第22話 老婆と父



 しまった。

 老婆が悲鳴をあげる。そしたら、外の男がひきかえしてくる——

 聖王は老婆の口をふさごうと立ちあがった。暴力をふるうつもりはないが、少なくとも手足は縛り、おとなしくしてもらわなければ。

 ところが、そのとたん、かたわらに誰かが立った。見ると、お父さんと呼ばれていた男だ。上から聖王をのぞきこんでいる。間近で見て、なおさらゾッとする。瞳がない。両眼の黒目がなく、全体が白目のようになっている。思わず、叫びかける聖王の口を老婆にふさがれた。自分がさっきしようと思ったことを相手にされるとは、なさけない。それも相手は高齢者なのに。しかし、そんなことより何より、『お父さん』が怖い。そばに立たれると寒気がする。冷たい空気がすぐそばから流れてきた。全身にザッと鳥肌が立った。


「しっ。みんなが探しちょうのは、あんただね。今は危ないけん、こっち来るだ」

 おどろいたことに、老婆はそういって手招きする。疑っていてもしょうがないので、誘われるままに縁側へあがった。

「靴はぬぐだよ」

「はい……」

 お父さんとの距離を離したいので、急いでスニーカーをぬぎ、家のなかへ入る。縁側のよこにあるのが老婆の寝室。すぐとなりが居間だ。どちらもせまい。キッチンや風呂場は廊下をまわりこんで表側にあるらしい。畑が見える側には、この二部屋しかない。

「しばらく、ここにおるといいが。朝になったら、みんな仕事に行くけん」

「でも、早く妹を助けないと」

「まあまあ。麦茶でよければ持ってくるわ」

「はあ……」

 老婆に敵意はないようだ。しかし、高木親子のように歓待しておいて、油断したところを捕まえようとしてるわけではないという保証はない。いわれるがまま、居間のちゃぶ台のところにすわる。お父さんは追ってこない。縁側を見ると、また畑でバッタを追いかけていた。聖王が老婆に害意を持たないとわかったからだろうか? さっきは聖王が母親に何かすると案じたせいだったのだろう。


 ここも高木親子の家のように仏壇が置かれていた。それに、小さな祭壇のようなもの。米や野菜がお供えされている。あとは、やはり遺影だ。白黒の写真のなかに最近のものと思われるカラー写真もいくつか。流し見ている途中で目がとまった。やっぱり、そうだ。遺影の一つはあの男だ。着物姿の古いモノクロだが、誰の写真かくらいはわかる。『お父さん』だ。思ったとおり、あれは死人だ。

 その写真をじっと見つめていると、老婆が麦茶と茶菓子を持って帰ってきた。聖王の視線を見て、かすかに笑う。八十前後のおばあさんだが、ボケているようには見えない。なぜ、そこで笑うのか理解できなかった。

「お腹すいちょうかね? 茶漬けくらいは作ってくるが」

 そういわれれば、八時間ほど寝たあと、もう二、三時間逃げている。腹はへっていた。でも、高木親子のときの二の舞になりたくない。すると、老婆はお父さんの遺影を見あげて、つぶやいた。

「お父さんが、うちにおることは、みんなにはナイショだけんね。あんたも誰にもいったらいけん。秘密にしてごすなら、うちでかくまってあげぇわ」

「なるほど。困った者どうし協力しあいましょうってことですか。それなら、いただきます」

 まだ完全に信じたわけではないが、空腹だし疲れてもいた。少し休みたい。老婆が台所へ歩いていったあと、茶菓子をむさぼった。まんじゅうや煎餅は個包装だ。睡眠薬も入れられない。麦茶は迷ったが、ペットボトルの水道水を飲んで、かわりにそこへそそぎこんだ。もしも、どうしても水分が欲しいときに飲もうと考える。

 そうこうするうちに、老婆は戻ってきた。盆に茶碗と急須、塩昆布と梅干しを載せている。自宅なら肉がいいよと文句をいうメニューだが、一口食べると、あっというまにかきこんでしまった。自分で思っていた以上に空腹だったのだ。

「おかわりいるかね?」

「お願いします」

 満腹になって落ちついたところで、たずねてみた。

「あの遺影、息子さんですよね?」

「……」

 老婆の表情はとたんに暗くなる。答える気はないのか、そのまま無言になった。


「ごちそうさまでした。歯磨きしたいので洗面所、借りてもいいですか?」

 しかし、返事がない。いったい、どうしたというのか? すると、老婆はため息をつきつつ語りだした。

「あれは、わのお父さんだわね」

「えっ? でも……」

「お父さんが亡くなったのは、わが十のときだった。漁に出たとき、急な時化にあってね。船からなげだされて」

「ああ……」

 そうだった。あの男は亡霊だった。死んだあと年をとらないから、長生きした娘のほうが年上のように見えるのだ。


「でも、じゃあ、なんで死んだはずの人がいるんですか? もしかして、この町が近隣から忌避されてることとに関係してますか?」


 老婆は急に聖王のおもてをじっと見つめてくる。

「あんた、ただのよそもんじゃないかね? なんか知っちょうか?」

「行方不明の妹を探しています。妹はこの前の祭りでニエにされたんじゃないかと考えてます。もしくは、来年のニエのためにこの集落のどこかに監禁されてる」

「ニエのことまで知っちょうか」

「もともと、この近くに親戚があって、ここらが禁域だと聞かされていました」

「なら、話してあげぇか?」

「……お願いします」


 ついに集落の秘密がわかる。そう思うと、動悸が激しくなった。

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