第38話 杏樹のスマホ
カッターをしまうとき、杏樹のスマホが目についた。もうこのくらいしか手がかりがない。もう一度、暗証番号を考えてみよう。家族の誕生日は試した。父を設定するとは思えないので、やるなら母、聖王だろう。自分自身の誕生日で設定するとは思えない。それとも、まさか彼氏がいたんだろうか? 杏樹ももう高校生だし、もしかしたら好きな人くらいはいたかもしれない。でも、もし彼氏ができたなら、きっと教えてくれたはずだ。両親には黙っていても、聖王にだけは。
しかし、さっき二回まちがえているので、残りは一回だ。三回あやまるとセキュリティでロックがかかる。もうまちがえられない。そう思ったとき、半透明なケースとスマホのあいだに星型の紙が見えた。暗い冷凍室では模様かと思っていたが、明るい外で見れば、アイドルの写真を貼った手作りのカードだ。そういえば、杏樹の好きなアイドルだ。もしかしてと思い、自分のスマホでこのアイドルの誕生日を検索する。四桁で入力すると、スマホがひらいた。
ホーム画面にはなぜか、さっきの女の子が数人の少女たちと撮った自撮り写真が写っていた。杏樹じゃない。写真のライブラリもほとんど、その子と友達だ。たまにスイーツや可愛い小物などがある。母と父と三人で撮った写真も。嘘みたいだが、父も母も笑っていた。学校の卒業式のようだ。校門の前で少女は卒業証書をにぎっている。
(嘘だろ?)
まさか、ほんとにあの子が聖王の妹だとでもいうのだろうか? 杏樹ではなく、この子が? たしか、『らんじゅ』と呼ばれていた。
(あんじゅ、らんじゅ。似てる)
たとえば、聖王が杏樹のつもりで「妹の杏樹を探してる」といったとしても、他人はそれを「妹のらんじゅを探してる」と聞きまちがえたかもしれない。そのくらいには似てる。
次は電話帳だ。マイページをひらくと、正木蘭樹と記されていた。漢字では蘭樹と書くのか。杏樹のスマホじゃなかった。これは、蘭樹のスマホだ。でも、聖王の電話帳には杏樹の名前で登録してあるはずなのだが。
もう一度、写真に戻る。蘭樹と聖王のツーショットはない。だが、数枚だけ、聖王が一人で写っているものもあった。まるでこっそり隠し撮りしたみたいな写真だ。家のなかでテレビを見ていたり、お風呂あがりで冷蔵庫のなかを物色していたり、寝顔もある。
動画は友達どうしで撮ったくだらないものしかなかったので、LINEをひらいてみる。家族のなかでは、母とひんぱんなやりとりがあった。『夕食なに?』などの日常会話。友達の名前は知ってるものもあれば知らないものもある。というより、もっとも恐ろしかったのは、登録された友達のなかに、聖王の名前もあったことだ。見れば、聖王が杏樹に送ったはずの文面が続いている。
(なんだ。これ。二津野に発つ前に送ったやつ。杏樹からの返信も同じ)
聖王は混乱した。どうやって、あの子が杏樹への送信を受けとったのだろうか? いや、電話番号が杏樹のそれだ。だとしたら、聖王が杏樹だと思って会話していたのは、ずっと蘭樹だったということ……?
(じゃあ、杏樹は? 杏樹はどこにいるんだ?)
杏樹が消えてしまった。家族のなかに杏樹の痕跡が一つもない。いや、きっと、どこかにある。百歩ゆずって蘭樹も妹だという母のいいぶんを信じてもいい。なぜ、聖王にその記憶がないのか、わからないが。それでも、杏樹がいない理由にはならない。もしかしたら、蘭樹は姉の杏樹ともメールやLINEでのやりとりをしているかもしれない。一人ずつ見ていくと、とくに仲のいい友達に悩みを打ちあけていた。
——らんの兄ちゃん、めちゃイケメン!
——だしょ?
——いいなぁ
——スルーされるよ?
——ああ……
——お姉ちゃんがいたらしいんだ。子どものころ死んじゃって
——いってたね
——わたしのこと、そのお姉ちゃんだと思いこんでるんだよ。それ以外はぜんぜんふつう
——イタイ……
——お姉ちゃんだと思って話してるときは優しいよ。けど、たまに急に「おまえ誰だ」ってなるのー!
——アイタタ……
——自分のせいでお姉ちゃん死んだと思って、記憶障害っての?
——イケメンだからゆるす!
——イケメンならいいんか!
——その価値アリの顔面偏差値200!
——2000だしょ?
——20000?
——2億!
——顔面偏差値2億のおにい!
——じゃ、寝顔も送るっぴょ。
——うふぅ〜、眠れる森のイケメンー! 拝む
このやりとりがほんとなら、聖王の頭はどうかしているのだろう。そういえば、子どものころ、よく病院につれていかれた。なんの病気かわからなかったが、小児病棟みたいな可愛い診察室で、女の先生とお話したり、お絵描きをさせられた。杏樹の話をすると、母は先生に目くばせを送った。ほらね、こうなんですよというように。
「解離性健忘ですね。過度なストレスや心的外傷のせいで記憶障害が起こっています」
「わたしが強く叱りすぎたから……」
「お母さんのせいではありませんよ。おそらく、目の前で妹さんの死を見てしまったせいでしょう」
「息子は治るんですか?」
「わかりません」
明るい午後の診察室。水の泡のようにポコポコと聞こえる、母たちの会話。何かを思いだせそうで思いだせない。
「違うよ。お母さん。杏樹は死んでない。さらわれたんだ! 人魚に——」
叫んだのは自分だったのだろうか?
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