第2話 序章 青い衣の女性

「まず、彼女の言葉は大陸の古語に非常に近いものであります。彼女の名前は『セクア』です。やはりエル・カルド人で、見たことのない人たちが馬に乗って現れたので、外の様子を見に来たそうです」


「……エル・カルド人。本当にいたんだ」


 アルドリックは驚嘆の眼差しで、目の前の女性を見つめた。


「じゃあ、あの煙は?」

「恐らくフォローゼルかと」


 アルドリックとゼーラーンは、霧とも煙ともつかぬものが浮かぶ空を見上げた。アルドリックは、思わず舌打ちをした。


「バルド。彼女に、こう伝えてくれないか? 私はローダインの王で、エル・カルドのために手助けをしたいと。今、部下たちが様子を見に行っているので、戻ったらエル・カルドに連れて行って欲しいと」

「陛下、この人数で行くのは危険かと。一旦、陣に戻り……」


 ゼーラーンは、主の気持ちが変わらないであろうことは承知していたが、忠告せずにはいられなかった。ここにいる者は、皆腕に覚えのある者ばかりではあったが、それでも何かあれば、この人数で出来ることは限られている。


「そうだね。でもまずはエル・カルドの様子を確認しないと。自分の目で見てみないと、判断がつかないよ」


 アルドリックはバルドに通訳を促した。バルドは彼女にアルドリックの意図を説明し始めた。時折、地面に地図や文字を描きながら、かなりの時間をかけてようやく、アルドリックの意志は伝わったようだ。セクアはアルドリックの前に歩み寄ると、深々と礼をした。少なくとも敵でないことは、伝わっているようだ。


 緊張の糸が切れたのか、セクアはそのまま座り込んでしまった。慌ててアルドリックは、その場にひざまずき、セクアの手を取った。冷たい手だった。よく見ると、青い絹の長衣には見事な金糸の刺繍が施されており、左手の薬指には、孔雀色の石がはめられた指輪が光っていた。身に着けている物は、彼女の身分の高さを思わせたが、それにも関わらず、供も連れずに一人でいることは不思議だった。火を起こして温めてやりたかったが、今はそういうわけにもいかない。アルドリックは自分のマントを地面に敷くと、その上にセクアを座らせ、革袋に入った水を差し出した。セクアは、戸惑いながらも革袋を持ち上げて水を飲むと、ほうっと息をつき、安堵の表情を浮かべた。


 アルドリックは、その様子をぼんやりと眺めていたが、ふいにゼーラーンに腕をつかまれ、その場から引き離された。ゼーラーンは渋い顔で、アルドリックに釘を刺した。


「陛下。あの御婦人の左手をご覧になられましたか? 指輪の持つ意味が我々と同じであるなら、あの方は既婚者です」

 

 ゼーラーンは立て続けに言った。

 

「それから陛下御自身、二歳になる皇子の父親であることをお忘れなきよう。ことと次第によっては、レダ様に……」


 妃である妻の名を出され、アルドリックは一気に現実に引き戻された。


「ち、違うよ。そんなんじゃないって。バルド! その人に、エル・カルドの王様ってどんな人か聞いて!」


 女性と見ると親切が過ぎるのは相変わらずだと思いながらも、ゼーラーン自身、この女性の美しさは国を乱すかもしれないと感じていた。


 一方で、バルドとセクアのやり取りは、段々とすんなり進むようになっていった。改めてこの男の順応力、理解力に感嘆した。大陸には、共通語コムナ・リンガがあるとはいえ、未だ土着の言語も多い。その中で彼は、大陸中を巡り、人々と暮らし、吟遊詩人としての糧を得ている。古今東西の歌にも通じ、あらゆる世俗の知識に堪能であった。


 バルドは冬が近づくと、決まってローダインの都エゼルウートにやってきては、ゼーラーンの屋敷で冬の間、世話になるのが慣わしとなっていた。今は、大人になったゼーラーンの子供たちも、かつては冬のバルドの訪れを楽しみにしていたものであった。


 今回、エル・カルドの話を持ってきたのも、バルドであった。フォローゼルとの戦闘が続く中、陣中にわざわざやってきて、近在の者たちの噂を告げにきたのだった。成り行き上、同行を許されたものの、まさか本当にバルドの力が役に立つことになるとは、その時は思ってもみなかった。もし、この場にバルドがいなければ、言葉もわからず、何もできなかっただろう。


 やがてセクアは、地面に座ったまま腰に帯びていた長剣を取り出して、バルドに何やら説明しだした。ゼーラーンは剣を見てぎょっとした。彼女が、剣を帯びていたことに気づかなかったのだ。そして迂闊にアルドリックに近付けたことを悔いた。彼女が、たまたまアルドリックを害する意図がなかったから、何事もなく済んだだけであり、本来は自分が対処すべきことであった。冷静でいるつもりであったが、自分もまた、彼女の見た目に惑わされていたことに気が付いた。しばらくするとバルドは立ち上がり、アルドリックとゼーラーンに話し出した。


「彼女の話では、エル・カルドに王はいません。代わりに七聖家といわれる人々が、話し合いで様々なことを決めているそうです」

「七聖家」とアルドリックは、つぶやいた。

「七聖家には、各家に聖剣が一振ずつあり、聖剣に選ばれた人は〈アレスル選ばれし者〉と呼ばれ、七聖家の代表となるそうです。ちなみに彼女も〈アレスル〉の一人だそうです」


 セクアは、アルドリックとゼーラーンに向けて、自分の剣を見せた。その剣は、鞘に不思議な文字が刻まれ、〈アレスル〉以外の人間には、抜くことができないのだそうだ。その柄には、大きな孔雀色の石が嵌め込まれており、セクアの手の中で、神秘的な輝きを放っていた。剣の素材は、その場にいた誰もが見たことのないものであり、アルドリックは、その存在感に圧倒された。


(これが、エル・カルドの聖剣……)


 次から次へと知らされる事柄に、正直、疑いの念がないと言えば嘘になる。だが、目の前でセクアと名乗る女性が存在することも、事実であった。やはり自分の目で確かめたい。アルドリックがそう考えていると、遠くから馬の駆ける音といななきが聞こえてきた。レイヴンとバランが戻って来た。


「陛下。やはりエル・カルドの町が姿を現しました。それからフォローゼルの攻撃も。すでに退却したようですが、被害も出ているようです。我々は姿を見せぬ方が良いかと思い、遠目でしか確認しておりませんので、詳しいことはわかりかねます」


 アルドリックは二人の判断を褒め、労をねぎらった。報告を終えたレイヴンとバランは、アルドリックのマントを下に敷き、座り込む女性に気が付くと、顔を赤らめうつむいた。その様子を見て、却って冷静になっていく自分がいるのを、アルドリックは感じていた。熱が去り、為政者としての思考が戻ってくると、アルドリックはセクアの前にひざまずき、手を差し伸べた。


「エル・カルドを案内してくれますか?」


 その言葉にバルドの通訳は必要なかった。セクアはアルドリックの手を取り立ち上がった。アルドリックは、フェンリスの馬にセクアを乗せると、彼に馬を曳かせた。一行は『迷いの森』の奥へ向かって進み始めた。

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