第29話 鳥籠の鷹 城外の館①
ディランが衣服を改め城門で待っていると、ドナルは跳ね橋の前に二頭立ての箱型の馬車でやって来た。馬車の前後に、四人の衛兵が馬に乗り、付き添っていた。ただディランが見る限り、その衛兵たちは護衛として、あまり役に立ちそうになかった。
ドナルに導かれ馬車に乗り込んだディランは、ドナルの向かいの座席に座った。ドナルが御者に声をかけると、馬車はゆっくりと進みだした。
馬車の周囲は、黒い皮で覆われており、冬の淡い光が隙間から差し込んだ。馬車の内装は、座席も壁もクッションで覆われ、豪奢な造りであることが見て取れた。ドナルは肘掛けに頬杖をつき、まじまじとディランの服装を見て、顔をしかめた。
「君は、何故わざわざ使用人のような格好をしてきたのだ。仮にも七聖家の人間だろう。おまけに剣までぶら下げて。戦にでも行くつもりかね」
城外へ出ると聞かされていたので、動きづらい長衣から普段の服装へと着替えてきたが、どうやらそれがドナルのお気に召さなかったようだ。
ドナルの言う、使用人のような格好というのは、マントの下に着ている灰色の衣服のことだろう。ローダインでは礼装としても着用する物だったが、エル・カルドでは灰色の服を着るのは使用人だけのようだった。
「ご不快でしたか。城外へ出るのなら、いつ剣が必要となるかわかりません。長衣は戦いには不向きです」
ディランが手に持つ剣を少し抜いてみせると、ドナルは、ますます不機嫌になった。
「嘆かわしい。せっかくの美しさが台無しだ」
「……そうですか」
ディランの素っ気ない返事に、ドナルはため息をついた。
「君の母君は、エル・カルドの慣習をあまり教えなかったようだね」
「ローダインで生きて行くには、不要なものだと思ったのでしょう」
ドナルは話にならないと言わんばかりに、クッションにもたれて首を振った。
しばらくすると馬車の揺れが激しくなった。舗装していない道を通っていることは明らかだった。かといって、車輪がぬかるみにとられることは無く、馬車が酷く傾くことも無かった。普段からよく使われている道なのだろう。そして何度か方向を変え、馬車は走り続けた。やがて馬車は速度を落とし、御者の掛け声と共に動きを止めた。
扉が開き馬車を降りると、辺りは一面の霧が立ち込めていた。二階建ての石造りの大きな館の周りには、塀も柵もなく、ただ建物が建っているだけであった。周囲には、木蔦に覆われた木がいくつも立ち並んでいる。
ドナルが扉の前で呼び鈴を鳴らすと、長袖の白いシャツに灰色の上着を着た少年が玄関の扉を開けた。館に入り、柔らかな絨毯を敷き詰めた廊下を歩き、通されたのは、暖炉のある応接室だった。そこには、更に年の若い栗色の髪の少年と、もっと若い黒髪の少年の二人が控えていた。ドナルは、三人を自分の横に並ばせた。
「こちらからフィオン、ルーイ、キアランだ。お前たち、お客様だ。しばらく滞在されるので、失礼のないように」
「滞在?」
ディランは怪訝な顔でドナルを見た。
「おや、本当に魔道書を見て帰るつもりだったのか? 君の目的は、そんなことではないだろう?」
ドナルは少年たちに合図を送った。
「お部屋の準備をしてまいります」
そう言ったのは、フィオンという一番年長の少年だった。まっすぐな金色の髪を肩で切り揃えた、聡明そうな少年だった。フィオンは二人の少年を連れて、応接室を出て行った。
ドナルは、ディランに部屋の中央に置かれた、革張りの長椅子に座るよう促した。ディランが長椅子に座ると、ドナルは低いテーブルの中央に置かれた籠の中から、グラスと火酒の瓶を取り出し、慣れた手つきでコルクを抜いた。そして、二つのグラスに少しずつ注ぐと、一つをディランの前に置いた。琥珀色の液体が、グラスの中で静かに揺れていた。
ドナルは、自分が疑われていることを理解している。ここまでくれば、もう遠回しな言い方は必要ないだろう。
「ウィラード殿下とシルヴァは、どこに?」
