第3話 伝説の国
一行は森の奥へとひたすら進んだ。霧はいつの間にか晴れ、急に視界が開けたかと思うと、見知らぬ町が現れた。町の中央に城がそびえ、その周りを高い塀と堀が巡らされ、さらにそれらを囲むように人々の住む家々が造られていた。見る限り、ごく普通の町であった。
「こんなに大きな町が、封印されていたなんて」
家を荒らされ、傷つき、道端でうずくまる人々は、見慣れない一行を見て慌てて逃げようとした。セクアは、その様子を見て馬から滑り降りると、逃げ出す人々に声をかけた。すると、その場にいた人々は、セクアの元へと集まってきた。
アルドリックはレイヴンとバランに、怪我人の手当てをするよう命じた。二人は馬の鞍に積んだ荷物を降ろし、薬や包帯を取り出すと、怪我人の側へ行き、手当てを始めた。次第に怪我人が彼らの周りに集まり始める。セクアはアルドリックに向かって深々と礼をし、そのまま城に向かって歩き出した。レイヴンとバランをその場に残し、アルドリックたちも馬を降り、セクアの後に続いた。
歩きながらアルドリックは、ゼーラーンに問いかけた。
「ヴォルフ。ここを攻撃したのは本当にフォローゼルかな? イリス将軍にしては手ぬるいような気がする」
確かに、家は荒らされ火をかけられた建物もあるようだが、いつものフォローゼルの攻撃ならば、もっと死者の山が築かれていてもおかしくない。怪我人こそそれなりにいるが、死人はほとんど見あたらない。
「フォローゼルの攻撃に間違いないかと」
ゼーラーンは、フォローゼル兵が身に着けている白巾が、ところどころに散らばっているのを確認していた。
「ただ、彼女たちも別にエル・カルドに恨みがあるわけではありませんから。本来ならば、このような戦闘が起きる事自体、おかしなことです。何か、想定外の事があったのかもしれませんな。何しろ言葉が通じませんし……」
言葉が通じない故に、何か行き違いがあったのか。つくづくバルドのいる幸運に、アルドリックは感謝した。
セクアの後をついていくうちに、城壁と堀に囲まれた城の入口にたどり着いた。城を巡る堀に架かる跳ね橋は降りており、兵士らしき者が数人、城門に立っていた。兵士といっても軽装であり、外敵と戦うための装備でないことは明らかであった。
結界に閉ざされた彼らには、外から攻められるという発想すら無かったのだろう。一行を見た彼らの表情は、恐怖と戸惑いに満ちていた。それでもセクアの姿を見ると、平静に努めようとしていた。セクアが兵士たちに話をすると、一人が城の中へと走って行った。他の兵士たちは、アルドリックたちに馬を預けるよう身振りで伝えてきたので、一行は彼らに手綱を渡した。
「ここにも馬はいるみたいだね」
兵士たちの馬の扱いを見て、アルドリックはつぶやいた。しばらくすると、城の中からくすんだ黄色の長衣を身に着けた、壮年の男性が慌てて出てきた。男性はセクアの手を取り、二人でしばらく会話をやりとりすると、アルドリックたちに向かって深々と礼をした。
「彼女のお父上のようですよ」
バルドは後ろからささやいた。アルドリックたちは男性の手招きで、城の中へ入るよう促された。
城の玄関にある木の大扉をくぐると、そこは大きなホールとなっていた。中央には優美な曲線を描く大階段があり、天井近くには小さなガラスを無数にはめ込んだ飾り窓が、柔らかな光を取り込んでいる。奥の通路を進み案内されたのは、大きな円卓に七つの椅子が据えられた、豪奢な部屋であった。部屋の壁一面には、大小様々な人物の肖像画が飾られている。七つの椅子には、数人の男女が座っていたが、いくつかは空席のままであった。アルドリックたちには壁際に席が用意され、セクアから座るよう促された。習慣で立ったままいようとするフェンリスに対し、アルドリックは、彼らを威圧するようなことはしないように、と言って座らせた。セクアはバルドにゆっくりと単語を連ねて話をしている。しばらくすると、ふわりと身を翻し、円卓の方へ進んでいった。彼女は立ったまま、円卓に座る人々へ向かって話を始めた。
