第17話 深夜の逃走



 高木親子の話から推測すると、この町では迷いこんだ観光客はもてなした家の所有物となる。そして、年に一度の祭りの日、ニエとして選ばれた町民の代理としてさしだされる。本来のニエはのなかから当番制で選ばれているようだ。ニエは人魚とおぼしき集団に食べられているのではないかと思われる。


(とんでもない町だ)


 どおりで周辺地域から忌避されるわけだ。今の世のなかで生贄だなんて、ありえない。だが、うとまれつつも、それが成り立っているのだから、人魚にはそれなりの力があるのだろう。もし、人魚を食べれば不老長寿を得られるという伝説がほんとなら、それを売ればものすごい高額報酬が得られる。どんな金持ちでも現在の医学では若いまま八百年も生きられないのだから。政治家や芸能人、金を持った連中はどれだけ払ってでも欲しいだろう。国家権力的なもので秘密が守られているとしたら、この町のなかでは何が起こっても不思議はない。


(逃げよう)


 それ以外に選択肢はない。きっと、杏樹も祭りの日に迷いこんで、どこかで捕まっている。山と海岸のあいだのせまい集落だ。せいぜい二百世帯。すべての家を片っぱしから調べることもできなくはない。情報を得てからなんていわず、今は逃げだして自分の身の安全を守ったほうが得策だ。聖王が死んだり捕まったりすれば、杏樹を助ける者だっていなくなる。

 さっきの会話だと、高木親子は聖王と心のどっちかを再来年のニエの家に売ろうとしている。その家の人物はあと三十分しなければ帰ってこない。逃げるなら今しかないわけだ。

「心。起きろ。起きろよ」

 だが、ゆさぶっても酔いつぶれた心はまったく目ざめない。それどころかイビキが高くなるばかりだ。三十分しかないのに、これじゃ時間がなくなっていくばかりだ。

「おい、心!」

 ピタピタと頬をたたき、声をかける。つい口調が荒くなっていたようだ。廊下に足音が近づいてくる。あわてて、聖王は布団にもぐりこんだ。タッチの差で障子がひらいた。ほんの十センチほど。そのすきまから月光がさしこむ。畳に人の形の影が浮かんだ。ドキドキしながら、もし襲われたらすぐに立ちあがって逃げだそうと身がまえる。幸いにして、障子はそのままピタリと閉まった。

「どげだ?」

「寝ちょうわ」

「声が聞こえた気がしたが」

「気のせいだないか?」

「もうすぐ洋さんも来るけんな。さきに縛ってしまっとくか」

「そうがいいわ」

 ヤバイ。縛られたら、いよいよ逃げられなくなる。もう心が起きるのを待ってはいられない。聖王はそっと布団をぬけだすと、デイパックを背負った。高木親子は玄関にいるようだ。声がそっちから聞こえてきた。ということは、逃げるなら裏の坪庭から外へ出るしかない。


(あのガラス戸、きしまずにあくかな?)


 そっと障子をあけ、廊下をながめる。高木親子はいない。どこへ行ったのだろうか? 玄関で洋さんというのを待っているのか? なんにせよ、チャンスだ。音を立てないよう細心の注意をはらって、人間一人通りぬけられるだけ障子をひらいた。やっぱり人影はない。聖王たちが寝てしまったと、すっかり油断しているらしい。

 左右を見まわしたあと、よつんばいになって、聖王が座敷から這いだそうとしたときだ。ギュッと何かに足首をつかまれた。指の感触がハッキリ伝わってくる。心が目をさましたに違いないと思い、ふりかえる。そこで、聖王はゾッとした。自分と心しかいないはずの座敷に老婆が立っていたのだ。着物を着て、老いて細くなった白髪をうしろで団子にしている。顔は陰になっていて、ほとんど見えない。が、目だけがやけに白く光っている。細くて陰険そうな目が、じっと聖王をながめている。


「うわー!」

 悲鳴をあげたのは聖王ではなかった。心だ。聖王はおどろきすぎて声も出なかった。その悲鳴を聞きつけて、バタバタと足音が走りよってくる。

「なんだ、なんだ?」

「どげした?」

 高木親子がガラリと障子をあけはなった瞬間に、聖王は二人をつきとばして走りだした。足首をつかんでいた手も離れている。玄関まで走ると外へとびだした。一番マズイ逃げかただ。すぐに追われるし、へたすると、町じゅう総出で探し始める。

「まさきくん! 待ってくれよ!」

 心の声は聞こえていたが、今はそれどころじゃなかった。たしかに心とはふつうに話せたし、時間さえあれば友達にだってなれた。でも、杏樹を助けるためには、ここで捕まるわけにはいかないのだ。


 とにかく、身を隠せる場所はないかとキョロキョロしていると、誰かが手招きしている。浴衣を着た七つ八つのおかっぱ頭の子。高木家の坪庭で見た女の子だ。なぜ、聖王に味方してくれるのかわからないが、どうやら逃がしてくれようとしている。アレコレ考えているヒマもないので、思いきって少女にしたがう。路地に入ったとたん、高木親子が外へ出てきた。

「まだ遠くに行っちょらんはずだ」

「今風のイケメンだけんなぁ。うめさんが喜ぶだろうに。絶対、見つけらんと」

 聖王はもう聞いてない。少女の手にひかれて暗い夜道を走っていた。

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