第26話 薬草師

 次の日の早朝、ゼーラーン卿一行はローダインへ向けて出発した。トーマは、最後までここに残ると言っていたが、コンラッドに諭され渋々荷馬車に乗った。エディシュは、さっさと終わらせて帰ってこいと何故か怒っていた。

 

 暗く垂れ込めた雲から雪がまた降り始めた。馬と荷馬車が雪の中を音を立てて遠ざかって行く。

  

 マイソール卿の尽力のお陰で、ディランは城内を調べる権限を与えられた。手始めに城の外回りを見てみることにした。


 いつの間にか雪は止み、時折暗い雲の隙間から、柔らかな陽が射していた。城の後方には、ぐるりと七聖家の邸宅が並んでいる。


 ディランが、城と邸宅の間に敷かれた石畳を歩いていると、前から白い頭巾を被った第五聖家のグレインネが、籠を持った灰色の服の中年女性を連れてやってきた。グレインネは、昨日の重々しい長衣とはうってかわって、栗色の長いチュニックとスカートに白いエプロンをつけ、すたすたと歩いてきた。

 

「おや、さっそく調べものかい?」

「はい。一通りの場所は見ておこうかと思いまして」

 

「そうかい。まあ、調べるのがあんたで良かったよ。あんたは信用できそうだ」

 

 グレインネの言葉に、ディランは不思議そうな顔をした。この人とは昨日顔を合わせたばかりだった。

 

「そうだね。あんたの人となりは知らないけど、あんたの手は信用できる」

 

 グレインネは、ディランの手を指さした。

 

「手、ですか?」

 

「ああ、あんたの左手は女物の指輪がはめられるくらいなのに、右手はまるで別人のようだ。ずっと剣を握ってきたから、そうなったんだろう? あんたが努力し続けてきた結果だ。私の母は『手は嘘をつかない』って言ってたよ。私も同感だ。私の手は、薬草で真っ黒になっているけどね」

 

 グレインネは両手を見せて豪快に笑った。連れの女性が持つ籠の中には、陶器に入れられた薬らしきものが、いくつも入っていた。

 

「あなたは、医者ですか?」

 

「そんな大層なもんじゃないよ。ただの、薬草師のばあさんだよ。第五聖家は、代々こういう事をやってるんだ。ここの……ミアータの……息子の具合が悪くてね」

 

 グレインネは、蔦の絡まった第一聖家の邸宅にある、二階の窓を見上げた。丸い模様のガラスが格子状にはめ込まれた窓には、ぼんやりと人の影らしきものが映っていた。

 

「いつも、あそこから外を見ているのですか?」

「ああ、そうだね」

 

 あの場所からなら、もしかすると城の出入りの様子がわかるかもしれない。地下にある聖剣の間からも、距離的に一番近い。

 

「彼と、話すことはできますか?」

 

「それは喜ぶよ。あの子は、あんたと話をしたがっていたからね」

 

「なぜです?」

 

 ディランは、訝しむような表情を見せた。

 

「あの子は、あんたみたいになりたかったんだよ。剣を持ち、戦場に立ち、敵と戦う。今まで、エル・カルド人が嫌って、誰もしてこなかったことだ。ウィラード殿下に、いろいろ話を聞いたみたいだね。あたしたちの世代と違って、若い子は、今のエル・カルドの状態に疑問を持っているようだ。ミアータは嫌がるかもしれないけど、気にするんじゃないよ。私も一緒に行くからついてきな。ああ、それから。あの子の姿を見ても、驚くんじゃないよ」

 

 グレインネは、第一聖家の邸宅の扉を叩き、声をかけた。灰色の服を着た中年の男性が扉を開けると、グレインネは手招きをして中に入った。ディランもグレインネの後に続いた。邸宅の中に入ると、ミアータ夫人が二階から階段を下りてきた。

 

「あら、あなたは……」

 

「アルトが、会いたがっていただろう? そこにいたから連れてきたよ」

 

「ええ、でも……」

 

「ミアータ。アルトはもう十八だ。立派な大人だ。いくら体が不自由だからって、いつまでも子ども扱いするんじゃないよ。先回りしてあれこれ考えるのはやめな」

 

「……はい」

 

 ミアータ夫人は、昨日までの威厳を持った姿とは異なり、グレインネの前では少女のように小さくなっていた。

 

「じゃあ、部屋へ行くよ」

 

 グレインネと籠を持った女性の後について階段を上ると、クラウスがひょっこりと顔を出した。

 

「ディラン! 何か、わかったか?」

 

 クラウスは思わず共通語コムナ・リンガで話しかけた。

 

「いや。まだ、何も」

「ウィラード殿下は一体どうされているのか……」

 

 クラウスは、心配で一睡もできなかったようだ。顔は真っ青で、目はくぼんでいた。

 

「心配するな。シルヴァが一緒だ。あいつはどこへ行っても何とかする奴だ。ウィラード殿下の事も、ちゃんとみるだろう」

 

 シルヴァという言葉に、グレインネが反応した。

 

「ディラン。あんた、シルヴァの友達か? ……そういえば昨日も会議で、あの子の名前が出ていたね。あたしの妹がシルヴァの母親でね。シルヴァは、あたしの甥っ子だよ」

 

 友達、といわれてディランは返答に困った。

 

「そうでしたか。別に、友人というわけでは……」

「あの子、バカだからね。友人といわれても困るか」

「はい」

 

 ディランは即答した。

 

「……正直だね、あんた。私は、そういうの嫌いじゃないけどね。まあ、あの子は本当にバカだから。一昨日も〈聖剣の儀〉にちゃんと帰ってきたぞって偉そうに言うもんだから、あんたが船に乗ってる間に、うちの婆さんが死んでたらどうするつもりだったんだって聞いたら、目を白黒させてたよ。考えてなかったんだね……。〈アレスル選ばれし者〉が死んでも〈聖剣の儀〉はあるんだけど。おまけに、詠唱を忘れたって聞きに来るし。あんなの、適当に口開けときゃいいのに。どうせ、ただの儀式なんだから。誰か一人、覚えてりゃいいんだよ」

 

 グレインネは、あけすけと言い放った。

 

「……それで、いいんですか?」

 

 ディランは、疑いの表情でグレインネを見た。

 

「あんなの、全員覚えていると思うかい? 年寄りなんかすぐ忘れるよ。昔は、それなりに意味のあった事なんだろうけれど、今はね……。それにしてもクラウス、あんた酷い顔だ。寝なきゃだめだよ。後で眠れる薬を出してあげるから、ちゃんと飲むんだよ」

 

「……ありがとうございます」

 

「さあ、アルトはこっちの部屋だ。ウィラード殿下の隣の部屋だよ」

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