「残念だが、私も知らぬ。それを調べるのは、君の役目だろう?」
どうやら、ドナルは嘘をついているわけではなさそうだ。やはりドナル以外に、魔道符を作る人間がいるという事か。ディランは、ドナルがグラスに口をつけるのを待って、自分も飲み始めた。
「まあ、ゆっくり調べるといい。私は、ずっとここにいる訳では無いから、館の中は好きに使ってくれていい。但し、地下への入口には結界があるから、入ろうとしても無駄だよ。それから、もう知っているだろうが、この館の周りにも結界が張ってある。私ですら、勝手に出入りすることは出来ないから、そのつもりで」
<結界>失われたはずの魔道が、ここでは当たり前のように使われている。それにドナルという男は、よほど魔道に自信があるようだ。これほどはっきりと秘密の場所を明かし、館内での自由を与える。例え秘密が知れたとしても、ここから出る方法は無いということなのだろう。彼はディランの持つ剣すら、取り上げようとしなかった。
扉を叩く音がして、部屋の外からフィオンが声をかけた。
「お部屋の準備が整いました」
「フィオンについて行くといい。後で館を案内させよう」
そう言うとドナルは、応接室を出て行った。ドナルは、フィオンとすれ違い様にささやいた。
「地下へ行ってくる」
フィオンは静かにうなずくと応接室へ入り、ディランに軽く礼をした。
「どうぞ、こちらへ」
ドナルは一階の奥まった場所にある、壁の小さな隠し扉を開けて、ぶら下がっている白い紐を引いた。小さな鈴の音が聞こえ、しばらくすると木の扉が開き、中から灰色のフードがついたローブを着た小さな老人が一人、杖をついて現れた。
「お帰りなさいませ。ドナル様」
ドナルは老人の後をついて階段を降りていった。薄暗い地下の部屋には、本が所狭しと積み上げられ、壁際の机には、書きかけの書面が散らばっている。
部屋の真ん中には、孔雀石が台座の上に置かれていた。その孔雀石には、不思議な文字が刻まれており、穏やかな輝きを放っていた。ドナルと老人は、孔雀石の台座の側に立った。
「いかがでしたか〈聖剣の儀〉は」
老人はフードの下から、ドナルをじっと見つめた。
「転移の魔道符は、無事発動したよ」
「ということは、ウィラード殿下は剣を抜かれたのですな。旦那様もお人が悪い。転移の魔道符を他人で試すなど」
「まさか本当にウィラード殿下が聖剣を抜くとは、思っていなかったよ。剣を抜かなければ、あれは発動しないようになっていただろう? ちょっとした事故だよ。試すとは、人聞きの悪い」
ドナルは甘く響く声で、面白そうに話した。
「しかし、シルヴァまで一緒というのは予想外だった。彼らは一体、どこへ飛ばされたのだ?」
「ご心配なく。ちょっとやそっとでは帰ってこれぬ所です。もしかすると永遠に」
「半分ローダイン人の〈
「では折を見て、剣を取りに行く事としましょう。あそこには、他にも面白いものがありますから」
老人は、机の前の木の椅子に腰を降ろした。
「こちらからもう一つ、面白い土産だ。ボドラーク砦の騎兵団長を、いや『元』騎兵団長を連れてきた」
「ほう。それは、それは。フォローゼルにばら撒いた魔道符は、意外と早く対応されてしまいましたな」
ドナルは老人の机の上に置いた木箱から、小さな孔雀石をつまみ上げた。
「思ったより優秀な子のようだ。あの子は今回の事も、私が首謀者だと思っているよ。使い道はあるから、手元に置いておきたいんだが……例の件が済むまでは、あの子に城内に居られては困る。あの男と鉢合わせでもしたら、どうなることやら」
老人は静かにうなずいた。
「まさか、自分から飛び込んでくるとは思わなかったがね。エル・カルドを戦場にするわけにはいかないから、雪解月まではここにいてもらう」
「おとなしくしているでしょうか」
「おとなしくしてもらわなければ困るよ。あれは、見た目は美しいが、中身は
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