第28話 図書館の本
ヨネが出ていったあと、時計を見ると午前零時すぎだった。もっと時間がたっている気がしたが、意外と早い。聖王はデイパックから、図書館でコピーした紙と杏樹の借りた本をとりだした。ついでに押しこんでおいたバナナも出して、デザートとしゃれこみながら、まずコピーを読む。万作が海根のあとを追っていくところからだ。どうせ、人間ではない行動を目撃するのだろうと予想していた。が、ちょっと違っていた。
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万作はある夜女の後を密かにつけていった。海根は浜辺にやって来て漁を始めた。何だ、夜半にも漁をするとは勤勉な女房だと万作は感心した。然るに海根は桶いっぱいの魚を取ると着物を着て戻る気配を見せた。向かう方向が家路とは違う。不審に思い、万作は女を追った。海根はよその家へ入り、待っていた男と子どもに魚を渡した。すわ浮気の現場だと憤り、飛び込んだ万作に海根は涙ながらに訴えた。「吾は実の所、これなる夫君の女房なり。然るに先年ニエ(注3)に出され人魚となりて近所の手前戻るもならず、悪い事とは知りつつお前様のお世話になりました。暴かれた今となりてはこれ以上ご迷惑をお掛け致しますまい。」海根は万作が引き止めるも聞かず海に飛び込み、戻ってはこなかった。以後万作が漁へ出ると必ず大漁になった。船端に人魚の姿を見て、万作は海根の霊を祀る為、自らの手で山の上に社を建てた。これがうめさん、魚女神社の縁起である。
注1 諸説あるが当時の簸川郡夜内が有力。夜内は戸内の一部地域を指す地元の名称。現在の魚崎周辺。黄泉の内から来ていると云う説あり。
注2 種吉、牛蔵、岩助等同工異曲の言い伝えが多々ある。
注3 山陰地方に生贄の風習はない為、飢饉年の人柱ではないかと考えられる。
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なるほど。神社の縁起とも
でも、聖王がおどろいたのは、そこじゃない。この話に出てくる海根はふつうにしゃべっている。かなり高度な知性を残しているという点だ。それに、万作がつれ帰って妻にしたくらいだから、外見も死人じみてはいなかったのだろう。ただの言い伝えだから、そのへんは簡略化されているのだろうか?
続いて、図書館の本をひらいた。こちらはかなり装丁も立派だ。奥付には広島大学民俗学教授の肩書きが記されている。山陰地方の古代史、つまり古事記、出雲風土記を出典とする神話。鳥取の伝承。島根の伝承。周辺の岡山、広島、山口のよく似た伝承と四つの章にわかれている。今の聖王には大部分必要ない。求めているのは島根県の伝承だけだ。それも、出雲地方。一章のうち、ほとんどは戸の内の人魚伝説とは無関係だった。それらはパラパラとめくってとばす。やっと見つけたのは、ほんの数ページ。おおむね論文調で少し難しい。くだけた文体で読みやすいのは、地元の老人が話したという逸話だ。二津野村にてと書かれている。いわゆる外の者だから、あまり期待していなかったが、なかで一つ、気になる話がある。これまでの魚女伝説とは毛色が違うのだ。
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平田市二津野村磯谷(網屋)五平老爺
『黄泉洞窟の天女』
出雲にああ
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急に出てきた新情報に聖王はとまどう。洞窟なんて、これまで誰からも聞いてない。それに、天女? 人魚の一種だろうか?
(猪目洞窟? どっかに載ってたな)
一章の古代神話の部分だ。そのページを探すと、詳細に掲載されている。出典は出雲風土記。『夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。 故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり』というのがその本文だ。要するに夢でこの洞窟を見ると死ぬので、黄泉の入口だと古来よりいわれている、と。
地図マップで調べると、この猪目洞窟は二津野からは離れている。二津野の伝承はこの洞窟じたいではなさそうだ。1941年に発見されたとき、猪目洞窟からは大量の古代人の骨が発掘されている。古代、そこが埋葬地だったのだろうか。それに似た洞窟がこの近辺にある。おそらくは、魚崎? 子どものころ見たあの場所はただの岩場の岬だった。洞窟などなかったはずだが……。
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