第27話 花の香り
グレインネは部屋の扉を叩いて声をかけると、返事を待たずに扉を開けた。
「入るよ」
「グレインネ。入っていいって言ってから、入ってくれない?」
部屋の中から、か細い声が聞こえてきた。
「悪いね、せっかちで。それより、あんたがお待ちかねの人だよ。ディラン、お入り」
ディランが、アルトの部屋に足を踏み入れた瞬間、むせかえるような花の香りに包まれた。臭い消しのために乾いた赤い花びらが、陶器の器に入れられ部屋の至る所に置かれていた。そして、窓辺に設えた寝台に、わずかに上半身を起こして横たわる少年の姿があった。
その手は棒のように瘦せ細り、顔の表情は無く、目は虚ろで唇は割れ、血の乾いた跡があった。青ざめた顔が、ディランを見ると少し色づき、目はわずかに輝きを取り戻した。
「本物?」
「はは。本物だよ。さあ、こっちへおいで。この椅子に座るといい」
グレインネは、寝台の横に小さな丸い椅子を置いて、自分も隣に座った。ディランは椅子に座ると、アルトに手を差し伸べた。
「ディランだ。少し、話をしてもいいか?」
アルトは、棒きれのような手を伸ばし、両手でディランの手を包み込んだ。窓から差し込む陽の光に、薄茶色の髪が透けた。
「いいよ。あの……
「話せるのか」
ディランは
「ウィラードと
アルトも
「ああ、ちゃんとわかる。ところで昨日の〈聖剣の儀〉があった時も、ここで外を眺めていたのか?」
「うん。そうだよ」
「その後は、どうしていた?」
「〈聖剣の儀〉の終わりの鐘が鳴った後、この下の石畳を通って帰る人を眺めていた。そうしたら、すごい振動があって……窓が割れるんじゃないかと思うくらい。びっくりして……使用人が様子を見に来てくれて……後は、寝台で横になっていたよ」
「他に、変わったことはなかったか? 何か、おかしなものを見たとか」
「特にないよ」
「では〈聖剣の儀〉が始まる前に、城に誰か出入りしなかったか?」
「ごめん。お昼から夕方までは眠ってて」
「わかった。ありがとう」
やはり、外から新しい事は何も得られなかった。もう一度、聖剣の間を見るしかないようだった。
「もう、いいのかい?」
グレインネと席を代わると、彼女はごつごつとした手で、アルトの手首に触れ、脈を診た。
「僕……後、どれくらい生きられるの?」
「さあねえ。私は神様じゃないからね」
「お母様は、残ったのが僕だったこと、後悔してるかな」
「滅多なことを言うんじゃないよ」
「でも、もう生きていたくない。死ぬのを待つだけなんだよ。そんなの怖いよ。早く終わりにしたい」
グレインネは困った顔で、ディランの方を見た。
「誰がいつ死ぬかなんて、誰にもわからない。今、元気でも明日生きている保証など何もない。特に戦場ではな。さっきまで話をしていた味方が、次の瞬間には倒れているなんて事は、何度もあった」
アルトは、ディランの顔をじっと見つめた。
「ディランは、怖くなかったの? 毎日……いつ死ぬかもしれないなんて」
「怖くないなんていう奴がいたら、それはただのバカだ。怖いのが当たり前だ。だから、必死に勝つ方法を考えるんだ」
アルトは、黙ってディランの話を聞いていた。
「アルト。お前は、目が見えるし耳もきこえる。考える事もできる。
「……わからない」
「わからなければ考えろ。自分の頭でな。それでも駄目なら、誰かに相談しろ。自分一人で抱え込むな」
アルトは黙ってしばらく考えていたが、やがて寝台の上で、うとうととしだした。
グレインネは、灰色の服を着た女性に薬を指示すると、ディランを連れて邸宅の外へ出た。
「ありがとうよ。私やミアータの言葉は、あの子にはもう届かなくてね」
「正直、何を言えばいいのかわからないが、本当に死にたい人間は、人に死にたいとは言わないんじゃないですか」
「……そうかもね」
グレインネは静かに目を閉じ、うなずいた。
「彼は、何の病気なんですか?」
「わからない。七聖家では、昔から時々ああいう子が産まれるんだよ。どの家も例外はない。あの子も十二、三歳くらいまでは、元気な普通の子だった。大昔は生贄に選ばれた、なんて言われた事もあったらしい。さすがに今は無いけどね」
「治らないのですか?」
「そうだね。おまけに、あの子の病は、今まで例を見ないくらい早い。今までは、二十歳くらいから少しずつ悪くなって、三十歳くらいで亡くなることが多かった。だから血筋も絶えなかったし、可哀想ではあったけれど、みんな受け入れてきたよ」
「さっき、アルトの言った……残ったのは自分というのは?」
グレインネはきゅっと口を結び、ディランに背を向けた。
「エル・カルドが国を開いて二十五年経つ。たった二十五年なのか、もう二十五年なのか、私にはわからない。ただ、ほんの少し前までは、まだ私たちは古い因習の中にいたのさ」
「古い因習?」
「若いあんたは知らなくていい。今となっては胸糞悪い因習だ」
グレインネはこれ以上、話す気はなさそうだ。
「それよりあんた。ちょっと、その指輪を見せてくれないか?」
ディランは、左手の小指にはめた指輪を外すと、グレインネに手渡した。
「……うん。やっぱり。……これも魔道符だと知ってたかい?」
「いえ。魔道符……ですか?」
「エル・カルドが国を開くまで〈
「……そんな事は、一度も」
ディランは耳を疑った。母からそのような話は、一切聞いたことがなかった。
「聞いたことがないかい。……そうかもしれないね。魔道が知られていない場所で、子供がうっかり魔道のことなんかしゃべったら、危険な目に遭うかもしれないね。これは私の想像だけど、セクアが身を潜めたのは、単に求婚者に悩まされただけじゃないのかもね」
グレインネは、ディランに指輪を返した。
「これには何の魔道が?」
「それは、その時になればわかるよ。いつも身に着けているんだろう?」
グレインネは、にやりと笑った。
「はい。戦に出る時以外は」
「え? 戦の時に外してるのかい?」
「怪我をすると、外せなくなるので」
グレインネは困惑した表情をみせた。
「…………ま、いっか。今まで無事だったんだ。それは悪いもんじゃない。あんたの身を守ってくれるもんだ。お守りみたいなもんさ」
お守りと聞いて、フォローゼルの魔道符のことを思い出した。
「ちなみに、ドナル卿は……彼は魔道を?」
「いや。彼は知らないはずだ。少なくとも、私の母は教えていない。あの流行り病の後、母は魔道に見切りをつけたんだ。新しい〈アレスル〉に教えるのもやめた」
昨日の会議で、誰もドナルを怪しむ様子がなかった事をディランは不思議に思っていたが、皆ドナルは魔道を使えないと知っていたのだ。では、ドナル以外に魔道を使う誰かがいるということか。
ディランが考えていると、第一聖家の邸宅から灰色の服の女性が籠を持って出てきた。
「それじゃあ私は帰るけど、気が向いたらうちにおいで」
グレインネは、灰色の服の女性を連れて、自分の邸宅へと戻って行った。
一人になったディランが、城へ向かおうと身を翻すと、ふわりと花の香りが漂った。
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