第32話 冷凍室



 重い鉄の扉の内側には冷気が満ちていた。マイナス三十度を甘く見ていた。Tシャツで入っていい場所ではない。一瞬で全身に鳥肌が立つ。吐く息が真っ白だ。長時間いると、それこそ命にかかわる。さっきの二人に見つかることを恐れている場合じゃないと判断した。なるべく早く、杏樹がこの場所にいるかどうかを確認して出ていかないと。

 なかはさっきの場所より明るい。ふだんはきっと照明をつけていないのだろうが、あの二人が点灯してくれたに違いない。外観の八割がこの冷凍室だ。つまり、広さは四メートル四方。天井に数本のレールが設置され、そこからたくさん冷凍魚がぶらさがっている。マグロほど大きなものではなかった。この近海でとれる魚類だろう。鯖、アジ、クロダイ、スズキ。ほかにもいろいろ。スルメイカや貝類などの小物はケースに入れて床に積まれている。それにしても、室内はガラガラだ。やはり、田舎の港にはもったいない設備である。


(変だな。もっとヤバイ秘密が隠されてると思ったんだけどな)


 どこから見てもふつうの業務用の冷凍室。貯蔵物が少ないだけに清掃も行きとどき、ひじょうに衛生的だ。市の検閲が入ってもまったく問題はない。なぜ、こんなものを建てたのか疑問に思える。この量ならさっさと流通にまわしたほうが経済的だ。

 それに、全体を見わたすのに数秒しかかからないが、さっきの二人も心の姿もなかった。人間が隠れていられるほどの大きなものは室内にない。つまり、どこかに別の部屋がある。


(ここはよそものに見られたときの用心に造られた体裁の部屋だ。ほんとの用途は違うんだ)


 だとしたら、どこかに入口があるはず。まず壁を見るが、一見しただけで、つるっとしたコンクリートだ。ドアもなければ、すきまもない。外から見た建物の形状からいっても、地上部分に別室をもうけるスペースはない。


(地下か。この建物に隠し部屋があるなら、地下しかない)


 床も壁同様、見るべきものは少ない。が、イカなどのつまれたケースのむこうがかげになっている。よってみると、コンクリートの一部が外れて、わきに置かれている。ここの床は打ちっぱなしではなく、すべりどめの四角い模様が入っている。このあげぶたを模様で目立たなくしているのだろう。ちゃんと閉めて上からケースを置いてしまえば、そこに地下への入口があるなんて気づかない。のぞくと階段があった。ここも薄暗い電球で照らされている。入っていくと、足音が響くので、ヒヤリとする。階段はわずかに数段しかなかった。さっきの部屋と同じく冷気が充満している。ここにドアはない。階段をおりたところで、なかをうかがう。照明がついていない。いや、非常灯のほんのり緑色の光だけがある。おかげでほとんど見えないが、冷凍室であることはわかった。ここも天井から何かぶらさがっている。しかも、さっきより大きい。数は十五、六と、そう多くはないが、マグロだろうか?

 暗いので逆に忍びこむには都合がよかった。さきに入った男たちに気づかれずに探索できる。暗闇に身をひそめつつ、人間を隠しておけそうな場所を探す。しかし、どこにもそんなものはない。四角い部屋に大きな魚がぶらさがっているだけだ。

 どこからか話し声が聞こえる。姿は見えないものの、さっきの男たちはここにいるらしい。

「……約束が違う! ……つれてきたら……だから——」

「うちのもんにならんだったら、つれてきちょらんといっしょだ」

「そんなの、そっちが出遅れるから悪いんだろ?」

 何やらいいあらそっているものの、声が変な反響をして、よく聞きとれない。


 話し声のするほうをさけつつ、歩いていた聖王は、非常灯の前にさしかかった。ほかよりいくらか明るい。局所的に照明が一部を強く照らしている。その光のなかにぶらさがるものを見て、叫びそうになった。


(な——)


 どおりで、人間を隠せる場所なんてないはずだ。隠す必要なんてないのだから。この冷凍室じたいが、さらってきた人間の保管場所だ。天井から逆さにつりさげられているのは、人間だった。両手足がたれさがらないようロープで縛られ、髪をそられている。すでにカチカチだ。霜がうっすらとついて白くなっている。それでも、男だとわかった。しかも、どことなく見おぼえがある。


(あれ? この服……もしかして?)


急いで顔の霜を手ではらうと、思ったとおりだ。顔色は青白いものの、知っている人物。疋田だ。眉間に一つ穴があいている。病院へ送るなんていう高木のいいぶんは嘘だったのだ。あのあと、疋田は殺されていた。ということは、いっしょにいた龍夜も、おそらくは……。


(まさか……このなかに杏樹も?)


 あわてて、一人ずつの顔を確認する。が、非常灯の近くはともかく、少し離れると顔の判別がつかない。体格でなんとなく男か女かくらいしかわからない。ほとんどが男のようだ。あまりにも集中していたため、自分の護身がおろそかになっていた。いっそ、懐中電灯をつけるかとすら考えて、それだとさっきの二人に見つかってしまうと、やっと冷静になる始末だ。だから、暗闇のなかで、とつぜん誰かにぶつかったとき、最初はぶらさげられた人間だと思った。あっちも同じだったらしい。同時にふりかえって、相手が地面に足をつけて歩いていることに気づいた。むこうの口から「わっ」と悲鳴がもれ、懐中電灯がころがりおちる。二人組の一人だ。見つかってしまった。

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