第20話 家屋侵入



 たったいま、目の前で見た光景を何度も何度も思い浮かべる。たしかに人間が消えた。しゃがんだとか、そういうんじゃなかった。氷像が日光にさらされて少しずつ溶けていく。あれを何十倍にも速くしたら、さっきのようになるだろうか?


(人間が消えた……体も光って……)


 あれじゃ、まるで亡霊だ。人魚なら、まだしもUMAで通る。だが、さっきのアレはそんなものじゃない。生きているとは思えない現象だ。そこまで考えてから、聖王はハッとした。思いだした。高木家で見た変な老婆。どこかで見たような気がしたが、それがどこだったのか。あの家のなかだ。たくさん飾られた遺影のなかの一つ。あれがまちがいなく、あのとき立っていた老婆だった。


(遺影……死人じゃないか。なんで? 人魚だけじゃない。亡霊まで歩きまわってるのか?)


 海水温が低かったあの岬。あそこを中心にこの集落の磁場が狂ってるのだろうか? 説明のつかない怪奇現象があたりまえに起こる。そういう土地なのか?


 わけがわからなくなって、混乱したまま歩く。とりあえず、朝になるまでに杏樹がいると思われる漁業組合の近くまでは行っていないと。しかし、あせりすぎていたのだろう。家屋のすきまから路地へ出るとき、あたりが暗いのでウッカリ確認しなかった。無防備に出ていったところで、ものすごい生臭さに立ちすくむ。すぐ目の前に、ぬっと人の顔が現れた。思わず、悲鳴がもれる。あわてて自分の手で口をふさいだが、深夜の街路にその声は響いた。

「おい。あっちで声がしたぞ」

「どこだ、どこだ?」

「誰かおるか?」

 とたんに懐中電灯の光がいくつか、こっちへむかってくる。しかたなく、聖王はそれと反対の方角へ走った。が、街路はすぐに袋小路になっていた。さっきの妙な人影は近づいてくる光の輪のなかに、ときおり浮かびあがる。それを見て、男たちがさわいだ。

「村上のおじいだないか。ちゃんと出んやに柱にでもつないどけや」

「だけど、悲鳴はおじいだないぞ」

「よそもんが、おじい見てビックリしたさなが」

 ホイッスルが響きわたる。この近辺に聖王がひそんでいるとバレてしまった。どこかへ逃げようにも、まわりは建物だらけだ。家と家のあいだも二、三センチしかすきまがなく、とても人間が通れる幅じゃない。右往左往していると、一軒の玄関の引き戸が少しひらいているのに気づいた。これはもう、ここへ入ってみるしかない。うまく裏口から逃げだせば、ほかの路地へぬけられるかもしれない。


 追っ手の声に押されるように、そっと引き戸のなかへ入る。家のなかは暗い。たぶん、住人は聖王を探しに行き、無人なのだろう。あわてて出ていったので、玄関もあけっぱなしなのだ。乱れた靴がそれを物語っている。

 誰もいないとわかり、安心してあがった。いちおう、スニーカーははいたままだ。電気をつけたとき、足跡が残っているかもしれないが、住人が戻るまでに遠くへ逃げておけばいい。ゴム底なので、あまり足音はしない。もしかして泥棒の才能あるのかな、なんて場違いに思って笑ってしまう。


(いいぞ。このまま、裏側へぬけだせば……)


 暗闇とはいえ、うっすらとは見えるので、壁に手をあてて、まっすぐ歩いていく。ただ、裏へまわると、けっきょくさっきの畑のあった家のほうへひきかえす形になる。どこかから東方面へむかえる道があっただろうかと思うと心配になった。この近辺には今たくさんの人が集まってきているはずだ。どこかで追いつめられそうで不安がこみあげる。

 屋内は無音だ。外で鳴くカエルの鳴き声や潮騒だけが響く。そのなかで自分の呼吸の音、心臓の脈打つ音さえ耳につく。一歩一歩をたしかめるように、ゆっくりと歩いていく。まっすぐ廊下を進むと戸口があった。板戸だ。襖や障子じゃないので、あるいはと思っていたが、ひらくとやはり、物置だ。ダンボール箱や古い新聞紙、掃除機、カラーボックスなどが収納されている。もちろん、そこからは通りぬけられない。しかたなく、左手にある襖をひらいてみた。理想は風呂かキッチン、トイレなど窓のある部屋。そこから逃げだすのだが、なかは和室だ。入ってきた襖、壁、壁、襖で窓がない。よくこんな部屋で暮らしてる。コタツや座布団があるので、家族の居間だろうか。しかし、どこかに風呂やトイレはあるだろう。別の部屋を調べようとしているとき、二階から足音が聞こえた。ぎい、ぎいときしむ階段を一段ずつおりてくる。

(人がいたのか。マズイ)

 聖王の立てるかすかな物音に気づいたのだ。見つかったら、いきなり包丁で刺されるかもしれない。


「あゆむ? あゆむなの?」


 女だ。子どもを探している。聖王は隠れられそうな場所を目で探した。廊下へ出ていくと女と鉢合わせしそうだ。隠れるとしたら、奥の襖しかない。たぶん、押し入れ。空洞があれば入れる。女が一階におりてきた。パタパタと足音が近づく。


「あゆむ?」


 急いで押し入れをあける。廊下側の襖のほうを見ながら、女がいつそこをあけて入ってくるのか、うかがっていた。だから、手の感覚だけで、すっとひらいた襖を見ていなかった。女の足音が別の方角へむかう。玄関右手側にあったドアをひらいているようだ。そっちだと入ってきた路地に接しているので、逃げるなら別の部屋しかないと思い、初めから、のぞいてみなかった。あれはドアだから、洋間か風呂などだ。


(あっち側しか窓がないのかな? だったら、ぬけ道にならないんだけど)


 なんて考えつつ、なにげなく、ひらいた襖のほうを見て、聖王は凍りついた。押し入れに子どもがすわっている。

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