第12話 トンネルのなかで



 ついに禁域へやってきた。厳密には、まだそこへ続くトンネルのなかだ。しかし、緊迫感がものすごい。ほんの十メートルさきに出口の丸い光が見えているものの、逆光のせいか外の景色が見えない。歩いても歩いてもそこへ近づいている気がしない。ここはゆがんだ空間で、永遠にこの闇のなかをさまようのか……そんな気分にすらなってくる。やけに冷たい風が生き物のように足元を通りぬけていった。水音のとどろきが地面をゆらす錯覚をおぼえる。たぶん、潮騒がこんなところまで響いてくるのだ。

 いつまで、ここのなかを歩いていなけりゃいけないのか。出口はほんとに近づいているのか? 遠ざかってないか? そうだ。懐中電灯だ。あれでたしかめよう。

 聖王が立ちどまって、バッグを肩からおろそうとしたときだ。とつじょ、まぶしい白い光が近づいてきた。続いて轟音が迫る。一瞬、禁域に侵入したので、怒った魔物が襲ってきたのかなんて現代人にあるまじき妄想をしてしまった。が、なんのことはない。車だ。派手な色の普通車が一台高速でうしろからやってくる。歩道もないトンネルだ。むこうは聖王に気づいているようすがない。このままでは轢かれる。現実的な恐怖で我に返り、あわてて岩壁に張りついた。そのすぐかたわらを車は走りぬけていった。たぶん、八十キロは出ていた。こっちがよけてなければ、確実に今ごろ礫死体が一つできあがっていた。


(なんだ。あいつら。危ないな)


 ぱっと見だが、近畿地方のナンバーだった。観光客がすいてる山道に興奮して、とばしまくっているのだろう。そのうち歩行者をはねとばしそうだ。禁域も何も知らないから安穏と通っていけるのだ。


(こっちはたいへんな決意で来てるってのに)


 死ぬか生きるかくらいの覚悟はある。軽薄な連中に舌打ちが出た。連中というのは、すれちがったとき、運転席の男と助手席の女が見えたからだ。もしかしたら、後部座席にも誰か乗ってたかもしれない。大学生くらいだった。夏休みを利用して仲間内で旅行に来た感じ。


 まあ、なんにせよ、轢かれなくてよかった。ため息をついて、また歩きだす。

 それよりも問題なのは、禁域に入ったあと、どうやって杏樹を探すかだ。周辺の住民ですらさけているのだ。トンネルのむこうでは、よそものは目立つ。きょくたんに警戒されるに違いない。いくら禁域でも現代日本だ。住人がいるならテレビくらいはあるだろうし、行方不明の女子高生の話題は知っているはず。妹を探しているといえば、どんなあつかいを受けるかもわからない。何しろ、町ぐるみで生贄があった事実を隠してるだろう。梨花だって、だから殺されるといったのだ。


(このトンネルのむこう、どんな場所なのか)


 じつのところ、聖王は以前にも一度、トンネルのさきへ行っている。ただ、そのときの記憶がまったくない。小学二年の夏休み。かねてより近づくなといわれていたそのトンネルへ、肝試しのような気分だった。そのころにはすでに梨花が生まれていて、ワガママばかりいうのでウンザリしていたせいもある。杏樹と梨花が昼寝しているすきに、コッソリ一人でぬけだした。なれた田んぼ道を通り、神社まで行き、もっと冒険したくなった。なんにでも好奇心を持つ年だったのだ。トンネルを見て、イタズラ心がわいてきた。親はダメだというが、一人で行ったといえば、きっと感心されるだろうと。

 でも、そのさきで何があったのかおぼえていない。トンネルの途中までは記憶している。やけに暗くて、何度ひきかえそうと思ったことか。だが、そこで急に記憶がとぎれ、気がついたときには倒れていた。すっかり日が暮れていた。記憶のないあいだ、どこで何をしていたのかわからない。母たちはいなくなった聖王を探して大さわぎだった。警察や青年団も大勢が出て、海から山まで捜索したらしい。そして、トンネルのなかで倒れた聖王を発見した。記憶をなくしているのは、何かしら怖い思いをしたせいに違いないと大人はいった。

 もしかしたら、さっきのようにスピードを出してきた車に轢かれそうになって気絶した可能性もあると、さっきの暴走車を見て思う。それだけのことだったんじゃないかと。できれば、そうであってほしいと。


 このトンネルのさきにはごくふつうの田舎町があるだけだ。何も変わったところなんてない。昔からの差別が根強く残っているだけ。


 いよいよ、外が近づいてくる。まぶしい光輪のなかに、よくある山道が見えた。こんもり茂った樹木。白いガードレールにカーブミラー。思ったとおりだ。禁域なんて、じっさいにはそんなものだ。きっと神社で見たあの集団も、どこからか集まったホームレスだろう。おだやかな港町で暮らしやすいと、放浪する人たちのあいだで話題にでもなったのか。

 そんなふうに現実逃避していたときだ。急にすぐ近くで爆音が響いた。空気が激しくゆれる。地震かと思ったが違っていた。トンネルをぬけると、そのさきのカーブで車がガードレールにぶつかっている。さっきの暴走車だ。思いがけず早々に天罰を受けたらしい。

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