第8話 魚女の伝承
昔々ある所(注1)に万作(注2)という漁師が居た。万作の両親は既になく一人暮らしだが、日に自分が食うに精一杯の貧苦で嫁の来手はなかった。ある日万作が漁に出た折、浜に女が倒れて居た。前夜の大時化で船が難破したのだと万作は考え、女を介抱してやった。女は非常に美しく海根(みね)と名乗った。行く宛てもないので万作が家に連れ帰り、そのまま夫婦になった。海根はよく働き贅沢を云わず稀なる良妻であったが、自分が何処の者で何故浜に倒れていたのか話そうとはしなかった。只一つ不思議な事には海根が食べるのは後にも先にも生魚だけだった。女だてらに漁の手伝いをし、海根が居る日は必ず大漁だった。素潜りが非常に上手く一日に千魚を取った。だがしかし深夜になると何処へか出掛けていき朝になると帰る。何処へ行ったと問い詰めても答えぬので、万作はある夜女の後を密かにつけていった。海根は浜辺にやって来て——
*
図書館でコピーしてきた用紙を読んでいた聖王は、昼食に呼ばれて、いったん目を離した。デイパックの内ポケットの一番奥につっこんでおく。
杏樹のキャリーケースは調べてみたものの、やはり本は入っていない。もしかしたら、この家のなかに無造作に置かれているのかもしれない。たとえば、以前、杏樹も寝泊まりしていたこの客間のどこか? 布団をたたんだときに、あいだにはさんだとか?
そんなことを考えつつインスタントラーメンの昼ご飯をもらう。カップではなく、野菜たっぷりのラーメンだ。手作り感があってインスタントでも充分うまい。こんなに世話になって悪いなと思う。
「杏樹が図書館に何を調べに行ったのかわかりました。このあたりの伝承で、魚女という妖怪か神様の話がありますよね?」
それとなくたずねると、叔母と夏休みちゅうの子どもたちは、同じくラーメンをすすりながら首をかしげる。
「うおのめ?」
なんて、夏輝はふざけた。叔母がかるくたしなめる。
「違うでしょう。うめさんのことじゃないの?」
聖王はすかさず口をはさむ。
「たぶん、そうだと思います。あの神社に祀られているのって、その魚女という女性ですか?」
「さあ。昔のことはよう知らんけど、神社の縁起がどっかに書かれちょうはずだよ」
「神社の裏にあるよ」と、夏輝。「でも、ほとんど読めん」
叔母がこげすぎたタマネギをよけながら続ける。
「子どものころに聞いた話だと、漁師が海で溺れた女を助けて、それがほんとは人魚だったってことだわ。正体がバレて女は海に戻ったけど、そのあと漁師が漁に出るといつも大漁になって、それが人魚のおかげだったとかなんとか。それで神様として祀ったって話だわね」
それだけ聞くと、よくある縁起物だ。人間の男と妖怪の女の悲恋話。
(人魚。魚女は人魚なのか。それとも、海女房の亜型かな?)
しかし、その縁起は読みに行くべきだ。昨日は神社の裏までまわってみなかった。何度も神社へばかり行くが、あそこには何かが隠されている気がする。あの足跡もいちおうスマホで写真は撮ったものの、暗かったのでいい写りではなかった。明るいうちに撮りなおしておきたい。ふだんは誰も神社に近よらないというから、まだ残っているだろう。
「じゃあ、このあとまた神社に行ってみます。芦原さんが帰ってくるのは何時ごろですか?」
「たかちゃんはいつも六時ごろだっただないか」
「そのころにご自宅をうかがってもいいでしょうか?」
「かまわんでしょ。なんなら電話しとくわ」
「お願いします」
杏樹の行方について新しい話が聞けたか確認しておきたい。頼んでおいて、聖王は神社へむかった。夏輝がひっついてくる。道すがらにぎやかに話しかけてくるので、魚女についてたずねると、やはり中途半端な答えが返ってきた。
「おじいちゃんなら昔の人だけん、よく知ってたかも。おれやつはもうあんま知らんけんね。でも、魚崎には絶対、行かんけどね」
「うおさき? それってどこ?」
だが、返答を聞く前に神社についた。急な石段を少年はかけあがっていく。まだ二十歳すぎなのに体力の差を感じた。
「ほら、こっち、こっち。ここに書いてあるよ」
たたっと社のうしろがわに夏輝が走っていくので、息を切らしながら追う。たしかに、さっき叔母から概要を聞いた話が看板に書かれているようだった。が、あまりにも古くてほとんど読めない。ただ、ところどころに残った鮮明な部分の文字をひろい読みする。文中に万作が女を助けたのは魚崎だと記されていた。
(魚崎か。岬かな? このへんで岬っていっても、そんなに大きいとこじゃないだろうな。
地形的にちょっとだけ海に張りだした岩場のようなものじゃないかと思った。すると、脳裏に子どものころ見た光景がよみがえる。祖父の漁船で見たあの小さな岬。近づいてはいけないといわれた禁域だ。
たぶん、間違いない。あれが魚崎だ。そこは今でも禁域になっている。
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