第18話 迷い人



 少女の手はどこか冷んやりして、布に包んだ氷のようだ。冷たいせいか、なんとなくぬれているような心地がする。子どものころに田んぼのまわりで捕まえて遊んだアマガエルの感触。やわらかくて、もちっとして、とても小さい。


(あれ? 昔、こんなことあったような?)


 この子といっしょに遊んだことがある気がする。そんなわけはないのに。だって、聖王が子どものころなら十年以上前だ。そのとき、この子はまだ生まれていない。よく見れば、とても可愛い顔立ちをしている。大きな黒い瞳の日本人形。古くさいやつではなく、今の需要にあわせて、最近に作られた西洋風のそれっぽい。

 路地から路地へ走り、家と家のあいだにある小さな空き地についた。位置からいえば県道に近いだろう。ちょうどくずれかけたコンクリート塀があるので身を隠せる。とりあえず、追っ手はまけた。

「ありがとう。君、名前は?」

「……」

 少女は答えず、つかんでいた手を離すと、もとの道へ戻っていった。

「あ、ちょっと——」

 こんなところに一人でほうりだされたら、即行で迷ってしまう。というより、すでに迷ってはいる。だが、まあ、聖王は逃げだしたいわけじゃない。この集落のどこかにいる妹を探しだしたいのだ。ちょうど端のほうだから、一軒ずつ調べていけばいい。


 それにしても走りとおしたので、水を飲もうとバッグをおろす。ついでにスマホを見ると、着信履歴に叔父、叔母、芦原の名前がならんでいた。とくに芦原は十回以上もかかってきている。消音にしていたから気づかなかった。


(ああ、そうか。ここ、電波は来てるんだな)


 まったくの陸の孤島ではなかった。消防や警察に通報してもムダではあるものの、知りあいとの連絡はとれる。まわりに家はあるが空き家のようだ。手入れのなってない庭木が密集していて音も響かない。思いきって、芦原に電話をかけた。着信履歴の最新のものは五分前だ。まだ起きているだろう。呼び出し音がほんの一、二回鳴っただけでつながる。

「聖王くんか? 今、どこにおる? まさか、禁域じゃないだろうね?」

「すいません。そのまさかです。聞いときたいんですが、祭りの日、杏樹を見た人っていないんですか? 今さら嘘はなしにしてください。ごまかしても、もう遅いですから」

 ちょっとためらったあと、芦原は嘆息した。

「じゃあ、正直にいうわ。ほんとのとこはとっくにわかっちょった。妹さんがおらんようなったあとすぐ、みんなで話したとき、花火の途中で石段をおりてく姿、何人か見ちょう。すれちがったもんによれば、トンネルのほうに歩いていったらしい」

「やっぱり、そうなんですね。杏樹は今この集落にいる可能性が高い」

「たぶん……」

「わかりました。じゃ」

「ちょっと待って。妹さんなら、もしかしたら金で解決できるかもしれん。おれやつはもんだけど、いちおう、うめさんの氏子だわ。交渉すればお金でひきわたしてもらえるかも。もちろん高額になるし、拉致されたことは警察にもマスコミにも金輪際いわんって誓約書かされぇと思うけど」

「それは、おれの親に相談してくださいよ」

「君まで捕まったら交渉も何もならんわ。二人も返してくださいって、返してごすわけないがね」

 まあ、そうかもしれない。それにしたって、交渉に応じてくれる保証なんてないのだ。考えたくはないが、杏樹がすでにニエにされてる可能性だって……。


「とにかく、杏樹を探して、できるだけ早く帰ります」


 聖王は一方的に電話を切った。電波が通じているなら、いい方法がある。聖王の家族はかなり仲がいいほうだ。杏樹とも二人で買い物に行けば恋人とまちがわれるほどだった。だから、スマホのGPS機能を使って居場所がわかるアプリをおたがいに入れていた。ただの安否確認みたいな感覚で。ふだんは見もしなかったが、杏樹が行方不明になった直後、使ってみた。そのときは電源が切れているのか表示できなかった。もしかしたら、今ならアレが使えないだろうか? 万一でも所在がわかれば……。


 試しにアプリをひらいてみた。杏樹のマークが地図上に出ている。が、それは次の瞬間消えた。杏樹のスマホは電源を切られているわけではないのだ。電波が不安定なところにいるのかもしれない。たとえば、山の陰。このあたりなら、電波のつながる場所とつながらない場所が混在している。

 でも、今、一瞬だが、杏樹のスマホの位置がわかった。地図で確認すると、この集落の端のほう。聖王がいるのとは反対側——つまり、海に近いあたりだった。


(海か……)


 正確には海岸線のどこか。わりと大きな建物がそばにあった。見れば、漁業組合の管理地のようだ。GPS機能には誤差もあるが、なんとなく怪しい。きっと、ここだ。ここへ行けば、杏樹に会える。

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