六章 冷凍室の攻防
第31話 目的地
小走りにドアへむかっていき、あける。鍵はかかっていない。そろそろとひらいてみるが、付近には誰もいなかった。さっきの三人は奥へ行ってしまったのか。なかは薄暗いが真っ暗闇というほどではない。20Wていどの電球が一つついている。とてもすみずみまで照らせるほどではないにしろ、視界は確保されていた。入口の近くはコンクリート打ちっぱなしの壁や床。二畳ほどの広さに大きな機械がいくつも置かれている。ブーンとモーターの音が耳につく。そのむこうに頑丈な鉄の扉が見えた。ドアのすきまから、ただならぬ冷気がもれてくる。それだけで、ここがなんなのかわかった。
(冷凍室だ。それも、マグロとか、ブロック肉とか、つるして保存しとく業務用の)
漁港なので、マイナス三十度の極低温で魚を保存する場所があっても不思議はない。しかし、見るからに貧しいこの集落にはそぐわない設備だ。なかに何があるのか。イヤな予感しかしない。それに、なぜここに心をつれてきたのだろう。監禁しておくつもりだろうか?
(とにかく、まず杏樹だ。杏樹を探さないと)
するりとドアのすきまを通る。機械のかげに隠れながら、奥のドアのようすをうかがった。顔の高さにガラスののぞき窓がある。そこに人影は見えない。思いきって、ワンコールだけ杏樹のスマホに電話をかけてみた。今度はさっきより、かなりハッキリ音が聞こえた。あの鉄の扉のむこうだ。わりと近かった。
のぞき窓からなかを見てみようと立ちあがる。が、そこへ話し声。
「なんだ。なんだ。今、音がしただないか?」
「さあ。わには聞こえらんだったぞ」
「いや、した。音楽みたいだったが」
気づかれてしまった。彼らがスマホを見つければ、音の出どころには納得するとしても、そのまま没収されてしまう。スマホのなかには杏樹の行方を探す手がかりが残っているかもしれない。そう思うと、みすみすとられるのは悔しい。どうにかできないかと考えこんでいると、運よく、そのとき男のスマホが鳴りだす。ちょうどワンコールぶんくらい。
「なんだ。わのスマホだわ。メールが来たみたいだがね」
「そげか。おべたわ」
笑いつつ、二人は奥へ歩いていく。助かった。聖王はすぐむかいにあるもう一つのドアのなかへ二人が入っていくのを見送ってから、追うように同じドアの内へ侵入した。ほんの一畳ほどのせまい空間だ。おそらく冷気が外へ逃げないよう二重扉になっている。何も置かれていない。今はひらかれているものの、カーテンがかかっているのも温度遮断のためか。そのカーテンの下あたりに、スマホが落ちている。女の子らしくない紺色のケース。杏樹のスマホだ。とびついてひろいあげ、ポケットに入れる。すぐなかを確認したいが、いつさっきのヤツらが帰ってくるかわからない。それに、ここにスマホが落ちているのだから、杏樹が一度はつれてこられたということ。もしや、冷凍室のなかに……。
(杏樹……)
さすがに冷凍室に閉じこめられていれば、一週間もそこで生きているわけがない。だが、たしかめないわけにはいかない。もちろん、妹だから愛しい。それにしても、なぜそこまでするのかと他人なら思うかもしれない。それにはわけがある。子どものころだ。杏樹は一度、さらわれそうになったことがある。まだ聖王が七つか八つ。杏樹は三、四歳だ。近所の児童公園へ遊びに行ったとき、何かの理由で母がちょっとのあいだ離れた。トイレか飲み物でも買いに行ったか。やんちゃな盛りの聖王は公園を走りまわって一人で遊んでいた。「お兄ちゃん、待って」と、ずっと杏樹が追ってきているのは知っていたが、幼い妹はこんなとき足手まといでしかなかった。無視してかけまわっていたとき、泣いている杏樹の手をとったのがその男だった。つれさろうとしているところに、ギリギリで母が帰ってきた。金切り声をあげ、まわりにいた若い夫婦の夫が男を組みふせてくれた。おかげでことなきを得たが、あのまま誘拐されていたら、どうなっていたかわからない。当時は事の重大さに子どもの聖王は気がついていなかった。ただ、母や大人たちのようすから、たいへんな事態だったのだという感覚はあった。小学高学年、中学とあがるにつれ、あのときのことを思いだし、聖王は自分がなさけなくてしかたなくなった。なぜ、あのとき、杏樹を一人にしたのだろうと。だから、もう二度とあんなめにあわないよう今度こそ守ってやるんだと、ずっと思っていた。杏樹が結婚して、その役目をゆずれる男が現れるまで。いや、そのあとだって、ほんとは一番、自分を頼りにしてほしい。今度のことも、杏樹を一人で母の実家に行かせるんじゃなかったと悔やまれてならない。梨花がいるからとか、叔父たちに迷惑だからとか、遠慮するんじゃなかった。こうなるとわかってさえいれば。
(ぶじでいてくれ。杏樹)
このさきの冷凍室。もしそこで杏樹の変わりはてた姿を見たとしても……それでも、見つからないよりはいい。
(行こう)
決心をかため、聖王はドアノブをまわした。
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