第30話 ドナルという男 城外の館②

 フィオンは、柔らかい絨毯の敷き詰められた廊下をゆっくりと歩き、一階にある客室へディランを案内した。


 中にはカーテンで覆われた木製の寝台、テーブル、椅子、チェストなどが置かれていた。窓には分厚いカーテンが引かれ、どれも質の良い豪奢なものであった。暖炉には火が入れられ、あかあかと輝いている。

 

「こちらのお部屋をお使い下さい。御用がおありの時は、この呼び鈴を鳴らして下さい」

 

 客室があるということは、客人があるということだろう。結界の張られたこの館に。

 

「それから、こちらにお着替え下さい」

 

 フィオンは寝台の上に着替えを並べた。真新しいリネンのシャツ、黒の長衣と、丈の長い袖無しのチュニックに幅広の帯、そして革底のサンダル。第二聖家の者が普段着として身につける衣服とのことであった。


 ドナルは、よほどディランの服装が気に入らないようだ。彼は、七聖家であることに誇りを持っている。そして七聖家の人間が灰色の服を着るということは、ドナルにとって許しがたい行為であったようだ。

 

「その指輪……七聖家の方でしたか。申し訳ありません、てっきり……」

 

 フィオンはディランの指輪を見て謝罪した。彼は見た所、十七、八歳だった。その年で、すでに灰色の服を使用人のものとし、孔雀石の指輪を見て七聖家の人間だと判断している。エル・カルドの風習は容易に変わらないようだった。

 

 ディランが上着とシャツを脱ぐと、着替えを手渡そうとしたフィオンが小さな声をあげた。

 

「どうした?」

「いえ、何でもありません」

 

 何でもない、というわりには顔がこわばっている。フィオンは着替えを手に握りしめ、ディランから視線をそらした。

 

「……もしかして……傷が怖いのか?」

 

 ディランの体にはいくつもの傷があった。大半は、何年も戦場に出ている間についたものだ。特に珍しいものでもない。騎兵団の人間は、皆そうだったのだから。

 

「いえ、大丈夫です」

 

 フィオンは、震える手で服を差し出した。

 

「……お姫様じゃないんだ。着替えに人の手などいらん」

 

 ディランは、フィオンに背を向けると、手早く服を身に着けた。フィオンは、ほっとした表情でひざまずき、正面から帯を締め、衣服の裾を整えた。フィオンはディランを椅子に座らせると、乱れた長い髪に丁寧に櫛を入れ始めた。

 

 ずいぶんな怖がり様だ。傷を見慣れないにしても、フィオンの反応は少しおかしいように思えた。フィオンが髪を梳かし終わると、ドナルが見計らったかのように部屋へ入ってきた。

 

「ほう、少しはエル・カルド人らしくなったではないか」

 

 ドナルは、満足そうな笑みを浮かべ、近づいてきた。

 

「髪は、切らないのか?」

 

 ドナルがディランの髪を一房、指に絡めすくい上げると、ディランはあからさまに嫌な顔をした。

 

「まあいい。では、魔道書を見せてやろう。二階の書斎にある」

 

 ドナルはディランの髪から手を離すと、優雅な裾捌きで歩き出した。階段を上がってすぐの場所に、書斎はあった。書物が日に焼けるのを防ぐためか、部屋は薄暗く、昼間でも灯りが必要であった。


 壁一面の書棚には、書物が整然と並べられ、部屋の中央にある大きな机には、書きかけの書類と本が置かれてあった。そして部屋の隅には、修理用と思われる紙類や木の板、糸、工具などが無造作に置かれていた。

 

「知っての通り第二聖家は、代々魔道書の管理をしてきた。ここにあるものは、全て〈アレスル選ばれし者〉であった私の祖父が持っていたものだ。管理といっても、具体的に何をやっていたのか知る間もなく、祖父は例の流行り病で亡くなった。祖父の仕事を手伝っていた母から、古くなった魔道書の写しを作る事は教わったが、〈アレスル〉としての役目は、どうやら他にもあったようだ。昔は他の〈アレスル〉から、魔道や役目を教わるようなこともあったらしいが、私が〈アレスル〉になった時には、そんな教えを授けてくれる人は誰もいなかった。皆、生きるのに必死で魔道どころではなかった。私自身は魔道の事など、何もわからないんだよ」

