第43話 手紙
いろんな意味で悲しみに沈んでいた。が、防波堤で父の車を待つあいだ、ふと思いだした。廃墟で見つけた手紙に何が書かれていたのか。たまたま空き家を見つけたから、着替えさせたにしてはおかしい。浴衣はけっこう荷物になる。あの家にもともと浴衣を用意して置いていたのだ。ならば、そこにあった手紙もまったく無関係ではないかもしれない。
どうせ、母の悪だくみの立証にしかならないだろうが、納得したかった。すべて知った上で、虚構の家で生きていくための、これは儀式なのだと。
ポケットにつっこんだ封筒をとりだした。懐中電灯の光で見ると、宛名は正木由紀夫様となっている。
(父さんだ)
父宛ての手紙。裏返せば、差出人は母。消印はずいぶん古い。二十年以上も前である。逆算すると、両親が高三のときだ。
(高校って、二人はまだ知りあいじゃなかったんじゃ? だって、東京の大学で知りあったって……)
前に聞いていたなれそめと違う。それに、なぜ、その手紙があんな廃屋にあったのか? 父の実家は秋田だ。山奥の限界集落で、すでに家族は誰もいないというので、一度も行ったことはなかったが。その父への手紙が戸の内の廃屋に……。
この手紙に両親の秘密が隠されている気がする。
封筒から便箋をとりだし、懐中電灯の光のもとにひろげる。
『ゆっくんへ
学校が違うから毎日会えないのさみしいね。前はいっしょに登校してたのに。高校なれた? うちは女の子多くて気楽だよ。誰もうちらへんの風習知らないし。
そういえば、あの話はどうなったの? 来年、当番なんだよね? 白ちゃん見つかったかな? それだけが心配。絶対、ゆっくんと同じ大学行きたいよ。二人でずっと歩いていこうって約束だからね!
世界で一番ゆっくんが好きな今日子より』
両親のラブレターほど白けるものはない。むずがゆいような照れくささを感じるのがふつうだろう。でも、このとき聖王は凍りつく恐怖を感じていた。大学で知りあったといっていた母。しかし、それが嘘だとこれでわかった。でも、問題はそこじゃない。
(もしかして……親父って……)
考えようとすると、ズキズキ頭の芯が痛む。あの日の映像がパラパラマンガのようにコマ送りで蘇る。祭りに出かけるからと、怖い顔をしてのぞきこむ黒い人影。やっぱり帰りたいというと、手をつかんでひっぱった。トンネルをひぎずられるように歩く聖王に追いすがってくる杏樹。
——おにいちゃんをどこへつれてくの? ねえ、もどろうよ。パパ、お顔こわい……。
やはり、そうだ。あの日、聖王をつれだしたのは母じゃない。父だ。杏樹を抱きかかえて「海に落としてしまうぞ」とおどしたのは。
暗闇のなか、遠くから二つの光輪が猛スピードで近づいてくる。聖王がどこかへ隠れようとあとずさったときには、ヘッドライトが間近に迫っていた。聖王はとっさに防波堤内側の階段に身を隠した。だが、その姿はライトに照らされていたらしい。スッと停まった車から降りてきて、父が嘆息する。
「なんだ。思いだしてしまったのか? 聖王」
「……」
「困ったやつだなぁ。あの日だって、おまえが逃げだそうとしなきゃ、杏樹は死なずにすんだんだぞ?」
聖王は小声で問いかける。
「嘘だったんだな? 秋田出身とかいって、ほんとは戸の内の生まれだったんだ。ニエに選ばれたのも母さんじゃない。父さんだったんだろ?」
父の表情は変わらない。ヘッドライトがつけっぱなしなので、ロボットみたいに無機質なおもてがハッキリと見える。
「……母さんからいいだしたんだ。わたしがニエ代になるってな。だけど、愛する人をニエ代になんてできないじゃないか。だから、当番を延ばしてもらって、最初に生まれた子どもをさしだす約束で集落の人たちには納得してもらった。うちにはもう父さんしかいなかったからな。両親が死んだあと育ててくれていたじいさんもその年に亡くなってしまったし。じいさんの肉を一時しのぎで出したけど、年よりの肉は喜ばれないんだ。おまえをさしだして、やっとこれで役目を果たせたと思ったんだがなぁ。杏樹があんなことになって……まあいいさ。うちにはまだ蘭樹がいる。母さんはおまえも大事に育ててやろうというんだが、思うんだよ。やっぱり、父さんの身代わりだから、男の子じゃないと意味がなかったんだろうってな。蘭樹が行方不明になったのは、天罰がくだったんだ。ぐうぜん死んだ杏樹ですまそうとしたからだ。ちゃんとしたニエ代を出さないといけなかったんだよ。おまえも、そう思うだろ?」
「……」
そこにいるのは子どものこらから知っている父だ。でも、じつは何も知らなかったんだと今になってわかった。父は狂っている。狂った戸の内で育って、常識からかけ離れた思考に染まってしまっている。その異常性にまったく気づかないほど。
「杏樹に悪いことしたとは思わないのか?」
「あの子の死体はあがってこなかった。だから、人魚に気に入られたと思ったんだが。まあ、すんだ話だ。それより大切なのはこれからだ。わかるだろ? 父さんには母さんと蘭樹を食わせてやる義務がある。誰かがニエにならなきゃならんというなら、おまえしかいない。そうだろ? なあ、聖王」
父が迫ってくる。聖王はさっきあがってきたばかりの階段を一段、また一段とかけおりていった。
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