第9話 神社での怪異



 そのあと、昨夜の足跡を探そうとしたときだ。ザワザワと木立ちが鳴った。さっきまで鳴いていたセミの声がやむ。ペタペタと独特な足音が近づいてくる。昨夜のあの人影が戻ってきたんじゃないか。とっさに、聖王は神社の床下にもぐりこんだ。高床式なので大人でもかかめば、らくに入りこめる。手招きして夏輝も呼びこむ。夏輝は聖王がふざけているのだと思ったのか笑っていた。だが、その瞬間、ガサガサと茂みを割って、何者かが境内に入ってくる。

 最初の心づもりでは、聖王は隠れるために床下に入ったわけじゃない。不審人物が近くを通ったら、足をつかんでやろうと考えたのだ。そのほうが追いかけるより確実だ。が、すぐにその計画はくずれた。昨夜、神社にいたのは一人だった。だから今回も同じ人物だろうと考えたのに、足音はいくつも続いている。複数いる。床下から見える建物と地面とのすきまから、その人物たちの足が見えた。少なくとも四、五人……いや、まだ入ってくるようだ。相手が大勢だと事情が変わる。これじゃ返り討ちにあう。


 聖王は困りはてて、彼らの動向をうかがった。ぞろぞろとやってくるのが何者なのか、顔は見えないのでわからない。見えるのはひざ下だけだ。みんな裸足だ。まれにサンダルをはいている者もあるが、ソールがはがれかけてボロボロだ。それに……なんというか、全員、何かが変だ。やぶれかけたパンツから見える皮膚にはケロイドがある。妙にささくれだって、昨日の腐りかけた魚を思いだす。それだけならまだしも、肌色が薄気味悪いほど白い。まるで血が通っていないかのようだ。


 死人の足——


 そう思って、ゾッとした。

 男が多いが女のものらしい足もたまに見える。それらが社をとりかこむようにして、左右から前へ歩いていく。のろのろともつれる足どりには目的もなさそうだが、彼らなりに急いでいるのかもしれない。神社の前面は階段で外が見えないが、そこに集まっていくようだ。


「せ、聖王にいちゃん……」

「しッ」


 不安そうな夏輝の肩に手をかけ、落ちつかせる。聖王だって怖くないわけじゃない。それにしても、夏輝のおびえかたは尋常じゃなかった。そのようすから、夏輝は何か知っているんじゃないかと思った。彼らの正体を知っているから、よけいに恐ろしいのではないかと。


 彼らは社の前方に集まると、そこで口々にうなり声をあげた。言葉じゃない。犬か熊のようにウーウーと喉の奥から吠えている。争っているようだ。生ぐさい匂いが強くなった。社に供えてあった魚をうばいあっているのだ。理性などまるでない。そのようすがよけいに気味悪い。自分のひざがガクガク笑ってることに、聖王は気づいた。


(こんなの人間じゃないだろ)


 どうにもできず、ただ冷や汗を流していた。醜い争いのあと、魚がなくなったのか、彼らはまたノロノロと帰っていく。いったい何者なのか? ほんとに人間なのか? そうじゃないのか? のぞいてみたい気はしたが、体が動いてくれなかった。金縛りにかかったように、意識と運動神経のあいだに乖離かいりがある。

 やっと動けるようになったころには、怪しい人影は見えなくなっていた。神社の背後の山のなかへ消えていったようだ。全部で十数人はいただろうか? いや、もっといたかも。あんなに大勢がまさか山中で暮らしているのか? それとも別の場所から山ぞいに歩いてきたのか?

 動けるようになっても、すぐに追っていく勇気が出なかった。山のなかに浮浪者の集団がいるのなら、まだいい。だが、そうじゃなかったら? そのほうが怖い。ほんとに化け物だったら……? その正体はわからないが、もしも彼らに見つかれば、集団暴行ですめばいいほうかもしれない。へたすると殺される気がした。もしや、杏樹も彼らにつかまって……。

 イヤな想像がかけめぐる。もしも祭りの日に変な人影を見て、杏樹が追っていったなら。それがもし、さっきのヤツらだったなら。妖怪好きの杏樹なら妙な好奇心を起こさないものでもない。


(杏樹。どうか。どうか、ぶじでいてくれ……)


 もう何度めとも知れない祈りをささげる。祈るだけで帰ってきてくれるなら、このさき一生でも祈っている。だが、それだけでは大切な妹は戻ってこない。勇気をふるいおこして床下から這いだした。やはり、さっきの連中を追ってみよう。あまりにも怪しすぎる。

「聖王にいちゃん。どこ行く気?」

「あいつらを追う。杏樹をさらったのはヤツらかも。夏輝くんは家に戻って、両親か警察か芦原さんにこのこと知らせて」

「ダメだよ!」

 走りだそうとする聖王の足に夏輝がしがみついてくる。ぶるぶるふるえながら、しかし、全身の力で重りになっている。

「行かないと。あの足どりなら、まだそう遠くへ行ってないはず」

「ダメだよ。人魚に近づいちゃいけん」

 人魚……地元民の口から、ようやく、その言葉を聞きだせた。

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