観は岩そのもので、なかには照明一つない。昼でも薄暗いが、夜ならほんとに足元もおぼつかないだろう。


(ここをぬけたら禁域か)


 そう思うと、なおさら、重圧がのしかかってくる。

 このさきにほんとに人魚はいるのか? なぜ禁域なのか。地元民ですら近づかないのには、それなりのわけがあるはず。

 一歩なかへ入ると、薄暗いだけじゃない。妙な湿気があった。岩肌をつたって水がしたたりおちてくる。水滴が路面にあたり、かすかな音をたてていた。急に寒くなる。入ってはいけない場所へ行く。その緊張のせいだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る