第28話 聖剣の間

 ディランは灯りを携え、再び聖剣の間へと続く階段を降りて行った。まさか、母の指輪が魔道符だとは思いもしなかった。そして父母に魔道が使えたとは……。

 

 改めて指にはめた指輪を眺めてみたが、やはりただの指輪にしか見えなかった。自分には、魔道など何の関わりもないものだと、ずっと思っていたのだ。

 

 つくづく自分には、こういった事象を理解する力が欠けているように思えた。


 シルヴァなら、あるいは気が付いたのかもしれない。彼は、辺境で魔道符を渡した時も、すぐに気付いていた。それがエル・カルドで育ったせいなのか〈アレスル選ばれし者〉故のものなのかは、わからなかったが。

 

 ディランには、魔道に関して全くと言っていいほど、何の知識もなかった。その点、現状に不安が無いわけではなかった。一方で、そこにはっきりとした人の意志が介在しているという点で、安心感もあった。魔道は、全くの怪奇現象などではない。人間が、何らかの目的を達成するために、使っているに過ぎないのだ。

 

 聖剣の間に入ったディランは、燭台の蝋燭に灯を点し、ひざまずくと、何か変わったものはないか注意深く石の床を見回した。そうして部屋の中央にある剣の台座を下から見上げると、わずかに何かが付着していた。手で触れると粘り気があった。ここに何か、貼り付けられていたのだろうか。

 

 不意に人の気配を感じ、その場で身構えた。ディランの感覚というのは、専ら戦うために研ぎ澄まされたものだ。気配は、階段を降りてくる音に変わった。耳を澄まし、出入り口の扉へ目を走らせた。万が一閉じ込められないように、扉は開け放ち、樽を置いてある。足音は、部屋の前で止まったかと思うと、中へ入ってきた。ドナルだった。

 

「何か、見つかったかね」

 

 ドナルは、銀糸の刺繍を施した黒い長衣を優雅に纏いまと近づいてきた。ドナルの物腰は、実に堂々としており、その風貌は王者のようであった。エディシュが騒ぐように、短かく切られた髪は波打つ金色で、丸太のような太い腕に、割れたアゴを持っていた。

 

「いいえ。まだ、何も見つかっておりません」

 

 ディランはその場で立ち上がると、長衣の裾を払った。

 

「そもそも、魔道というものをよく知りませんので、何を調べれば良いのか」

 

 ドナルは腕組みをし、右手をアゴに添えた。指にはめたいくつもの指輪が、蠟燭の灯りに輝いていた。

 

「『転移の魔道というのは、基本的に魔道符によって行われる。その魔道符を使用できるのは〈アレスル〉のみ』まあ、これは魔道書に書かれていたことに過ぎないがね。実際がどうだったのか、私にはわからない」

 

「昔の人は、転移の魔道でどこへ行っていたのでしょうか」


 ディランはドナルの表情をうかがったが、特に変化はみられなかった。

 

「さあね。そんな事に関心を持つ人間は、もうここにはおらんよ。今のエル・カルドの連中は、七聖家の人間でさえ、魔道は既に過去のものとみなしている。嘆かわしいことだ」

 

 ドナルは、蝋燭の炎を揺らしながら剣の台座に近づくと、ディランの前に立った。ドナルは、エル・カルド人にしては立派な体格の男であった。間近に立つと、それだけで威圧感がある。ただ、それだけだった。ドナルからは戦う人間の放つ、特有の緊張感は感じられなかった。この男は戦ったことがない。それだけは、はっきりとわかった。

 

 ドナルは、ディランを上から下まで眺めると、満足そうな表情を浮かべた。

 

「第四聖家の青の長衣。実に美しい。七聖家の人間が身に着けるにふさわしい。その長衣を、お父上が身に着けていたのを憶えているよ。お父上も母君も、美しい人だった。……ああ君は、お父上と会った事がなかったんだね」

 

 ディランは、自分の口の端がわずかに動くのを感じ、ドナルを強い視線で見返した。

 

「そんな顔をするものではないよ。君は、意外と感情が顔に出るね。私は、羨ましかったんだよ。ご両親が〈アレスル〉とはね」


「〈アレスル〉同士の婚姻は、禁忌だとうかがいましたが」


 ドナルはディランの言葉を鼻で笑った。

 

「そんな、大げさなものではないと思うがね。聖剣やら代表権やらをどうすれば良いのかを決めれば済む話だ。実際、母君が聖剣以外のものを放棄する事で、問題は落ち着いただろう? 皆新しい事を考えるのに、慣れていないだけだよ。前例通りにすることで、安心したいのだよ」

 

 ドナルはすっと手を伸ばすと、ディランの髪を手に巻き取った。

 

「ただ、この髪はいただけんな。長い髪はローダインでは『戦士の証』だったか? エル・カルド人がローダイン人の真似事をしてどうする」

 

 ディランはドナルの手から髪を引き離すと、背に払い除けた。ずいぶんとかんに障る男だ。ドナルの言動は、ディランの話をらすためにしているようにも感じた。彼の話に引きずられるべきではない。今は、魔道符の事を調べるのが先だ。

 

「魔道の管理は代々、第二聖家がされているとか」

 

「管理といっても、もう魔道を使う者がいなくなって久しい。今はせいぜい、古くなった魔道書を修理したり保管しているだけだ」  

 

「今でも、魔道の研究をされているとうかがいましたが」

「研究とは、大袈裟だな。魔道書の置き場を造っただけだよ」

「見せていただいても?」

 

 ドナルは意外そうな顔をし、少し考えた。

 

「いいだろう。今から、城外へ出ることになっている。馬車を用意するから、城門で待っていなさい」

 

 ドナルは優雅に裾を翻すと、聖剣の間を出て行った。

 

 ドナルとの接触を、マイソール卿に頼んではいたが、向こうから来てくれて手間が省けた。彼の、まるで王者のような風貌と振る舞いの一方で、聖剣の間を調べられる事に耐えかねて、様子をうかがいにきている。

 

 あの男は、小心者だ。

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