「七聖家の方々に、今エル・カルドが置かれている状況と、アルドリック様の申し出をお話しされるそうです」
バルドは口を動かしながらも、耳はすでに円卓の方に神経を集中させているようだった。アルドリックはバルドの耳を邪魔しないように、小声でゼーラーンに話しかけた。
「ヴォルフ。ローダインの将軍として、エル・カルドの状況をどう思う?」
「は。正直、国としてやっていくのは難しいかと。見たところ兵士はいても、軍といえるようなものは見当たりませんし、言葉は通じない。外交手段も持たない。何より、この場所が……」
「そうだね。ここをフォローゼルに取られるわけにはいかない」
アルドリックはきっぱりと言った。
「ローダインにとっては辺境の地といえど、フォローゼルとの中間にある。ここを取られれば、まだ態度が曖昧な南部の商業自治州も危うくなるだろう。そしてローダインの喉元まで、一気に進むことも可能になる。これからの戦は、エル・カルドを巡ってのものになるだろうね。そうなる前に砦を築き、部隊を置き、エル・カルドの守りを固める。急がないとね。フォローゼルより先に動かなければ」
「中央の連中が承知するでしょうか。彼らはエル・カルドの存在すら、簡単には信じないでしょうな」
ゼーラーンは忌々しそうな表情で、吐き捨てるように言った。
「それは……」
アルドリックが言いかけると、円卓の部屋に灰色の服を着た従者らしき男が飛び込んできた。セクアに何事かを告げると、彼女は床に座り込んで泣き出し、円卓に座っていた人々は落胆の表情を浮かべた。耳を澄ませていたバルドが、アルドリックに向かってささやいた。
「どうやらフォローゼルが、ここの人間を何人か連れて行ったようなのですが、その中に彼女の夫もいたらしくて……」
アルドリックは泣き崩れるセクアを見つめていたが、小さな声でゼーラーンに告げた。
「彼女にはローダインへ来てもらうよ。彼女の姿を見れば、多くの人は心を動かされるだろう。中央の連中も動かざるを得なくなると思うよ」
ゼーラーンは淡々とした口調で語る若い皇帝の横顔を見た。十五の歳から戦場に立ち、父親から受け継いだ国をまとめ、周辺国を支配下に置き、若くして皇帝の座についた彼の脳裏には、既に次の筋書きが描かれているようであった。
「そうですな」とだけ、ゼーラーンは言った。
いつまでも終わらない会議に待ちきれなくなったのか、凝った彫物のある大きな木の扉を開けて、小さな男の子の顔がのぞき込んだ。そして見知らぬ来訪者を見つけ、興味津津で近づいてきた。銀色の髪に孔雀色の瞳、子供らしい赤い服。五歳くらいだろうか。一番年が近いと考えたのか、アルドリックの前に走ってくると、遊んで欲しそうな顔でのぞき込んでくる。子守らしき男が後を追い掛け、慌てて引き離そうとするのを身振りで制した。アルドリックが両手を広げると、男の子はうれしそうに膝に飛び乗ってきた。どこの国でも子供は変わらない。
「そういえばヴォルフ。君のところの孫、コンラッドだったっけ。確かうちの子と同い年だよね。もう少ししたら一緒に遊べるかな」
膝に乗った男の子は、初めて聞く言葉を話す二人を、不思議そうに見上げた。
「そうですな。もうすぐ二人目も生まれます」
「妹かな。弟かな。楽しみだね」
無邪気に遊ぶこの子が大人になった時、どんな世界になっているだろうか。通じないと思いながらも男の子に名前を聞くと、不思議なことに、その子は元気に答えた。
「シルヴァ」と。
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