第35話 裏切り



 無造作にドアがひらいた。外のまぶしい光が網膜をつきさす。シルエットになっているのは、二人の男だ。聖王たちを閉じこめたヤツらが戻ってきたのかと思ったが、どうも違う。二人で担架を持っているのだが、そこからダラリと腕が伸びていた。

「まったく、あぎゃんことで死んでしまぁなんてて、かよわすぎぃだないか」

「夜中に熱が出ちょうみたいだったぞ」

「だけんて、病院につれてくわけにもいかんし」

「まあ、しょうがないわ。冷凍しとけばいいがね」

「そげだけど」

 死体を運んでいるようだ。腕の細さからいって女か。まさか杏樹かと思い、ギョッとする。どうしても顔が見たい。相手は死体を運んでいるから、両手がふさがっている。そばへよっても襲ってはこれないだろう。こっちの姿も見られてしまうが、死体の顔だけ確認したら、そのまま外へ逃げだせばいい。


「なんか暑いだないか?」

「そげだな」

「クーラー故障しちょらんわな?」

「動いてはおるけん、大丈夫だろう。とにかく、電気つけぇだ」


 室温が高いのは、ここに聖王たちがいたせいだろう。二人組みは照明をつけ、担架を持ちなおすと二重ドアのほうへ行く。聖王は心にさきに逃げるよう、手ぶりで示した。そして、タイミングを見計らって男たちの前へとびだしていく。死体にはブルーシートがかぶせてあった。それを思いきりひっぱると、顔が見えた。しかし——


(……どういうことだ?)


 苦悶にゆがんではいるが、もともと彼女は会ったときからこんな表情だった。骨折の痛みに耐えていたから。そう。龍夜の彼女の明香だ。事故にあい、大怪我して病院へつれていかれたはずの。

(……そうか。龍夜たちもだまされて殺された。てことは、明香も病院へつれていくなんて嘘だったんだ。軽トラに乗せてったって心がいってたけど、ぐるっとまわって海岸線の道から戸の内につれこんだ)

 そして、治療されずに放置されて、失血か傷口からの感染症で死んでしまったわけだ。杏樹ではなかったので、聖王はブルーシートをなげすて、かけだそうとした。担架を持った二人は老齢だ。驚愕のあまり、すぐには動けないでいる。このまま建物の外へ逃げてしまえば——


 だが、そのときだ。聖王は後頭部に強い打撃を感じた。意識が遠くなる。とぎれる前のもうろうとした意識に、もわん、もわんと膨張したり縮小したり、脈打つような声が聞こえる。

「……これで僕は死なずにすむ。あんたら、炭屋に電話してくれ。身代わりをさしだすからって」

(心……か? なんで……?)

 しかし、もう考えられない。意識は暗闇へ堕ちた。



 *



 ——お兄ちゃん……お兄ちゃん。待って……待ってよ。



 幼いころの杏樹が目の前を走っている。手を伸ばしてついていくが、まったく追いつかない。

(杏樹。ダメだ。そっちへ行くな。危ない。車が来るぞ)

 杏樹は子どものころ、聖王のあとを追いかけて、赤に変わった横断歩道を渡ってしまい事故に……あやうく死にかけた。そのときの後遺症でほんの少しだが左足をひきずるようになった。だから、今度こそは守ろうと。絶対に守らなければならないと……。



 ——お兄ちゃん。待って。待って。どこ行くの?



(待つのはおまえだよ。どこ行くんだ? おれはこっちだよ。そっちへ行っちゃいけない!)


 妹ながら、特別に可愛い容姿だと、兄の欲目でもなく少年時代から知っていた。誰もが思わず二度見するぐらい、お人形のように可愛い女の子だと。


(杏樹。たのむから、もうどこへも行かないでくれ……)


 意識が戻ると、両手を縛られていた。畳の上に寝かされている。見知らぬ男がこっちを見ていた。それに、心が。

「おまえ——」

 心になぐられて失神したのは理解していた。しかし、なぜそんなことをするのか理由がわからない。心はちょっと申しわけなさそうに頭をさげる。

「悪いねぇ。僕、二年前の夏休みにここで捕まってねぇ。弟と二人で。二人とも逃がしてほしければ、よそから身代わりをつれてこいっていわれて、弟を人質にとられてさ。自分だけ帰されたんで、しょうがなかったんだ。まあ、龍夜はあやつりやすかったから、よかったんだけど。それに、アイツら、やなヤツだったろ? けっこうえぐいイジメもしてたんだ。中学のころ自殺した子もいるってさ。死んでも誰も泣かないよ。君はまきこまれて災難だったけど、僕と弟のためにあきらめてくれ」

 弟のためにといわれれば、責められなかった。きっと、杏樹のためなら、聖王だって同じことをする。だからといって、黙って身代わりになってはいられないが。

(どうする? 縛られてなければな。すきを見て逃げだせたのに)

 よく見れば、聖王のデイパックも近くにあった。杏樹のスマホはなくすといけないので、ヨネのおむすびを食べるときにバックのなかにしまった。いちおう確認しようとしたが、暗証番号が解けなかった。あとでじっくりと思っていたときに、明香の死体が運ばれてきたのだ。


 聖王がどうやって逃げだすか算段している前で、心は気持ち悪いくらい浮かれている。

「いばりくさって人を小バカにする龍夜たちの機嫌とらなくていいと思うと、ほんと清々するなぁ。炭屋さん、早く弟をつれてきてくださいよ。どこに閉じこめてるんですか? さっきの冷凍室にはいなかったし」

「うんうん。今、親父がつれに行っちょる。すぐ来るけん、こっち来てごせ」

 今どき土間のある家だ。ガスコンロや流し台が設置されている。その土間へ男は心をつれだした。聖王が寝かされている四畳半のまんまえなので、目だけで姿を追える。あまりにも自然で疑問も持たなかった。弟とひきあわせるために玄関まで出ていくつもりだろうと。

 だが、靴をはこうと心がかまちにすわり、下をむいたとたんだ。無防備になった心の襟足に、斧がたたきつけられた。

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