第25話 夜更け

 深夜、コンラッドはディランの部屋を訪ねていた。

 

「明日の朝は早いから。君の荷物で何か、帝都に持って行っておくものはあるかい?」

 

「それなら、鎧箱を頼む」

 

 ディランは、チェストから鎧箱の鍵を取り出し、コンラッドに手渡した。

 

「開けて、手入れさせてもいいかい? 放っておくと錆びるだろう」

 

 コンラッドは鎧箱を受け取ると、足元に置いた。

 

「ああ、頼む」

 

 コンラッドは用事が済んでも、なかなか自分の部屋へ戻る気になれなかった。ウィラードの行方を調べるのに、何から手をつければ良いのか、見当もつかなかった。

 

 ディランを見ると、いつも通り平然とした表情で寝台に座っており、すでに寝る態勢に入っていた。

 

「……フォローゼルの持っていた魔道符のことも、言わなかったんだね」

 

「誰が、どう繋がっているかわからないのに、こちらの手の内をさらすこともないだろう」

 

 その点について、マイソール卿が何も言わずにいてくれた事は感謝に値する。どうやら、マイソール卿は優秀な人物のようだ。シルヴァが、丸投げしたくなる気持ちもわからなくはない。

 

「そうだね……大丈夫かい?」

 

 コンラッドの表情は、いつになく深刻だった。これが、剣を交える通常の戦であれば、ここまで不安にはならなかっただろう。

 

 自分たちが関わろうとしている事は、本当に自分たちが触れて良いことなのか、コンラッドにはわからなかった。

 

「また、何か変な心配か?」

 

 コンラッドは茶化されて、珍しく不機嫌になった。その表情はエディシュによく似ていた。

 

「違うよ。君だって魔道は専門外だろう。何が起きるのか……全く読めない」


 コンラッドの不機嫌な顔は、一瞬にして不安げなものに変わった。

 

「魔道の事がわかる人間なんか、ほとんどいないだろう。何もかもが手探りだ。……長丁場になるかもな。それに、フォローゼルの動きも気になる。奴らは必ず何か仕掛けてくる」

 

「そっちの方は、陛下に進言しておくよ」 

「陛下の方が経験豊富だ。わかってらっしゃるとは思う」

 

 コンラッド自身は、魔道といった得体の知れない事象に不安でいっぱいだというのに、ディランはまるで何事もなかったかのように冷然としている。彼もまた自分と同じように、ローダインで産まれ、ローダインで育ったはずなのに、魔道に対する感じ方が根本的に違うような気がしていた。これが、エル・カルド人とローダイン人の違いなのだろうか。

 

 思えば、初めて辺境で奇妙な事象が起きた時も、ディランは迷わなかった。弾かれる剣を目の当たりにしてもなお、攻撃を続けるように皆に命じた。

 

 それが、魔道符による結界だとわかったのは、後の事だった。なぜ、とっさにそのような判断を下したのかを聞いても『それでいけると思った』と言うだけだった。

  

 もし、自分がその場面に遭遇していたら、同じ命令が出せただろうか。ただ立ちすくむ事しか出来なかったのではないか。

 

 コンラッドには、目の前で寝台に潜り込もうとしている友人が、急に遠い存在になったような気がした。


「どうした。寝ないのか? 明日は、早いんだろう?」


 ディランは、早く帰れと言わんばかりの表情でコンラッドを見た。

 

「誰か、手伝いに置いていこうか?」

 

「いや、一人でいい。正直、人の面倒まで見ている余裕はない」

 

「わかったよ。……ウィラード殿下とシルヴァは、大丈夫かな」

 

 コンラッドは窓の方に目をやった。丸い模様のついた窓ガラスには、雪が少しこびりついていた。この寒空に、外へ放り出されていたとしたら、無事でいられるものだろうか。

 

「大丈夫だろう。それについて心配はしていない。そのうち、ひょっこり帰ってくるんじゃないか?」

 

 コンラッドにとっては、この状況でディランがあまり二人の心配をしてなさそうな事も不思議だった。ローダイン人の自分には、わからない何かがあるのだろうか。それとも、ただの信頼感なのか。

 

「そういうのは、七聖家同志で何かわかるものなのかい?」

 

「別に、そんなものはない。あいつは色んな場所で生活して、順応力だけはあるからな。どこにいても何とかするだろう」

 

「……そうだね」


 今は、その言葉を信じるしかなかった。

 

         ◇        ◇

 

 パチパチという木のはぜる音をぼんやりと聞きながら、シルヴァはゆっくりと目を開けた。聖剣の間にいたはずなのに、何かおかしい。どうやら地面に敷物を敷いて、その上に寝かされているようだった。


 あちこちから、冷えた空気が体を撫でる。酷く体が重く、目を開けるのがやっとだった。炎の灯りで、黒い影が壁に揺らいだ。驚いて体を起こすと、ローブを被った白髪白髭の小さな老人が二人、シルヴァの側に座っていた。

 

「うわ、何だあんたら」

 

 やたらと声が響く。どこかの洞窟のようだった。

 

「『何だ』とは何じゃ。せっかく倒れているところを助けてやったのに。あんたの連れも」

 

 見ると、ウィラードもシルヴァの側に横たわっていた。

 

「殿下……殿下……」

 

 シルヴァがウィラードの体を揺さぶると、ウィラードは少しだけ目を開けた。

 

「……シルヴァ? ……ここ……どこ?」

「ここですか?」

 

 シルヴァは周りを見回したが、辺りは暗く、何も見えなかった。

 

「じいさん。ここは、どこだ?」

 

 すると、二人の老人は不思議そうな顔をした。

 

「お前さんら、ここがどこか知らんときたのかい? 何も知らずに、どうやってきたんだ」

 

「そんな事、聞かれてもわかんねえよ。〈聖剣の儀〉が終わってから、ウィラード殿下が剣を抜いたら、魔道陣が急に現れて……気がついたら今だ」

 

「ほっほっ。〈聖剣の儀〉とは、懐かしい響きじゃな。まだ、続いていたのか」

 

「ウィラード殿下とは、何じゃ。エル・カルドは、いつの間に王制に変わったんじゃ?」

 

 老人たちの言葉に、シルヴァは怪訝な顔をした。

 

「あんたら、エル・カルド人だろう? 別に、王制になんかなっちゃいねえよ。ウィラード殿下は、ローダインの皇弟子殿下だよ」

 

「ローダインとは、何じゃ?」

「え?」

 

 シルヴァはあっけにとられた。この大陸にいて、その大半を統べるローダインの名を知らぬ者など、いるはずがなかった。

 

「ここに人が来るのは何十年ぶりかの。いつの間にエル・カルドは、そんなに変わったんじゃ?」

 

「前に来たのは、どこの誰じゃったかな。もう、それも忘れた」

 

「待て、じいさん」

 

 シルヴァには、老人たちの会話が理解できなかった。

 

「最近の〈アレスル選ばれし者〉は、薄情じゃの。儂らに挨拶もない」

 

「待て、ここはどこだ?」

 

「ここか? ここは、流刑地じゃよ。エル・カルドのな」

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