エル・カルド(七つの剣)

夜田 眠依

序章

第1話 解けた封印

 ―〈エル・カルド〉古い言葉で『七つの剣』の意味を持つその国は、遥か昔、魔道とともに封印され、この大陸の歴史から姿を消した―


「わ、凄い霧」

 

 森は一面の霧であった。秋を彩る広葉樹はその役割を終え、黒々とした針葉樹が存在感を増していた。森の中を男たちが六人、馬を連ねて彷徨っていた。五人は旅人を装い、一人は本物の吟遊詩人であった。


 旅人の姿をした青年は、馬上で顔に張り付く長い金色の髪をかき上げながら、近くにいるはずの配下の男を捜した。  


「真っ白で何も見えない。ヴォルフどこ?」 


「陛下、前におります。この辺りは『迷いの森』と呼ばれるところですから、離れないようにして下さい。同じ場所をぐるぐると回らされたり、いつの間にか全く違う場所へ移動していたり。以前、この辺りでフォローゼル軍と遭遇しましたが、戦にもなりませなんだ」


 ヴォルフ・ゼーラーンは、白髪混じりの長い金髪と、顔の下半分を覆う髭を揺らしながら答えた。旅人の格好をしていても、腰に長剣を帯び周囲を威圧するような眼光は、歴戦の戦士であることを隠せてはいなかった。


 彼らのような長い髪は、この辺りでは『戦士の証』と呼ばれていた。昔から首を守るために、戦士は髪を伸ばすものとされてきたのだった。


「中には、フォローゼルの兵士たちと、手を取りあって森から出てくる者もいる始末」


「人間、いざとなれば敵とだって協力できるんだよ。なのに、何で戦なんかするのかねえ」

 

 ヴォルフ・ゼーラーンは、ぴくりと顔をひきつらせた。


「『エル・カルドを見つけるのは、我がローダイン軍が先。フォローゼルなど蹴散らしてこい』と言われたのは、アルドリック陛下では? おかげで我が軍は散々な目にあいました。だいたい今回も、陛下自らお出ましになる必要はなかったのでは? しかも、こんな妙な変装までして」

 

 ヴォルフ・ゼーラーンは、軍の天幕で、アルドリックが嬉しそうに皆に旅装を配る姿を思い出し、眉間に皺を寄せた。


「だって、千年も封印されているはずのエル・カルドの町が、姿を現したっていうんだよ。本当なら、早く見てみたいし」


 アルドリックは、まるで物見遊山にでも行くような、軽い口調で答えた。


「しかし、陛下。あまり、ウロウロされては……」


「そうそう、ローダインの王様が道に迷って捕まったなんて、流行り歌の格好のネタになりますよ」

 

 羽飾りの帽子を被った三十歳くらいの細身の男が、二人の間に割り込んできた。帽子についた羽飾りは、霧の湿気で哀れな姿となっている。背中に背負う楽器らしきものは、霧の湿気を避けるためか、布袋に入れられていた。

 

「バルド。何で、お前までついてきたんだ」

 

 ゼーラーンが呆れた顔で、吟遊詩人を見返した。

 

「いやいや、霧に封印された伝説のエル・カルドの町が見られるとあっては、行かずにおられましょうか。吟遊詩人とは、古い伝承や古歌、古語、大陸中のあらゆる歌にも通じているもの。もし、エル・カルドが見つかれば、その辺の学者どもより、よほどお役に立てると思いますよ。ヴォルフ様には、いつも宿に食事にと、お世話になっております。こんな時にでも、ご恩返しをさせてください」

 

 バルドは羽のついた帽子を取り、優雅な身のこなしでゼーラーンに向かって、馬上でお辞儀をした。栗色の柔らかな巻き毛は背中に届くほどであったが、それは『戦士の証』などではなく、単に切るのをおろそかにしているだけであった。

 

「そんなことは、本当に見つかってからでいいだろう」

「いえいえ、初めから携わってこそ『知る』醍醐味があるというものですよ」

 

 ゼーラーンの憮然とした表情とは裏腹に、バルドは心底楽しそうであった。バルドという男は『知る』ということが好きな男であった。未知の探求こそ人生とばかりに、どこにでも飛び込んでいく男であった。

 

 二人の様子を面白そうに眺めているアルドリックは、大陸の西の王国ローダインの王であった。近年、近隣の三大国と周辺の小国と手を結び、若くして皇帝に選出されたばかりである。


 大陸の西側はほぼ平定し、南部にある商業自治州もおおむねローダインの影響下に入りつつあった。残るは、東の新興国フォローゼルとの争い。今いるこの『迷いの森』や、それに続く辺境の荒野が、フォローゼルとの戦場となっている。

 

 対するフォローゼルの急先鋒たるイリス将軍は、フォローゼル国王の妹である。まだ二十歳になるか否かの若さであったが、彼女の行動は苛烈であり、アルドリックにとっては理解しがたいものであった。


 もしエル・カルドの封印が解けたとして、彼女が先にエル・カルドを見つけてしまったら、と思うと居ても立っても居られなくなったのだ。

 

