第46話 人魚の正体
おぼろな月明かりにも似たヒカリゴケの照らす洞窟で、ふわふわ、ただよう。波打ちぎわでころがる巻き貝の気分。暑くて冷たくて、ただ流される。心地よい浮遊感。
信じられないことに蛍は初めてだった。何百年も生きる少女。それも、たぐいまれなる美少女だ。きっと、これまでにも彼女を愛した男は大勢いるだろうに。
「初めてが、おれでよかったの?」
「あなたがいいの」
「どうして?」
「ずっと……」
「ずっと?」
「ずっと前に会ったことがある。おぼえてない?」
「もしかして、子どものころ、ニエ代にされたときかな?」
蛍はうなずく。
「そのときから待ってたの」
聖王にはおぼえがないが、なんとなく知ってる気がしたのは、そのせいだろう。きっと、あの日も海に落ちて溺れていたところを、蛍が助けてくれたのだ。
「人魚姫の物語だ」
人魚のお姫様が人間の王子を助けて、恋に堕ちる。アンデルセンの物語では人魚姫は王子に裏切られ、海の泡になって消えるが、聖王は裏切らない。このまま、もうずっと蛍とここで生きていきたい。
「おれの人魚姫」
抱きしめようとすると、さらりと手を払い、蛍は身づくろいをする。発光するように美しい白い肌が金魚の浴衣に隠れていくのを、聖王は名残惜しくながめた。
「どこへ行くの?」
たずねると、彼女は聖王にも服を着るよううながす。といっても、海に落ちたので、着ていた服も、奇跡的に背負ったままだったデイパックの中身もずぶぬれだ。さっきしぼって置いていたが、まだしけってる。ぬれた服を着るのは気持ち悪いが、ここにはドライヤーもストーブも乾燥機もないのでいたしかたない。
「君のほかに適合者はいないの?」
「あるていどの知性を残したまま適合する人は、それなりにいるの。十人に一人ぐらい。だけど、数千年生きる
「そうか」
蛍のこれからを思うと胸が苦しくなる。聖王がそばにいてあげられるのは、ほんの数十年だ。そのあともずっと、未来永劫、彼女は一人で生き続けるのか。だからこそ、誰とも契らなかったのではないかと考えた。なまじ深い仲になれば、別れが悲しくなるだけだから。
「来て」と、蛍は手を伸ばす。聖王がその手をとると、光のより強くなるほうへと、彼女は歩きだした。
よこたわる人魚たちの死体を乗りこえていくと、やがてヒカリゴケのようなものが濃密にかたまり、一つのオブジェのようになって脈打っていた。青い光を放ち、巨大な生き物の心臓のように見える。
「これは?」
「まだどんな図鑑にも載ってない新種の粘菌類」
「粘菌って、アレだろ? 集合して迷路を解く能力があるとかっていうスライムみたいな菌だっけ?」
「菌じゃない。粘菌はこれじたいが生き物」
「ふうん」
「アメーバ状の単細胞生物。でも、より集まって集合体になると、まるで一つの大きな生き物みたいな行動をとる。この粘菌たちには仲間どうしでかわすエンパシーがあって、それで意識を共有してる」
「透きとおって、花みたいな形で、息をしてるね。とてもキレイだ」
「それはコア。粘菌たちのエンパシーの中心。女王みたいなもの」
蛍は複雑そうに微苦笑する。
「粘菌って乾燥に弱いの。この洞窟のなかは湿度が高いから、このままでもいられるけど、洞窟の外へ出るには一定の湿度が保たれる環境が必要。それで、この子たちはね。動物に寄生するの。寄生型粘菌」
指を伸ばし、青白いガラス質の表面にふれようとしていた聖王は、ハッとしてその手をとめた。
「……寄生? さっき、人魚はあるものに取り憑かれるっていったね? まさか……?」
思ったとおりだ。蛍は大きくうなずく。
「最初は海で溺れた人の遺体が、この洞窟に流れついたみたい。それがだんだん増えていって、なかには自宅に帰る者もいて、人魚と呼ばれるようになった。人魚のほんとの正体はコレ。この粘菌は人体に寄生すると、傷ついた遺伝子を修復し、それによって老化を抑え、何百年でも肉体を同じ状態に保つ。ただ、ほとんどの人は脳を侵食され、自身の意識をなくしてしまう。まれに粘菌と共存できる個体がいて、それがスーパーフュージョナーなの。スーパーフュージョナーの記憶はコアが保有していて、新たなスーパーフュージョナーに宿る。だから、スーパーフュージョナーは永遠に生きているといえる。わたしのなかにも古代に生きた巫女の記憶が共存してる。たった一つの粘菌でも残っていれば、そこからまた増殖して蘇る。不死ね」
にわかには信じがたい。でも、すでに聖王は見てきた。何十年も年をとらない男。死体のような肌の人魚たち。それに……。
「数十年前に人魚になった男が溶けるとこを見たんだ。でも、すぐにもとの形に戻ってたし、黒目がなくなってた。全身が淡く発光してた。あれって、この粘菌にだんだん近くなってきてる?」
「不定形期を迎えたなら、もうすぐ完全に人としての理性は失う。日光を嫌うようになるから、自然にここへ戻ってきて、次に寄生できる体を手に入れるまで仮眠状態になるはずだけど」
「その人が海で死んだのは七十年くらい前なんだが。何百年も生きるんじゃないの?」
「個体によって進行度は違うから。適合率が低かったんだと思う。進行が早かったのね」
それでヨネの父は溶けたのか。納得がいく。
「この地域にだけ発生した新種の粘菌ってことか?」
「新種といっても人間が発見してなかっただけで、存在じたいは古代からしてた」
「そんなにかんたんに新種って発見されるのかな?」
「虫なら年間二千くらい、新種が毎年発見されてる。けっこう人間が知らない生き物はこの世にたくさんいる」
「まあ、そうかもしれないけど。アマゾンとか、そういうとこの話だと思ってた」
「日本でも調べたら、新種はいるはず」
「でも、もしそうなら、この粘菌を狙う人間だって現れるんじゃないか? だって、不老不死だ。じっさいには不老長寿だけど、誰でもスーパーフュージョナーってやつになれるなら、人類の夢だよ」
蛍は悲しげに微笑んだ。
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