 

 ドナルは、自虐的な笑みを浮かべた。エル・カルドの結界が解け世界が一変し、流行り病で大量に周りの人が死んでいく様を見た若いドナルが〈アレスル〉となり、何を考えたのかは想像もできなかった。

 

「では、館の結界は一体、誰が扱っているのですか? あなたが魔道を使えないというのなら、あれは誰が?」

 

「私に答える義務があるとでも? まあ、君の態度次第では、考えないでもないがね」

 

 ドナルは両手を広げ、笑い声をあげた。


 その日のうちにドナルは、再び城内の邸宅へと帰ることになっていた。再び馬車が館の前につけられた。

 

「私は、七聖家の会合に行ってくる。君がここにいることは、マイソール卿に伝えておこう。それからこれを……書斎の鍵だ。あの部屋は、自由に使うといい」

 

 ディランに鍵を渡すと、ドナルは馬車へと乗り込んだ。馬に乗った衛兵たちと共に、馬車は霧の中へと消えて行った。

 

 

「ディラン様。お疲れでなければ、館内を案内いたしますが」

 

 ドナルを送り出したせいか、フィオンの表情は先ほどよりも少し和らいでいた。ディランはうなずいて館の中へと入った。

 

 フィオンは二階から順に案内した。

 

「二階は、ドナル様のお部屋と、先程行かれました書斎、向こうが私ども使用人の居室となっております。私どもは、掃除以外で書斎へ入ることは出来ませんが、ディラン様はご自由にお使い下さい」

 

 フィオンが先導して、階段を降りた。

 

「一階は、こちらが応接室。こちらに客間が二部屋、向こうが使用人用の食堂と調理場、その隣が洗い場になります。お食事ですが、ドナル様はお部屋でお召し上がりになられますので、ディラン様もお部屋にご用意いたします。それから最後に、こちらの扉が……」

 

 フィオンは、一階の奥まった場所にある木の扉を指さした。

 

「地下への入り口となっておりますが、絶対に触れないで下さい。うっかり手を触れて、怪我をした者もおりますので」


「中に、誰かいるのか?」

 

「……それは……お答えできません。申し訳ありません」

 

 ディランは館の中を見回した。どこからか人の気配はするものの、少年たち以外の人の姿を見ることは無かった。だが館の雑用を、少年たちだけでやっているとも思えなかった。他にも誰かいる。この館の中に。


 ディランは再び書斎へ戻ると、適当に魔道書を取り出し開いてみた。そして、ドナルが気前良く鍵を渡した理由がわかった。魔道書に何が書いてあるのか、ディランにはさっぱりわからなかった。今まで自分が得てきた知識とは、全く系統の異なるものであった。


 しばらく目で魔道書を追っていたが、すぐに閉じて書棚に戻した。見るべき人が見れば、宝の山なのだろうが、関心の無い者にとっては、紙くずでしかなかった。


 ディランは書斎に置かれた柔らかな椅子に座り、ドナルの様子を思い出した。

 

 いくつもの指輪がはめられた手。その手は傷一つない、きれいなものであった。エディシュが見惚れた、太い腕は、剣や武術の鍛錬によるものではない。おそらく自己満足の産物だろう。彼の身体の動きを見る限り、ドナルには武術を学んだ経験もない。

 

 あの男から話を引き出すには、どうすれば良いだろうか。自信と小胆。一見、相反する性質が、ドナルという男から複雑に見え隠れする。


 ああいった男が求めるのは、恐らく自分の手の内に収まる人間だ。従順で何も知らない、あの少年たちのような人間。ならば、それを演じるしか無いだろう。

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