第34話 冷凍室からの脱走



 なんとか一階までは戻ってきた。ふたが外れたままなので、冷気が足元を通って階下へ流れていくのがわかる。ほんの少しだが、地下よりあたたかい。体感でいえば、マイナス三十度とマイナス二十度の違いというか。

「どっちみち、ここでも充分、凍死だな」

 外から鍵がかけられているかどうかだ。一番表のドアには最初、鍵がかかっていた。当然、あの男たちが出ていくとき施錠しただろう。問題なのはなかにある二つのドアである。すでに一階も暗くなっていた。冷凍機以外のスイッチが切られている。懐中電灯はあるが、それで照らせる範囲はかぎられている。冷凍イカがバラまかれたせいで、足元がおぼつかない。何度もころびそうになった。


「心。壁に手をあてて、たどっていけば、そのうちドアにつく」

「うん」

 ケースに弁慶の泣きどころをぶつけた。勢いは弱かったものの、うずくまるほど痛い。それでも、歩く。懐中電灯の光がようやく壁をとらえた。それを頼りに進む。角をまがったさきにドアがあった。ドアノブを性急にまわす。

「あいた! 心、あいたぞ!」

「マジか。あ、あったかいよ」

 むわっと外気が入ってくる。二重ドアの内側だが、ここでもかなり違っていた。この外は機械が置かれていた部屋だ。そこまで出られれば、ちょっとききすぎのクーラーていどだった。少なくとも零度よりは上。凍死の心配はなくなる。鍵がかかっていないことを願いつつ、ノブをまわす。が——


「……ダメだ。やっぱり、鍵がかかってる」

 聖王がいうと、心は落胆してため息を吐きだす。

「ここまで来て、ダメかぁ……」


 たしかに地下にいるよりは少しマシだ。でも、ここでもマイナス十度以下の感じだ。本来ならセーターの上にコートを着て、手袋や帽子もかぶりたい。もって半日くらいだろうか?


「あーあ。寒さのせいか、腹へったなぁ。おれ、あのあと、なんも食ってないんだよ」

 心があきらめ悪く、ガタガタとドアをゆする。もちろん、ひらくわけはない。

「そういえば、従姉妹がミックスナッツくれてたな。あと高速バスのなかで食べかけてたクラッカーが少し。眠気ざましのガムと塩分補給のタブレット。水は水道水だけどな」

「うわっ」

 心が急に大声を出したので、聖王の食料の豊富さにおどろいたのかと思ったが、

「ここにツマミがある」

 心は扉を手さぐりしながら、手元をさしている。急いで懐中電灯の光をそこにあてる。たしかに、サムターンのツマミだ。家庭用より、かなり大きい。心がそれをまわすと、ガチンと鍵が外れた。

「やった。まさか、なかからあくなんて」

「閉じこめ防止なんじゃ?」

「かもな」


 表口のドアは施錠されていた。そこはツマミであけるようになっていない。内からも外からも必ずキーを使わないといけないようだ。それでも、冷房の外へ出ると、気温がまったく違った。半袖を何枚も着こんでいたので逆に暑い。今度は重ね着をぬいで、デイパックにつめこむ。

「よかった。ここなら凍死はしない。食料もちょっとはあるし、最低でも何日かもつな」

 でも、心はまだ不安そうだ。

「だけどさ。今度、誰かが来るの、いつなんだろ? ここって、しょっちゅう来なくちゃいけないとこじゃないよな?」

「……」


 それはそうだ。ニエに使う肉を保管しておくための施設だ。肉を出すときか、しまうときしか用はない。


「まあ、希望的観測をいえば、おれたちがちゃんと凍死したか、二、三日後には見に来るんじゃないかな? いや、もっといえば、絶命するころに来て、死体が変な形で固まる前に、ほかのヤツらみたいに、さかさづりにするはずだ。だから、半日か、長くても一日我慢すれば、さっきの二人組みが帰ってくる」

「ほんとに?」

「みんな、あの形でつるされてたのには意味があると思う。たとえば、形式だけでも浴衣を着せるためとか、神輿に乗せて運びやすい姿勢とか」

「あの形じゃ神輿はないんじゃない?」

「軽トラかもね」


 しかし、それでも心は元気をとりもどした。

「たしかに、確認に戻ってはくるだろうな。もしかしたら、保管した遺体には誰の所有物か印があるかもしれないし。ハンコみたいな。そういう始末はするだろうな」

「だろ? だから、がんばって、一日だけ耐えてれば、また来るさ」


 とたんに、心の腹の虫が盛大に鳴る。

「安心したら腹へったよ。食べものくれぇ」

「わかった」

 とりあえず、封のあいたクラッカーを渡す。

「あっ、ヨネさんがくれたおむすびがあるんだった」

「くれ! 米の飯!」

 二つもらったうちの片方を渡した。ペットボトルの中身は今朝、ヨネの家の水道水と入れかえてある。それも一本さしだす。

「まさきくん、天使」

「でも、水は一本ずつしかないから大切に飲んで。このなか、水道ないだろ? 一日くらいならいいけど、二、三日かかったら、今度は水不足で熱中症になるかも」

「はぁ……寒すぎたり、暑すぎたりするのか。やんなるなぁ」


 長らく待つことを覚悟していたのに、思っていたより、そのときは早く来た。昼すぎになり、聖王もヨネのむすびを食べる。トイレをどうしようという話になっていたところだった。ペットボトルは汚したくないので、部屋のすみでするしかないと話していると、外から足音が近づいてきた。

「もう? 早すぎない?」

「しっ。なんでもいいよ。あけてくれるなら。そっちの機械のかげに隠れよう」

 聖王は心の肩を押し、機械と壁のあいだに入りこむ。ほぼ入れ違いだった。外から鍵をあける音がする。

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