 伝説の中のエル・カルドは、魔道と共に封印されたというが、本当のことはわからない。だが、もし本当に魔道が封印されているのならば、それをフォローゼルに渡すわけにはいかない。そんなものが広まれば、せっかく平定しつつある大陸の国々が、また乱れることになるだろう。


 もっとも、エル・カルドという国が、本当に存在するのかどうかすら定かではない。昔読んだ本には、そこに住む人々は孔雀色の瞳をしているのだと書いてあった。だがそれも、単なる言い伝えでしかなかった。

 

 森の中を進み続けると、先頭にいたゼーラーンが馬を止め、空を見上げた。


「何か、きな臭いな」

 

 少し薄まってきた霧に混じって、煙が漂ってくる。


「レイヴン、バラン、様子を見てこい。フェンリスは、儂とここで陛下をお守りしろ」

 

 その言葉に従い、二人は馬を駆り森の中へ消えて行った。ゼーラーンは、フェンリスに後方の守りを預けると、馬を降り、剣を構えた。


 アルドリックの乗る馬の前に立ち、目と耳を凝らし霧の中の気配を探る。毛羽立つような、緊張感のみなぎるゼーラーンとは対照的に、バルドは悠々と馬を降りた。そして、背中のクラリッツァと呼ばれる弦楽器を取り出し、膝に乗せた。


 クラリッツァは、この大陸の吟遊詩人がよく持ち歩く楽器で、水滴の形をした胴に透かし彫りの穴が空いており、長いネックと弦の多さが特徴であった。バルドは、木の根に腰掛け、爪弾き始めた。


「止めろ! バルド。敵に見つかったらどうする!」

  

 ゼーラーンの怒声もどこ吹く風で、バルドはクラリッツァを弾き続けた。


「待っている間、暇じゃないですか。それにフォローゼルだって、まさか、アルドリック陛下がこんな所で、呑気に音楽を聴いているなんて思いませんよ。大丈夫です。私の歌に惹かれて来るのは、ユニコーンか美女と相場が決まっています」


「そんなもの! どこかの昔話ではないか! 勝手に自分の話にするな。このホラ吹きめ!」


 何の根拠もない言い分に、ゼーラーンは憤然としたが、アルドリックは馬を降り、木に繋ぐと、バルドの側に腰を下ろした。


「そうだね。見つかったら考えよう」

「陛下!」


 ゼーラーンは青筋を立てたが、バルドは素知らぬ顔で歌い始めた。


「眠れ、眠れ、森の中で、目覚めるのは、時の彼方。眠れ、眠れ、時の中で、再び会うは、終わりの時。眠れ、眠れ、夢の中で、私の歌が、聴こえたなら。眠れ、眠れ、あなたの、いましめが、解き放たれる、その時まで」


 この大陸にいる者ならば、誰もが知っている古い子守唄だった。


「……歌というものは、訳がわからんな。一体、何を言いたいのやら」

 

 ゼーラーンは、ぼやいた。


「武人という方々は、すぐに意味を知りたがる。悪い癖ですよ。こういったものは、もっと心で感じるものなのです。ご覧なさい。言葉のわからない馬たちですら、心地良さそうに聴いているではありませんか」

 

 ゼーラーンは納得のいかない顔で、うっとりと目を閉じる馬を見た。が、不意に振り向き、再び剣を構えた。


「誰か来る」

 

 ゼーラーンは、つぶやいた。

 かすかに聞こえてくる、落ち葉を踏む音は軽い。女か子供か……。


「来た」


 霧の中からふっと姿を現したのは、フードのついた外套を羽織り、深い青色の長衣をまとった黒髪の若い女性であった。アルドリックは、思わずその美しさに息をのんだ。


 その女性は、剣を構えるゼーラーンの姿を見て動きを止め、恐怖の表情を浮かべた。アルドリックは素早く駆け寄り、ゼーラーンを下がらせると、何も持たない両方の手のひらを見せながら、女性にそっと近づいた。


 近くで見たその女性は、アルドリックが今まで見た女性の中でも、比べられる者はないような優美さだった。品のある顔立ちに白い肌。切れ長の目を彩る長い睫毛。孔雀色の瞳。アルドリックは、その神秘的な表情に、つい見入ってしまった。


「エル・カルド人?」


 無意識に、アルドリックは声に出して聞いていた。すると女性は、はっとした表情をし、何やら聞き慣れない言葉を発した。しかし、アルドリックには、何を言っているのか、さっぱりわからなかった。アルドリックが困惑していると、そこへバルドが割って入り、女性に何かを語りかけた。


 バルドは、大陸中を巡り、あらゆる言語に堪能だ。たとえ知らない言葉であっても、どこからか糸口を見つけ、自分のものにしてしまう。そのへんの学者より有能だと、自負するだけのことはある。


 バルドは、身振り手振りで表したり、地面に文字や絵を描いたり、かなりの時間を費やしていたが、アルドリックは二人の様子を見ながら辛抱強く待った。二人は、初めこそ一言、また一言と、途切れ途切れに単語を擦り合わせているようであったが、ある瞬間から、バルドは、それを一気に会話へと昇華させた。


 ようやくバルドは、アルドリックの方を向くと、女性と交わした内容を語り始めた。

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