第50話 カタコンベ
研究所内を逃げまどう。一階はすでに火の海だ。どうしても裏口へ行けなくなっている。
「……地下へ行きましょう。地下から裏口にまわれば」
「わかった」
地下への入口はもともと頑丈なドアでふさがれていた。おかげで、まだ火がまわっていない。細い階段をおりると、人感センサーで照明がついた。急に、ぶるっとふるえがつく。
「ここ、何があるんだ?」
「……」
蛍の顔色が青い。おびえているかのように見える。
廊下はまっすぐ続いていた。遠くにつきあたりの壁が見える。距離からいっても、そこが地上部の裏口へ出る階段だろう。
「行こう」
蛍の手をとると、やはり、ひやりとした。なめらかで少しもっちりしたその独特な感触。肌を重ねると吸いついてくる。
蛍の手をひいて走っていくと、廊下の両側にガラス壁がならんでいた。実験室で見せられたように、人魚がなかに一体ずつ入れられている。ここのは実験されたあとのものだ。頭蓋骨の上半分を切りとられて電極をつっこまれたまま、ひからびてカビが生えていたり、手足が切断されていたり、全身の皮膚をはがれたりなど、おぞましい死体が続いている。そう。死体だ。どれも青いカビに傷口を覆われ、動かない。皮膚にもツヤがなく、壊死して体がくずれかけていた。取り憑いていた粘菌がいなくなったあとのようだ。
「死体の標本室か。趣味が悪いな」
「……」
どれも胸くそ悪くなるものばかり。研究員は梶原だけではない。梶原が第四室長ということは、ほかに第一から第三室長もいるわけだ。その下にさらに何人もの部下がついている。それでも一つだけ彼らに共通していることがある。人魚をもとは人間だったという目で見ていない。自分たちより劣る下等生物が、分不相応にも、たまたま不死にいたる高度な機能を有していた。だから、それをいただく、としか考えていないのだ。
中央あたりにひときわ大きなガラスケースがあった。ほかの五、六倍の幅があり、ななめにたてかけられたガラスの柩みたいになっている。そこに女が寝かされていた。長い黒髪が黒い羽のように背中にひろがっている。裸の体のあちこちを切り裂かれ、コードが血管のようにぶらさがっていた。かなりのパーツを手術でとりだされたようだ。死んだあとなのか、まだ生きているうちだったのか……。
ほかのどの死体より、長く実験に使われていたらしき形跡がある。腐りだした皮膚の一部は赤黒くただれ、生きながら焼かれたことを物語っている。拷問以外のなにものでもない。
どんな女だったのだろうと、聖王が顔をよく見ようとすると、とつぜん、蛍が叫んだ。
「見ないで!」
「えっ?」
「お願い。見ないで。それは……わたしの死体なの」
「でも、君はここにいる」
「いったでしょ? スーパーフュージョナーはコアを共有すると。それは、わたしの前の巫女。数千年を生きたスーパーフュージョナー。でも、スーパーフュージョナーは二人もいらないからって、ひどい実験を受けて……たえきれなかったの。研究員が誰も見てないすきに、彼女のなかにいたコアがわたしのなかに逃げてきた。だから、肉体は滅びて、彼女はわたしと一体になった」
「そういうことか。コアって一つじゃないんだ」
「今は三つ」
三つ? 二つではないのだろうか? 洞窟にある結晶と、蛍のなかにいるコア。だが、たずねているヒマはなかった。見るなと蛍がいうので、あえて顔をそむけ、かつて巫女だったというスーパーフュージョナーの死体の前を通りすぎようとした。
そのとき、ピリピリとかすかな振動がした。よこのガラス壁が細かくゆれている。と思うと、急に大きな音を立て、粉々にくだける。眠っていたはずの巫女の死体が、カッと目をひらいた。しかし、眼球は腐り、ドロリと白く濁っていた。その死者の目の奥に赤く光るものがある。
それを見た瞬間、理解した。さっきから感じていた強い怒りは、この人のものだと。自身や仲間にくわえられる実験と称する拷問に激しい憤りを感じている。あばれだした人魚たちをあやつっているのは彼女だ。その全身から青い炎があがっている。それが物理的な炎なのか、彼女の憤怒がもたらす幻なのか、聖王には区別がつかなかった。
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