三章 禁域
第13話 事故車
あれだけのスピードでまがりくねった山道をとばしていれば、いつかこうなることは目に見えていた。まだしも歩行者や対向車をまきこまなくてよかった。だからといって、このまま無視して通りすぎるわけにもいくまい。救助が必要なら助けて、救急車を呼ぶくらいはしないと。これから潜入捜査だというのに迷惑だと感じないわけではなかったが、しかたなく大破した車に近づいていく。
だが、心配するほどのことはなかった。ボンネットは派手につぶれているが、聖王がのぞく前に、なかの人物たちは自力で出てきた。
「わあっ、もう死ぬかと思うた。ヘッタクソすぎやろ。おい、
「おまえがうしろから手出したせいや。どうすんだよ、これ。親父に叱られる。買うてもろたばっかやったのに!」
「だから、スピード出しすぎだって、僕はいったんだからな」
運転席と後部座席から、男が三人ドアをあけるなり怒鳴りあう。聖王が声をかけようとしたとき、なかから泣き声が聞こえた。
「うおっ、
どうやら、なかにまだ女が一人いる。龍夜と呼ばれた茶髪の男が運転席からなかを見る。
「明香。どうした? 出てこいよ」
だが、それに対して、痛いとか泣き声しか返ってこない。男三人が助手席側にまわるが、ドアがゆがんでいてひらかない。
「うわっ、血だ!」
「わあ、スゲェ量だぞ。明香、足、折れてんとちゃうか?」
「ヤバいだろ。早く助けないと」
わあわあさわぐだけで、ちっとも救助が進まない。聖王はパニックを起こしている彼らに声をかけた。
「救急車、呼びましょうか?」
龍夜がふりかえる。
「あんた、誰?」
「通りすがりだけど、怪我人いるんでしょ? とりあえず、救急車呼ぶけど?」
「ああ……」
スマホを出して119に電話する。じつのところ、消防署に電話するのは聖王も初めてだ。つながったあと事故を告げると、現在位置を聞かれた。が、問題はそれからだ。
「地元の人間じゃないんで、くわしくはわかりませんが、二津野町の端のほうにあるトンネルをこえたすぐさきのカーブです。新道のじゃなく、手掘りのトンネルのほうです」
いったとたんだ。とつぜん、プツンと電話が切れた。ツーツーツーと不通音だけが耳につく。
「あんた、なんで切ってんだよ」
「むこうから切られたんだ」
かけなおしても、もうつながらなかった。龍夜たちはさんざんわめいたが、なんとなく、聖王には理由がわかる気がした。きっと、事故現場の住所をいったからだ。禁域で起こった事故だから、かかわりあいになるのを恐れたんじゃないだろうか?
「とにかく、その人を車からおろして、このトンネルの手前までつれていくんだ。そこから一番近い家に助けを求めたら、たぶん、救急車も来てくれる」
そうに違いない。禁域の外でなら問題ないはずだ。しかし、事情を知らない龍夜たちは納得しない。
「なんでトンネルだよ。こっちからのほうが民家近いだろうよ。ほら、そこに見えてる」
安易にいうが、聖王は禁域に対する厳然たる差別に、ちょっとショックをおぼえていた。この周辺の住民たちのあいだだけじゃない。消防署の職員や、おそらくは警察でさえ、いまだにこのへんの禁域を恐れている。救急車が来ない。パトカーが来ない。それは日本のなかでありながら無法地帯であるのと等しい。自分が思っていたよりたいへんな場所へ来てしまったのだと、あらためて実感する。
ゴチャゴチャさわいでいるうちに、付近の人たちが集まってきた。見たところふつうのおじさんやおばさんだ。農作業ちゅうらしいカッコウをしている。五、六人もいただろうか。遠まきにまだまだやってくる。たぶん、よそものが来たぞと連絡をとりあっているのだ。田舎の人はシャイだというが、いっこうにむこうから話しかけてこようとしない。龍夜たちは運転席側から助手席の女の子を助けだすのに必死だ。
そのとき、聖王はふと思った。もしかしたら、住民たちの目から見たら、聖王も龍夜たちの仲間に見えているのではないかと。杏樹の兄だとバレないように潜入するには、ちょうどいい。そう考え、仲間らしくふるまう。
「見てのとおり事故ってしまいまして、怪我人がいるんです。救急車を呼びたいんですが、電話を貸してもらえますか? ここからだと電波通じないみたいで。急に切れてしまったんです」
一番近くにいる集団に声をかける。どうせ答えは返ってこないと思っていたのに、先頭の男がうなずいた。口のなかでボソボソいう言葉はよく聞こえないものの、ついてこいと返したようだ。
「待てよ。明香、足折れてんやで。歩けねぇよ」
「誰かがかかえていけば? それか、救急車来るまでここで待ってるか」
「女の子一人ほっとけないよ」と主張したのは、メガネをかけた気弱そうな男だ。龍夜は自分の彼女のことなのに、そっけない。
「じゃあ、おまえがついててやれよ。板野」
この炎天下だ。木陰とはいえ、そろそろクーラーなしではキツくなっている。龍夜は涼しいところへ行きたいのだろう。というわけで、メガネの板野と怪我人の明香を残して、聖王たちは手招きする住人についていった。坂道をくだったところから細い道へ入り、段々畑のように家屋がつらなる住宅街へ入っていく。日本のアマルフィとかそんなオシャレな景色ではなかった。古い木造建築は、なんだか昭和初期にでも迷いこんだような錯覚をおぼえる。妙に暗い。それに、あの匂いだ。そこらじゅうに生ぐさい魚の匂いがただよっている。
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