第30話 逃走猫車



 筵の下で聖王はドキドキだ。今ここで筵をめくられたら、おしまいだ。こっちは身動きがとれない。相手が素手なら、まだしも逃げられる可能性はある。しかし、ハンマーや猟銃を持っていたら反撃のしようもない。

(見つかりませんように。見つかりませんように)

 そればかりを無心に祈る。

 かたわらでヨネと男はたあいない会話を続けている。

「何って、こうから山に薪ひろいに行くがね。風呂わかすのにいるけんな。あんたが手伝ってごすか?」

「いんや。わは昨日逃げた男、探しちょうわね。うちはニエの番まだだけど、七年後なら、すぐだ。冷凍にしてとっとくだと思って」

「ああ、そげかね」

「あんたんとこのそばで見た者がおるらしいが。ばあさんは見らんだったかね?」

「うちは早に鍵かけて寝てしまぁけん。知らんわ」


 ヨネはなかなかうまいぐあいにいる。年をとると、このくらいの演技はふつうにできるのか。だが、恐れていたことが起こった。

「ネコになんか載せちょうで?」

 男の足がグッと猫車に近づいてくる。筵をめくろうとしている。先手をとられたら終わりだ。その前にいっそ、こっちからとびだして襲いかかるべきか? 相手は一人だ。武器を持っていなければ勝ちめもある。だが、何も持ってないとは考えられない。あっさり返り討ちにあうかも……必死に考えをめぐらせていると、ヨネが低語を発した。早口のきつい方言で、聖王には聞きとれない。男が息を飲んだ。

「金がなんだ?」

「出せぇかいう話だわ。タダじゃ教えられん」

「見たかね?」

「しいっ。ちゃんと見たわけだないけん。玄関の前よぎっていったが」

「それ、いつだ?」

「ついさっき、ネコ出すときだ」

「行ってみぃわ」

「あんたがとらまえたら、礼してごしないよ。三枚でいいが」

 バタバタと男は走っていく。猫車が動き始め、しばらくしてとまった。筵がめくられる。

「ここまで来れば、もうすぐそこなけん。がんばぁだよ」

「さっきの男は……」

「怪しい男がおったてていったら、とんでいったわ」

 笑っている老婆がとても頼もしく見える。

「ありがとうございます。お礼をしたいんですが」

「ぶじに逃げて、わの葬式にでも来てごしないや。もうじきなけん」

 すごいブラックユーモアだ。カラカラと笑う顔に悲壮感はない。

「そんなこといわず、長生きしてくださいよ。じゃあ!」


 猫車からとびおりると、聖王は建物のかげまで走っていった。とりあえず身をひそめると、スマホでマップを確認する。まちがいなく、杏樹のスマホがごく近くにある。そっちにむかって慎重に歩きだした。まわりに人影がないか、しつこいほど確認してから走る。まもなく大きな建物が見えた。といっても五メートル四方の四角いコンクリート建てだ。遠目では、ぬりかべのように見える。窓や扉がいっさいない。そのそばに漁船が何艘か陸上げされていた。船と船のあいだに入り、建物を観察する。出入りする人はいない。いや、薄気味悪いほど人気ひとけがない。港ならつねに誰かがいるだろう。網の手入れをする老人だとか、水あげした魚を運ぶ漁師とか。よく見る光景だ。どうやら港ではない。


(なんだろう? あそこ。窓もドアもないんじゃ、なかへ入れないぞ)


 周囲を見ながら、ゆっくりと前にまわる。ドアが一つだけあった。ドアノブをまわしてみる。が、当然、鍵がかかっている。


(まあ、そうか。あたりまえだよな。町にとって重要な施設なら鍵くらいかけるよな)


 せめて、杏樹のスマホがそのへんに落ちていないかと探すものの、見つからない。やはり、建物のなかじゃないかと思える。あたりに人影がないので、思いきって電話をかけてみた。近くに落ちていれば着信音が聞こえるはず。すると、どこからか音がした。杏樹は聖王からの着信をヒゲダンのブラザーズに設定している。そのメロディがきわめてかすかに聞こえてきた。防音がけっこうきいてるようで、とぎれとぎれだが、壁に耳をあてると少し明瞭になる。


(まちがいない。この壁のむこうだ)


 これは困った。どうやって、なかへ入るべきか。ちょうど考えているところへ、足音がいくつか響いた。とっさに電話を切り、あたりを見まわす。男が二人、こっちへむかってきている。いや、正確には三人だ。二人にひきずられているのは心だ。両手を荷造り紐で縛られている。

「ほら、来い」

「僕をどこへつれてくんだよ!」

「すぐに仲間に会わせてやる」


 心がまだ生きていてくれたことにはホッとする。が、あまり望ましい状況ではないようだ。二人づれは高木親子ではない。昨夜、心は酔いつぶれていたから、そのまま捕まり、今朝になって高木から売り渡されたというところか。


「おとなしくしちょれば、しばらくは生きられぇけん」

「イヤだ。うちに帰してくれ!」

「もう逃げられんけん。あきらめぇだ」


 三人はこの建物にむかってきている。聖王はタイミングを見ながら、そろそろと建物の横手にまわりこんだ。入れ違いで男たちは正面へ歩いていく。ガチャガチャと音がしているのは鍵をあけているのだろう。角からのぞいてみると、二人は抵抗する心の背中を押して、なかへ入っていった。


(侵入するなら今しかない)


 なかへ入ったあと、もしも彼らがさきに出ていき、外から鍵をかけられたら閉じこめられてしまう。それでも、なかに杏樹がいるなら、行ってみるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る