終章

第48話 人魚研究所



 よく考えたら、それは当然のことかもしれない。昭和までならまだしも、ネット社会になった今、しばしば観光客が行方不明になる地域があれば、必ずなんらかの形で人の口の端にのぼっている。そうならなかったのは誰かが裏で意図的に隠蔽していたから。しかも、かなりの力を持つ者が。それこそ、へたすると国家権力……。


(ありえない話じゃない。なにしろ、不老不死の研究だ。国家どころか、アメリカは首つっこんでるかもな)


 銃でおどされたまま、聖王は研究所のなかへ入った。とたんに昼間のような明るさに出迎えられる。

「こんなとこにつれてきて、おれをどうするんだ?」

「君にはニエになってもらう。損傷遺伝子再生型寄生粘菌——通称、不死粘菌って研究者は呼んでるんだがね。それを植えつけ、経過を見る」

「……」

 冗談じゃない。人魚になんてされて、知性を失うのはごめんだ。そうでなくても、半永久的に生きる蛍から見れば、ほんの数十年の命なのに、少しでも長く彼女の支えになりたい。彼女の前でなさけない姿をさらしたくはない。どうにかして、蛍と二人で逃げないと。


「蛍。君がおれと行けないっていったのは、このせい? 君は研究所に捕まって実験台にされてるの?」

 答えたのは蛍ではない。

「実験台? バカなことを。彼女からは定期的に採血させてもらってるだけだよ。彼女の貴重な不死の力を全人類が享受できる日が近い将来、来てくれるようにね。そして、我々からは衣食住を提供している」

 たしかに数千年も生きているとしたら、とっくに家族はいないだろう。子孫も絶えているかもしれない。それでも生物として存在していれば、寝て食べて風呂にも入る。誰かを頼らざるを得ない。

「ごめんなさい。わたしには、こうやって生きていくしかないの」

「イヤなことはされてない? 痛い実験とか」

 蛍は首をふった。

「定期的に血液と骨髄液、口のなかの粘膜を採取されるだけ。あとは体温や脳波測定。心電図とか」

 それなら耐えがたいほどの痛みではないだろう。注射が苦手がどうかくらいだ。でも、愛する人が実験に使われていると思うと腹立たしい。やはり、つれていきたい。とはいえ、どうしたらいいのか。今は自分自身ですら危うい。


 そんな話をしながらも、こうこうと白い廊下を銃でおどされて歩いていく。なかなか反撃するすきがない。あの銃を奪えないだろうかと考えているうちに、男は一室のドアをあけた。『ドアに第四研究室 室長梶原英』と記されていた。

「あんた、梶原?」

「そう。僕らのチームは不死粘菌適合率の統計と、個体におけるもっとも適合しやすい条件のしぼりこみだ。全国から被験者を集めて実験をくりかえしているんだがね。それによってスーパーフュージョナーの再現率を高める。基本的に十歳未満の子どもは八割がた適応するとわかっているが、それ以外は謎だらけだ。さきは長いね」


 研究室のようすを見て、聖王は吐き気をおぼえた。ゼロ歳から老齢の男女まで、ガラスケースのようなせまい仕切りに一人ずつ監禁されていた。体じゅうにいろんな管が通され、脳波計をつけられている。ただ、彼らが自分の現状を理解しているとは思えない。すでに粘菌を入れられ、人魚にされている。顔色が青く、思考をもたない表情だ。あゆむやヨネの父のほうが、まだしも人間的だった。戸の内の人魚には人だったころの名残があるが、彼らにはそれがない。人の形をした粘菌のかたまりだ。しいていえば、ついさっき洞窟のなかで見た仮眠中の人魚に似ている。もしかしたら、コアとのエンパシーがうまくいっていないのかもしれないと、ふと思う。


「この人たちに何をしたんだ?」

「彼女から採取した骨髄液で培養した粘菌を被験体の骨髄にちょくせつ注入した。ふつうニエは口から侵入し、口中や食道の粘膜から吸収される。その百倍の働きがあるはずなんだがなぁ。下地のない人間には厳しかったようだ。戸の内のやつらは長年、人魚と共存することで遺伝的に粘菌への耐性ができているらしい。被験体にするにはヤツらが最適なんだが、でも、それじゃ、戸の内以外の人間は不死になれないって証明になってしまう。それじゃダメなんだ。全人類に適応するよう粘菌を改良しなくちゃな」


 そのあと、さらに気分の悪くなる被験者の惨状をさんざん見せられた。はらわたが煮えくりかえる。なぜだろう? 彼らは聖王の知らない人間だ。でも、彼らの苦しみがよくわかる。粘菌たちが苦しんでいる。この怒りはなんだろう? 蛍にも彼ら同様の拷問がおこなわれているかもしれないと考えたせいだろうか? これはまさしく拷問だ。それ以外の何ものでもない。


「さあ、ここにすわりなさい。君には通常どおり経口吸入してもらおうかな。貴重な被験体だからトリッキーな実験はしたくない。なにしろ、XY染色体保持者の超融合化の仕組みを見せてもらえるんだからな」

 梶原はなぜか、聖王がスーパーフュージョナーになると決めつけている。自ら保管庫から粘菌の入った試験管をとりだす。青白く光った粘菌はあの洞窟の奥で見たものだ。洞窟の暗闇に守られていたとき、粘菌は心地よさそうに脈打っていた。だが、今は不安げにビクビクしている。自由になりたがっている。


 とつぜん、聖王の脳裏に景色が浮かんだ。研究所が真紅に燃えあがっている。メラメラとオレンジ色の炎が生き物のようにひろがるさまが、目の奥にしみだしてくる。それは憤りの色だ。聖王の感情に比例して、しだいに濃く強くなる。


「さあ、飲みなさい。飲むだけなんだから、かんたんだろ?」

 紙コップにそそいだ粘菌を渡される。これを飲みこみさえすれば、悩みは何もなくなる。自分の頭で考える必要はなくなるのだから。醜態をさらすのも、自覚がないなら問題はないのか。死んだようなものだ。形骸が残るだけ。

「早くしないと、彼女を撃つ。それでもいいのか?」

 蛍の眉間に銃口がむけられる。梶原が大切な被験体の蛍を撃つはずはない。だが、もしも撃たれたら……不死の彼女は死なない。ただし、苦痛はある。死ぬほどの苦しみをあたえるだけだ。

 聖王は迷った。自分が犠牲になるべきか。それとも蛍を犠牲にすべきか。

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