第45話 黄泉への洞窟



 ただの潮だまりなら、四方のどこかに岩場があるはずだった。しかし、海中になげだされた聖王はいきなり激しい海流に飲みこまれた。どこかへ流されていく。複雑な岩の造形の織りなす海中トンネルへと吸いこまれる。海水を飲んだ。息苦しいと感じたのは一瞬だ。おそらく、すぐに気を失ったのだろう。



 ——わたしにつかまって!


 ——蛍……?



 いや、これは杏樹だろうか? 誰かが聖王の手をにぎり導いていく。


 まぶたをあけると、目の前が明るかった。青白い光に満ちている。あたりは天然の洞窟のようだ。潮の香りが強い。見れば足元や壁にフジツボや海藻が張りついている。

(洞窟……それに、これ、ヒカリゴケか?)

 海中になげだされたはずなのに、何がどうなっているのか? そういえば気を失う直前、蛍に手をにぎられた気がするが。

 周囲を見まわして、ギョッとした。とくに光の強いあたりに、何十という死体がよこたえられている。青白い光をあび、なおさら青く見える肌は人魚の特徴だ。でも、なんだかようすがおかしい。戸の内で見た人魚たちのように歩きまわる気配はないし、それに全身をヒカリゴケに覆われている。やけに光るのはそのせいだ。もう長いこと起きあがってなさそうだ。着物を着ている者もあれば、着てない者もある。髪は伸びほうだいだし、男はヒゲもボウボウ。なかには日本刀を帯びた者がいておどろく。人魚にしても、ずいぶん古い時代の者たちのようだ。


「それはね。人魚の行きつくはて」


 ふりかえると、蛍が立っていた。浴衣のすそを妖しく乱して、海水をしぼっている。素足のなまめかしさの威力がものすごい。聖王は目をそらした。

「ここは?」

「黄泉の穴」

 やはり、という気持ちしか湧いてこない。以前、図書館の本で読んだ幻の洞窟。ここはその内部だ。

「ここへ来たら死ぬっていわれてる洞窟か。まさか、海中に入口があったなんて」

 魚崎が禁域だといわれるのには、それなりの理由があったのだ。人魚がたむろしていて危険だからというのもある。だが、それ以上に、海中洞窟の存在により、潮の流れが早く複雑だから、ふつうの者はたいてい溺れ死んでしまうからだ。黄泉に続いているといわれるのも、そのせいだろう。でも、それだけでは、ここにならんでいるの説明はつかない。

「この人魚たちは死んでるのか? というか、人魚じたい死人なんだけど。なんていっていいか」

 蛍は妖艶な瞳でのぞきこんでくる。この黄泉へと続く穴にも似た双眸だ。その瞳を見つめていると、深い幻夢をおぼえる。既視感。どこかで会った。遠い昔……。


「そもそも、人魚ってなんなの? なんで海で死んだ人が戻ってくるの? 生きてるみたいに生肉を食って、人間みたいに寝るし。でも、年はとらない。何百年も」

「年をとらないわけじゃない。あるていどの年数を経過すると、肉体の限界に達するから、そうやって仮眠して、次の肉体が来るのを待つの」

 蛍にいわれて、よこたわる人魚たちをながめる。今にも起きあがり、襲いかかってくるんじゃないかと思うと気味が悪い。

「それがニエか。でも、さっきのヤツらは父を食ってた。ただの肉としてのニエもまかりとおってる」

依代よりしろとして適さない体はエサになるだけ。依代にふさわしいのは若くて健康な体。それに適性もある」

「依代? それって、人魚に取り憑かれるのか? だから、ニエのなかには戻ってくる者がいるのか?」


 蛍はいったん細い首をかしげたが、思いなおしたふうでうなずいた。

「そういっていいのかも。に取り憑かれると人魚になるから」

「あるもの? なんで死体が人魚になるんだ?」

「死体じゃない。まだ生きてる。ただ、あるものに思考をあやつられたり、生体機能をのっとられてしまうから、死体みたいに見えるだけ。長持ちさせるために、生命活動を抑えてる。心拍数とか。仮死状態に近いんだと思う」

 仮死状態で数百年を生きる。もしかしたら、それが八百比丘尼伝説の真相だろうか? もしも、八百年も生きる少女がかつてほんとにいたとしたら、きっと、戸の内の人魚がその正体だったのだ。


「君も人魚なんだろ?」

「そう」

「ニエにされて?」

「そう」

「でも、変だ。君はたしかに色白だけど、ほかの人魚ほど死体っぽくないし、それにヨネさんのお父さんは理性なんかぜんぜんないみたいだった。まあ、あれは人魚になってから何十年もたって劣化してるのかもだけど。あゆむだって、しゃべらなかったし。でも、君には人間と同じ知性がある」

 蛍は美しい憂い顔を見せる。

「適性があるっていったでしょ? 人魚のなかでも、とくに適性の強い個体が、ごくまれにあるの。その個体は外見上、人間のころとほとんど変わらない。知性も保ったまま、完全にアレと融合する。そして、そのまま数百年……数千年だって生きる。わたしにもその適性があった」

「不老不死——」

「そう。これはもう不老不死といっていい。人間と人魚のハイブリッド。人と人魚の両方のいいところを持ちあわせてる」


 でも、そのわりに蛍はさみしそうだ。

「君はなりたくなかったの? 古代から時の権力者が最後に求めたのは不老不死だ。人間の憧れの存在なのに」

「一人で永遠をさまよっても、退屈なだけ」

 見つめあう瞳に吸いこまれる。宇宙の深淵。解けない謎。ブラックホール……。

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